第709話:人手不足でも為すべきの

 みんな、約束だ!

 妊婦さんを鉄火場に放り込むのだけはやめような!

 本当にもたない!


 ……主に、見てる俺の心がッ!


「り、リトリィ、もう、そろそろ……」


 何度声をかけただろう。

 明々と燃える炉のそばで、なんでリトリィは平気なんだ?

 せめて水分を摂ってくれ。

 いくら厳冬期といっても、そんなに、全身の長い毛から汗の雫を滴らせて。

 お前、お腹に赤ちゃんがいるんだぞ?

 頼む、もう少し休憩を取りながら──


「……ふふ、あなた。ありがとうございます」


 渡した手ぬぐいで汗を拭きながら、鉄工ギルドの他の職人と一緒に、焼けた鉄の前で、どうしてそんなにも爽やかに笑えるんだ?


「だって、やっぱり、わたしは名誉ある接尾名ディール持ち鍛冶屋、ジルンディールの娘ですから。鉄をたたいているときが、いちばんたのしいんです」


 その淡い青紫の瞳には、あかけた鉄が映り込み、輝いて見える。

 いや、カッコイイよ?

 素直にそう思う。

 女の身でありながら赤熱する鉄をハンマーでぶん殴る姿は、一級品だ。

 でも、でも君は……


「出産まで、あとふた月もないんだろう?」


 そばでうろうろする、情けない俺。


「あなた、こちらはだいじょうぶです。『幸せの鐘塔』のみなさんのもとにどうぞ。だんなさまのお役目を、お果たしくださいませ」

「だ、だからって、焼けた鉄の前に、じきに出産する妻を置いてなんて……!」

「あなた」


 微笑むリトリィ。

 これ以上、立ち入るな、と言いたげなその微笑み。


「わたしのことを案じてくださって、ほんとうに、うれしいです。でも、わたしだって、この鉄工ギルドに所属する、ひとりの職人なんです」


 言葉も声も柔らかかった。しかし毅然とした態度で、彼女は手に握るハンマーを見せて、言った。


「あなたの目には、もしかしたらわたしなど、未熟に映るのかもしれません。でも、おねがいです。あなたの妻は、いち職人としてりっぱに仕事をなしとげるのだと、信じていただけませんか?」


 そういう意味じゃない、リトリィ、君のお腹には、俺たちの子が──

 言いかけたら、にっこりと微笑んで、そして、また凛とした目に戻ったんだ。


「あなたが、わたしにあずけてくださったたいせつな仔です。命に代えても、かならず産んでみせますとも。でも、それとこれとは話がちがうのです。あなた、どうか、わたしを信じてください」


 そう言い切るリトリィに、それ以上、俺はもう、何も言えなかった。


あねさんがああ言ってんだ。ムラタさんよ、お腹の子供も心配だろうけど、ここはひとつ、オトコとして見守ってやってくれやせんか?」


 横から肩を叩いてきたのは、さっきまでリトリィと一緒に鉄を叩いていた、これまた筋骨隆々とした男だった。以前の地震で屑鉄の山に埋まって大怪我していたのを、リトリィに掘り出された奴──ゴッスとかいったか。リトリィ、ここでも君はあねさん扱いかよ。君は本当に愛されているな。


