第702話:付加価値の追加
それにしても、窓というのは外光を取り入れる貴重な存在であり、同時に悩ましいモノでもある。
窓は太陽の明かりを部屋に取り入れる上で必須の設備だ。これを取り付けなければ、昼間でも家の中は当然真っ暗になる。
取り付け位置も重要で、できれば南側に着けたい。北側に窓をつけても、大きさにもよるが、明るい部屋作りはできないのだ。また、西側に大きな窓を取り付けてしまうと、強烈な西日が部屋の中に差し込んでくることになるので、これも避けたい。
明るい部屋作りを、と考えてむやみに大きくするのもよくない。窓は熱が逃げる場所でもあるからだ。むやみに大きすぎる窓は、寒い部屋に直結する。
で、問題のこの建物の窓だが、基本的に開口部を作るならおよそ東南東に向いた壁しかない。角部屋なら話は別だが、これはつまり、ほぼ午前中しか日光が差し込んでこないということになる。午後からは暗い部屋になるということだ。
それでいて、城壁にほど近い古い区画だから、戦争時に立てこもる砦としての役割を持たされていたため、窓が小さい。そのために、ますます光が入らない。
だから、この窓を拡張することで光を取り入れる力を高めること、そして少しでも光を浴びる場所を増やすということで、ベランダを増設することが求められた……のだけれど。
「なあ、ムラタ。この雨戸だけどさ。……この金具はなんだ?」
リファルが、雨戸を開けながら言う。
リファルが指を差しているのは、窓の下部につけられた金属製の部品だった。窓と窓枠を繋ぐようにして、開ける際に一緒にスライドし、三角形を作る部品。いわゆる「アームストッパー」というやつだ。想定した角度まで開くとロックがかかり、窓をその位置で固定する。一応、手動で三段階に固定できるようにしてある。
「何か問題か?」
「何か問題かって……いや、問題っていうか、なんでこんな、開ける角度に制限をつけるような部品があるんだ? しかも、向かって左、窓の北側の雨戸にだけ。雨戸の内側を白く塗ってるってのも、分からねえ」
ああ、その疑問か。
「簡単だ。採光のためだよ」
「採光のため?」
窓の角度は東南東。午後からの光は入りにくい。
そこで、雨戸を反射板として利用することを思いついたのだ。
正直に言って、大した効果が望めるわけじゃない。けれど、無いよりはまし、というやつだ。
「あと、なんで窓の穴を、内側に向けて斜めに造るんだ? この加工だけでも結構な手間がかかってしょうがねえ」
「それも採光のためだ」
銃眼のように、内側に向けて広くなるように窓を削ったのは、少しでも光を取り入れるため。採光に難のある家を、少しでも明るくするためだ。
「大して変わらねえなら、こんな手間をかける必要なんてあるのか?」
「確かにそうかもしれない。でも、この部屋で暮らすひとたちがすこしでも快適に暮らせたら素晴らしいことだし、最初にこの部屋を見たときに、意外と過ごしやすいかもしれない、と思ってもらえたら、それだけ選ばれやすくなるだろう?」
「そんなこと、いちいち考えるか?」
面倒くさそうに石壁を削りながら頭をかくリファルに、俺は笑った。
「そりゃ、考えるさ。一夜の宿ならともかく、何年もそこで暮らすかもしれないんだぞ? お前だってコイシュナさんとの新居を、夜露をしのげればなんだっていい、なんて雑に考えるか?」
「……そりゃ、確かに、そうだろうけど……」
「だったら、すこしでも暮らしやすい印象を与えたいし、実際に暮らしやすい部屋にしたいじゃないか。ここで暮らすことになるのは独り身の人間だけじゃない。きっと若い夫婦、子育て夫婦だって来るはずなんだから」
