第708話:おまかせください

 この世界の甘味は貴重品だ。主な甘味は蜂蜜だが、なかなか高価なので、そうそう気軽に使えるようなものではない。使えるのは、やはりちょっとした特別の日、といった感じだ。ちなみに砂糖もあるにはあるんだが、結婚式で振る舞うケーキに使ったことがあるだけだ。それだけ高価なんだ、甘味というものは。


 そんなものを、特に何かの記念日というわけでもなく使ってバターケーキを焼いてくれたマイセル。子供たちももちろん大喜びだったけれど、悩む俺のために惜しげもなく使ってくれた彼女には、感謝しかない。


「えへへ、だって、私だってムラタさんの妻、ヒノモト家の女なんですから。これでも毎日、夫のためにって、がんばってるんですよ? たまにはあま~いもので、体と、心の疲れを取りましょう!」


 微笑む彼女に、俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。自分の仕事のことばかり考えていて、支えてくれる彼女たちのことをいつも後回しにしている自分を恥じた。


「大丈夫です! 私だってムラタさんの妻なんですよ! おうちのことはお任せください! ……たまには、甘えてくれていいんですからね?」




「歯車が回らない? だったら分解して外しちゃえばいいじゃないスか」

「おまえな、そんな簡単に言うなよ」


 ケーキを頬張りながら平然と言い放ったフェルミに、俺は苦笑いを返す。


「今から数百年も前に造られた、貴重な機械だぞ? 万が一、それで動かなくなったらどうするんだ」

「どうせ今のままなら動かないんスよね? だったらいいじゃないスか。どうしても動かなくなっちゃって困った、ってんなら、ほかの街の機械を参考にして、新しく造っちゃえばいいんスよ」


 あっけらかんとして言い放つフェルミに、マイセルも苦笑いになる。


「そんなことしてたら、時間が無くなっちゃいますよ」

「時間がないから、やるんスよ」


 フェルミは、娘のヒスイの口に、ケーキの小さなかけらを放り込んでやる。そう、獣人であるフェルミの娘のヒスイは、柔らかいものならもう大抵のものは食べることができるのだ。なんという成長速度。マイセルの子であるシシィの方は、すりつぶしたものを口にできるようになった程度だというのに。


「ほら、ことわざでも言うじゃないスか。『急ぐ時ほど慣れた道』ってね。急いでいるときほど手順をすっ飛ばすんじゃなくて、正攻法で行くのが一番っスよ」

「正攻法って……」

「機械の整備なんて、分解掃除一択しかないじゃないスか」


 いや、そりゃ分かるよ。分かるけど、もうそういう時間も、惜しくてだな……言いかけた俺に、フェルミが微笑んで、そして──


 ──俺の唇を、その唇でふさいでから、頭をなでるようにして、言ったのだ。


「──なに言ってるんスか、ご主人。そういうところで手間を惜しむときに限って、ろくでもないことになるんスよ。忙しいときほど、手は抜いちゃダメっス」

「……手を抜こうとしてるんじゃなくてだな」

「それに、鉄と言ったら、我が家には最高最良の助言者がいるんスよ? 活用しなくてどうするんスか。ねえ──」


 フェルミはにやりとしてみせると、そちら・・・に目を向ける。


「──お姉さま?」

「ふぁい……?」


 ちょうどケーキを頬張ったばかりのリトリィが、目を丸くしていた。




「次はこいつだ。慎重に外せ」


 フェクトール公の紹介による、この街有数の時計技師の助言を仰ぎながら、ギアボックスの分解を進める。以前、塔の鐘を鳴らしたときの式典で、厚く積もったほこりを取り除き、油を差すなどして綺麗にしてあったはずなのだが、分解してみると油の絡んだほこりが固くこびりついているところが意外に残っていて、これもまた分解に手間がかかる原因になっていた。


 そのうえ、変形したスプロケットががっちりと食い込んだことが他の歯車にも影響を与えていたようで、途中から作業が停滞し始める。特にスプロケットが変形して食い込んでいるあたりは、本当に困ってしまった。


「……だめだ、全然動かない!」


 大の男たちが何人もかかって押したり引いたりしてみても、変に噛み合ってしまった歯車が全く動かない。朝から雪がちらつくクソ寒い塔の上、吐く息が白いのに、男たちの額に汗が流れる。


「だんなさま。金槌ですこしずつ、この歯車のあちらこちらをたたいてみてくださいませんか? 音を鳴らすだけでけっこうですから」


 それまで黙って俺のそばで控えていたリトリィが、やはり白い息を吐きながら、そっと俺に耳打ちをした。


「……すまない、みんな一度、手を止めてくれ。ちょっとだけ、俺に試させてくれないか? ……リトリィ。頼むぞ」


 俺の言葉に、彼女が微笑んで皆に頭を下げる。皆が、一斉に彼女に礼を返した。

 もともと、俺が担当する現場で、母親か何かのように職人たちの世話をしてきたリトリィだ。彼女がこの塔の最上階にいるのは、違和感はあっただろうが、誰も異論を唱えはしなかった。


 ただ、妊娠してずいぶん大きくなってきたお腹を抱えて塔を上るのは、彼女でも大変だったみたいで、最上階に上ってくるまでに、階段の途中で何度も休憩した。


 ありがたいのは職人たちの反応で、「あねさん、ご無理なさらず」と、作業開始の時間が遅れるのを、誰も咎めなかった。「オレが上まで担ぎますよ」と言ってくれた屈強な男もいたが、リトリィは微笑んで「ごめいわくをおかけしてごめんなさい。でも、だいじょうぶですから」と首を横に振った。


 職人たちが彼女を気遣う姿は、とても自然なものだった。単に「現場監督の妻だから」という理由で尊重されているわけではない。

 それは、これまでに彼女がいかに現場の男たちに貢献してきたかを、如実に語るものだった。情けは人の為ならず、巡り巡って己が為なり、という言葉の意味を実感させられる。


 リトリィに言われるまま、軽く金槌で叩いていく。リトリィは両耳にさらに手を当てて、目を閉じ音に向けて耳を傾ける。


「……そこです。そのあたりを少しずつ、向こう側からたたいてみてください。ゆがんで、もろくなっているかもしれません。少しずつ、気をつけて」

「よーし、みんな聞いたな。じゃあ、今ムラタの旦那がぶっ叩いたあたりを……」

「それから、その噛んでいる歯車のほうも、かるくたたきながらやってみてくださいませんか? 交互になるように」

「……お、おう。よーし、あねさんの言う通りやるぞ!」


 そんなことを繰り返しながら、俺たちは一つずつ、ギアボックスの中身を分解していった。

 スプロケットを抜き取るだけじゃなくて、リトリィは様々な部品の噛み合わせについて、注意深く音を聞きながら、どこかに歪みがないか、あるとすればどこかを指摘していった。


 抜き取られたスプロケットは、破損が著しく、このまま修理して使うのはできないことはないが、力のかかる部品である以上、造り直すのが妥当だと判断された。


 ところが、リトリィがにっこりとして、言い放ったのだ。


「鉄工ギルドで、なおしましょう。これから百年、二百年と耐えうるものを」

「そんな時間なんてあるのか?」

「ふふ、時間は、つくればよいのです」


 微笑むリトリィに、俺は、「無茶するなよ?」としか言えなかった。


「だいじょうぶです。だんなさま、鉄のことならわたしにおまかせください。あなたのリトリィがお役に立つところ、見せてさしあげますとも」



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