「……分かった。でも、水分は十分に摂ってくれ。喉が渇く前に飲む、これを鉄則にして」

「はい。あなたのお言いつけ、かならず守ります。ですから、どうぞ安心なさって」


 ──正直に言えば、安心なんてできないよ。世界のどこに、焼けた鉄を嬉々として打つ妊婦がいるってんだ。


 でも、彼女の目が生き生きと輝いているってのもまた、事実で。


 再びハンマーを振り下ろし始めたリトリィの前で、赤い火花が散る。その火花のいくつかはきっと、彼女のふかふかの毛を、肌を、焼いているはず。

 それでも彼女は、歯を食いしばるようにしてハンマーを振り下ろす。歯を食いしばるとは言っても、笑ってるんだ、その口元が。


 彼女は、心の底から楽しんでいるのだろう、こうして鉄を打つことを。

 この街に来てから、彼女はしばらく、鉄を打つことができなかった。

 理由は、獣人で、しかも女だからだ。

 ナリクァン夫人が介入するまで、ギルドの職人として登録することすらさせてもらえなかった。

 そして、俺はそれに、ずっと気づいてやれなかった。


「リトリィ!」


 長い毛先からしたたる汗を、手渡した手ぬぐいで拭こうとする彼女に、俺は声をかける。


「……期待している」


 本当はもっと、心配していることを伝えたかった。

 でも彼女が望んでいるのは、きっと、「いち職人として困難に立ち向かう彼女」を「応援する俺」なんだ。


「──はいっ! おまかせください、だんなさま!」


 満面の笑みを浮かべる彼女に、俺も笑顔を返す。

 職人としての意気込みと意地を見せているのだ、最愛の女性が。

 だったら、信じるしかないだろう。




「……オレには分からん。オレがあんたの立場なら全力で止める」

「ですよねえ」

「ですよねえ、じゃねえよ。止めねえあんたにあきれてんだ」


 マレットさんが、塔の足場の解体作業を見上げながら言った。

 足場の解体作業は、急ピッチで進められている。ただ、レリーフと鐘の打ち鳴らし機構を破壊されてからは、身元の確認が取れた職人しか現場に入れてもらえなくなり、武装した騎士や従兵が、槍を持って現場の見回りをしている。

 おかげで、作業自体は急ピッチで進められているものの、いかんせん人手が足りなくて、全体的な作業効率はかなり落ちた。


 それでも、職人たちの安全を考えれば、従うしかない。面倒くさいが、仕方がないのだろう。リノが「遠耳の耳飾り」を身に着けて、あちこち飛び回るようにして解体の様子をリアルタイムに伝えてくれる。その様子を見ていても、誰もが真摯に作業に取り組んでくれているのが分かるが、やはり人手不足が伝わってくる。


「……リノ、一度下りてきてくれ。みんなにも、簡易クレーンのあたりに集まるように言ってもらえるか? 少し、休憩にしよう」

『はーい! えへへ、おやつおやつ!』


 弾む声に、子供っぽさを感じるが、実際リノはまだ子供なのだ。彼女の脅威的な身体能力を活かして、高いところの様子を見てもらっているのだけれど。


「……でも、先ほどの話は、リトリィが自分で望んだことですから」

「そう言ってオレの嫁は、最近までずっと臥せっていたんだぞ」


 マレットさんの二人の妻のうち、俺の妻となったマイセルの実母であるクラムさんは、ずいぶんと歳の離れたマイセルの弟になる子を産んだ。

 だが、もともと体があまり丈夫でなかったクラムさんは、マイセルを産んだあと、産後の肥立ちが悪く、かなり長い間臥せっていたという。その上で、さらにもう一人の子を望み、生死の境をさまよいつつも、なんとかザンクくんを出産した。


「だからよぉ、本人がいくら望んだって言っても、もし何かあったらどうするんだ。お産ってのは、命がけなんだぞ」


 ……ええ、分かっています。この世界では夫が出産に立ち会うことは基本的にありえない話なのだそうだが、俺はフェルミの時に立ち会ったから、その壮絶さをこの目で見せてもらいましたとも。


「でも、リトリィは、言い出したら絶対に曲げませんから。情熱の塊なんですよ」

「それを躾けるのも夫の仕事だろ」


 マレットさんが、ふんっ、と鼻を鳴らす。

 ナリクァン夫人と真逆だな。夫人は、「円満な家庭づくりのために夫を躾けるのが妻の仕事」だなんて、リトリィにもマイセルにも言っていたらしいから。


 うん、ここはやはり、俺が!

 ──リトリィに従うべきだな!

 なにせ俺はリトリィで「大人にしてもらえた」んだから!

 ナニをとは言わんが!


「だんなさまーっ!」


 変な感慨にふけっていると、突然、目の前の映像が自分自身になり、そして一気に迫って来ることに気づく。

 もちろん、あれだ。リノが、飛び降りたんだ。俺めがけて。


 悲鳴も、上げる隙があらばこそ。

 受け止めるだけで精いっぱいだった。


「えへへ! だんなさま! おやつ、おやつ!」

「まったく、前も飛び降りてくるなって言っただろう?」

「だって、だんなさまなら大丈夫でしょ! ボクのこと、ちゃんと抱っこしてくれるもん!」


 ……そういう問題じゃない。


「だんなさま、今日のおやつは?」

「マイセルとフェルミが焼いてくれた、麦練り焼きだ。さっき届いた。上で作業しているみんなの分を、上にクレーンで上げてからいただこうか」

「はあい!」


 リノは手を挙げて、うれしそうにクレーンのほうに駆けて行った。


「だんなさま、早く早く! ボク、お腹空いちゃった!」


 俺はマレットさんと顔を見合わせてお互いに苦笑いをすると、簡易クレーンのほうに向かった。マイセルたちが置いて行ってくれた焼き菓子やら飲み物やらを、解体作業を行っている者たちのために、引き上げてもらうために。


 ずっと大切にしてきたこと、それは、たとえ仕事が大変だったとしても、人と人とのつながりを欠かさないこと。それを忘れたら、どんな仕事もいつか行き詰まる。



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