赤ん坊のおむつとの格闘は、本当に大変だって思い知ったんだよ、俺だって。一日一枚の大人と違って、赤ん坊は何回も取り換えなきゃならないんだから。ちょっと目を離していたら、すぐ「おむつかぶれ」になってしまうし。洗い物がなるべく早く乾く環境ってのは、ものすごく大事なんだよ。そのためのベランダ増設だしね。
「……なんていうかさ。お前、なんか随分、考え方が変わったみたいだな」
「そうか? 顧客満足度第一主義は昔からだぞ」
「ちげぇよ。考え方の軸が、金色さん中心からガキ中心に変わってるってことだ」
「いやそんなことないだろう、リトリィは俺の全てだ」
洗濯がいかに大変かは、十分に思い知った。
日本にいれば、洗濯機に洗剤と共に洗濯物を放り込んでスイッチ一つ、あとは広げて干すだけの状態に仕上がる。何なら、夜に放り込んで朝、乾燥まで終わっている。
電気冷蔵庫、電気洗濯機、そして白黒テレビというものが、昭和三十年代──高度経済成長期の「三種の神器」ともてはやされたらしい。そのうちの冷蔵庫と洗濯機、それらがいかに革命的だったか、この世界に来て痛感している。
洗濯って、ほんとに重労働なんだよ。こっちの世界にはろくな石鹸もないから、ムクロジの実の(石鹸と比べたらわずかな)界面活性作用を利用して洗うんだけど、もちろん泡立たないし、汚れだって石鹸に比べたら全然落ちない。
それでもそれを使うしかないし、手で揉み洗いか、たらいにぶち込んで足踏み洗いだ。そしてもちろん、石鹸ほどではないものの、肌が荒れる。
リトリィはそれほどでもないけれど、マイセルとフェルミは、明らかに肌がかさついていたから、少し高いけどオライブの油を家に常備して、水仕事のあと、必ずつけさせるようにしている。
保湿クリームという概念が無いから、それで少しでも保湿をして、肌荒れを防ごうという魂胆だ。
『あかぎれは、はたらくおんなのこのしるしです。そんなことにお金をつかわないでください』
リトリィはそう言って最初は拒否したんだけど、俺が嫌だったんだ。妻の手があれていくのを、黙ってみているなんて。
だから、これは浪費なんかじゃない、妻の健康のための投資なんだと言い聞かせて、なんとか納得してもらったくらいだ。
このうえで乾きにくいとなったら、この集合住宅を「子供のいる家族」が選ぶのは大変にリスクが高くなる。つまり、より選ばれにくくなってしまう。せっかく俺を指名してくれたオーナーのためにも、少しでも「選ばれる付加価値」をつけたいじゃないか。
「そういうわけだから、俺の中心にあるのはあくまでもリトリィだ。オッケー?」
「あーはいはい分かった分かったハイサイオッケー、落ち着いて黙れ、いいか?」
「リファル、お前が聞いてきたんだろっ!」
「こっちはノロケを聞きたいんじゃねえ!」
リファルとちょーっとだけ小突き合ったあと、お互いに腫れた頬を眺めながら、馬鹿みたいに笑い合う。
「まあ、それはともかくとして、赤ん坊連れの親ってのは、基本的な考え方の中心に子供が入ってくるのは、当然だと思うぜ? お前だって、急にガキが二人もできたんだ。無自覚かもしれねえが、お前も
……なるほど。「リトリィ中心」自体は変わらなくても、リトリィを中心に据える動機のひとつに、赤ん坊クローズアップされてくる、という意味か。
「……まあ、確かに、リファルの言う通りなのかもしれないな」
「オレの方こそ、お前がこだわる『付加価値』の意味が少し、分かった気がする。ただの箱を作ればいいってもんじゃないってことだな」
リファルはまた、ため息をついた。けれども、さっきまでのいかにも面倒くさそうにハンマーを振るう姿とは違って、ノミにハンマーを打ち付ける姿が、なんだか力強くなった気がする。
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