第701話:右腕は知っている

「ムラタ、仕事の掛け持ちって楽しいか?」

「楽しいとかじゃないな。求められたからやってるだけだ」

「なに言ってやがる。いつもニコニコして跳び回ってるくせに。まったく、信じられねえ奴だ」


 そんなことを言いながら、俺の現場についてきてくれるリファルは、いつの間にか俺の片腕のような存在になっていた。今では、俺の作業の意図を汲み取って先回りすることすらある。


 そう言っている間に、リノが、外壁から出る換気口のパイプ周りの隙間を、モルタルで埋めて戻ってくる。


「だんなさま、あれでいい?」

「ああ、完璧だ。さすがだな、可愛いリノ」

「えへへ! ボク、もっともっとお役に立つよ!」

「ああ、リノは本当にいい子だ」


 くしゃくしゃっと頭をなでてやると、くすぐったそうに身をよじってはにかんでみせて、またするすると壁を上っていく彼女がいとおしい。今や彼女は、俺の現場の看板娘だ。まだまだ仕事を覚えなきゃならないことは多いけれど、以心伝心で動いてくれることも多くなってきた。


 できれば、命綱一本で壁に張り付いての作業なんてやらないでほしいのだが、リノの高所における身軽な姿は、余計なものを着けない方がかえって安全と思えるレベルだから、どうにも言いづらくなる。


 サーカスの軽業師かるわざしみたいなもので、誰も真似できないから、誰も「アレが許されるなら、オレだって安全装備なんてつけてられるか!」などと言い出さないところが、いいのか悪いのか。


 さすがにワンピースだけはやめさせたが、それでも肌を覆う作業服を嫌がるため、ノースリーブにショートパンツのような、少年みたいな恰好でかろうじて妥協したんだが、……やっぱり目のやり場に困る。ほらみろ、何のためらいもなく逆さまになるものだから、シャツがめくれて白いお腹や背中が丸見えだ。


 というか、現場の連中、なかばそれを楽しみに来てる奴もいるくらいで、彼女は今となってはすっかり現場のマスコットだ。リノは俺の手伝いをして仕事を覚える、ということを心から楽しんでいるみたいだから、できるだけしたいようにさせてやりたいんだが。


『だんなさま、これでいい?』


 俺の視界には、リノが塗り付けたモルタルの様子が、重なって見える。上手だとは言えないが問題も特には見当たらない作業、彼女なりの丁寧な仕事。その様子は、俺とリノが着けている「遠耳とおみみの耳飾り」の力で、リノの見ているものが見える。本当に便利だ。


「……そうだな。大丈夫だ。ただ、もう少し平らに塗れないか? ……ああ、そうだ。そのあたり」

『……できたよ! これでどう?』

「ああ、そんな感じだ。リノは上手だな」

『えへへ! ボク、だんなさまのためにもっとがんばるよ!』


 弾む声が本当に可愛らしい。彼女がもし浮浪児として生きていたままだったとしたら、こうして「誰かのために働く」という考え方を、果たして持てていただろうか。

 感慨に浸っていると、後ろのほうから声を掛けられた。翻訳されずに聞こえてきたから、少なくとも五メートル以上は離れているようだったが、その声の主など、考えなくても分かる。


「頑張ってくれるのはうれしいけどな。リトリィも来てくれたし、もうすぐ休憩だ。降りてきなさい」

『お姉ちゃんが? わあい、今日のおやつ、なーにかなっ!』


 振り返ると、青い質素なドレスを着たリトリィが、ニューと一緒に大きなバスケットを持って歩いてくるところだった。俺が振り返ったのを見てか、そのしっぽは大きく振られている。少しふくらみが目立ってきたお腹が、これまたなんとも愛おしい。


 そのそばではマイセルが、水がめのようなものを手にしている。もちろん、中身は果実の香りをつけた生理食塩水スポーツドリンクだろう。今日はフェルミが、家で留守番をして、赤ん坊たちの世話をする当番のようだ。

 こうやって分業で支えてくれているひとたちがいるから、俺は働いていられる。




あねさん! おかわり、いいっすか!」

「ふふ、どうぞ。いっぱい召し上がってくださいね」


 リトリィの手で、梨のような実のパイが手渡される。渡された大工の少年は、うれしそうにそれを頬張った。じゅわっと滴る果汁を口の端から垂らしたところを、リトリィの手に握られたハンカチで拭かれている。


 周りの人間をきょろきょろと見回し、ひきつった顔でパイを食おうとしているのは、先日、リトリィのことを「どこからどう見ても犬」「アレ相手にヤるなんて嘘でしょ」と言いやがったクソ野郎。

 ここはひとつ、穏便に暴力で──と俺がつかみかかろうとしたら、周りの連中が俺より先に動き、袋叩きにしてしまった奴だ。


 本当は今日、彼はうちで働く予定ではなかったそうだが、彼の兄弟子が「けじめをつけさせる」という理由で引っ張ってきたらしい。ずいぶん、おどおどとした様子で作業をしていた。


 その彼に、リトリィは笑顔で、パイと水を渡したんだ。「おつかれさまです。夫をささえてくださって、ありがとうございます」という言葉を添えて。

 結局、彼はそれを受け取って、ものすごく神妙な顔でもそもそ食べてたよ。自分が「悪意なく」罵倒した相手に、分け隔てなく丁寧に接してもらえるなんて思わなかったんだろうな。


 ……俺も驚いたよ。いや、リトリィなんだから、そうしても不思議じゃないのかもしれないけどさ。




あねさん、いつもお疲れさまです!」

「いえ、いつも夫をたすけていただいている身ですから。これからも、よろしくおねがいいたしますね」


 そう言って微笑みながら深々と礼をしてみせるリトリィに、大工たちが競うように並んで礼を返す。まったく、調子のいい奴らだ。


「なに言ってんだ。はっきり言うけどな、ムラタ。ここの連中は、お前なんかよりもよっぽど金色さんの世話になってるんだぞ?」

「おいリファル、どういう意味だ」

「馬鹿、お前への態度と金色さんへの態度を見比べりゃ、嫌でも分かるだろ」


 リファルはそう言って、指を差す。

 牛にひかれた荷車に乗って帰っていくリトリィたちが、路地で曲がって見えなくなるまで、若い大工連中はずーっと見送っている。

 うん、監督の身内に対する敬意が見られて大変よろしい。これぞ上下社会だな。


「お前、脳みそが心底ねじ曲がってるんだな。あれはどう見ても『お前の身内だから』なんかじゃなくて、金色さん個人への崇拝だろ」

「……そうなのか?」

「今さら気づいたのか」


 ……まあいいや。どんな経緯があるにしたって、獣人差別が厳然と存在するこの世界、この街において、リトリィがそれなりの敬意を受けることができているなんて、素晴らしいことじゃないか。


 そう言ったら、リファルはさらにあきれた様子だった。


「……お前、なんでそんなに何でもかんでも、いいように受け取ることができるんだ?」

「何でもかんでもじゃないぞ? リトリィが幸せなら、それでいいんだ。あ、そうそう、聞いてくれリファル。じつはな……」


 リトリィの素敵なところをまた最近見つけたから、その幸せを共有してやろうとしたら、リファルの奴、即座に逃げやがった。なんでだ、俺の右腕たる親友への、幸せのおすそ分けだぞ?



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