第700話:誰かが見ていてくれるから

「それにしても、ムラタ。お前、なんでこんなことを思いつくんだ?」


 リファルが、レンガの壁に穴を開けながらあきれたようにつぶやいた。今行っている作業は、暖炉の炉床ろしょうの改造だ。十分に耐熱処理されたレンガを、厚み一枚分剥がして、代わりに鋳鉄ちゅうてつ製の鉄板を乗せる。鉄板には一部にスリットが入られていて、空洞になった下のスペースから、新鮮な空気が取り込めるようになっている。


 いまリファルが開けた穴に板金製のパイプを通すと、リファルがさらに、パイプの接続方向を直角に変える継手つぎてを差し出してきた。こういう阿吽の呼吸ってのは、いいもんだ。

 松脂まつやにがベースの接着剤を継手のふちに塗りつけ、そのままパイプに差し込む。その間にリファルが次に準備してくれたパイプを差し出してくるから、今度は継手にそいつをねじ込む。


「……ほら、次」


 リファルが、松脂まつやに接着剤を塗りつけたパイプを渡してくるので、それをさらにねじ込んでいく。


 松脂は俺の知っている性能ならば、本来、ねつ可塑性かそせいの樹脂であり、加熱すれば容易に融ける。

 だが、ウサギのフンから取り出した繊維物と、それからこれはこの世界オリジナルの配合なのだが、融けた状態でとある植物の樹脂を十分に混合させることで、ゴムのようなわずかな弾性を保ったまま硬化するようになるのだ。


 こうすることによって、耐熱性能と耐衝撃性能が飛躍的に上がるのだそうだ。初めて知ったときには感動した。ゴムほど便利なものではないが、それでもありがたい。


「まったく、大工なら常識だっての。今までナニ使って接合してきたんだ」

「酢酸ビニル樹脂エマルジョン」

「……は?」

「酢酸ビニル樹脂エマルジョン」

「……なんの呪文だ?」

「なんでもない、忘れてくれ」


 酢酸ビニル樹脂エマルジョン、要するにあの汎用の黄色か速乾の白のチューブでおなじみの「木工用」ボンドだよ!

 いや、耐水性能が無いから内装用だけどさ!


「……まあいいや。お前の妄言は今に始まったことじゃないしな」

「おいリファル、それはどういう意味だ」

「なんでもねえよ。ほら、次の管」


 リファルに知らん顔でパイプを渡され、俺はとりあえず受け取って、さらにパイプにねじ込む。このパイプは、壁を水平に伝って部屋の外までつながっていて、外気を直接取り込むダクトになっている。


 暖炉の問題の一つは、勢いよく火が燃えれば燃えるほど、部屋の空気を吸い込んで、温められた空気と共に煙突から排出してしまうことだ。おかげで、家の隙間からどんどん外気を取り込む羽目になり、暖炉から遠い場所ほど、隙間風によって冷えてしまう。

 暖炉はこういった特性があるため、炎による輻射熱ふくしゃねつこそ温かいものの、部屋の空気そのものは温まりにくいのだ。というか、温まった端から、煙突の外に放り出してしまう。


「だから、外気を取り入れる……か。いや、オレだって暖炉ってのは火で温まるってのは知ってたさ。でもよ、その炉床ろしょうの下に空気の通り道を作って、火を燃やす場所に直結する吸気口を設置するなんて、考えたこともなかったぜ」


 リファルが、パイプを通した後の、壁にできた穴の隙間にモルタルを押し込みながら、ため息をついた。


「本当は、暖炉を作るときに通路をあらかじめ作ってれば、こんな面倒くさい工事をする必要が無かったんだけどな」

「お前の発想がオカシイんだよ!」

「大工のほうが建物の一から十まで知り尽くしているから、顧客に口出しなんてさせない──確かお前、そんなようなこと、言ってたよな?」

「いつの話だよ、覚えてねえよ!」


 悲鳴を上げるリファルのことはさておき、この外気を取り入れるスリットから新鮮な空気を手に入れた炎は、部屋の空気をほとんど吸い込むことなく燃え上がり、温められた空気はそのまま煙突を上っていく。これによって、部屋の中の温められた空気が逃げ出しにくくなるのだ。


 建築を手掛けていると、たまに出会うのが、「暖炉のある家」という注文だ。確かにエアコンと違って、比較的大きな火が燃える暖炉は、その温かさパワーを即座に実感しやすい。

 だが、昔ながらの暖炉では、かえって温かくなる範囲が狭められる恐れがある。その理由は、先に挙げた通り。煙突が、温められた空気をどんどん外に捨ててしまうからである。


 特に高気密高断熱を売る現代の家事情には、昔ながらの暖炉はマッチしないのだ。

 特に、現代の高気密住宅は、吸気口と排気口が設置され、そこで外気導入と排気が行われる。隙間は作らないが換気のための穴を開けることで、計画的な換気が行えるようにするのだ。


 特に吸気・排気共に換気扇によって機械的に管理し、空気の入出量をプラスマイナスゼロにする「第一種換気方式」と、排気のみ換気扇によって行うことで意図的な「負圧」を作ることで換気を行う「第三種換気方法」が一般的だ。


 負圧とは「圧力がマイナス状態」のことで、家の中の気圧が、外の気圧より低い状態のことだ。こうすることで、吸気口側から空気が家の中に流れ込み、排気口から出て行くという、空気の一方通行が出来上がる。こうすることで、高気密の家は熱が逃げる状態を最小限に抑えて、室温の変化が起こりにくい構造となるのである。


 ところがこういう仕組みだと、暖炉や薪ストーブなどを設置した場合、煙と共に出て行く空気量と、部屋の中に入ってくる空気量が一致せず、排出量のほうが上回ってしまうことがある。


 そうすると負圧が発生し、むしろ「換気口」たる煙突からは空気が入り込んできてしまう状態になり、煙が部屋の中に逆流してしまうことすらあるのだ。


 だから、暖かな部屋を確保するため、特に高気密住宅でストーブを利用するためには、外気を直接取り込むダクトが必須なのである。あとは、耐熱ガラスがはめ込まれた鉄の扉。これで、暖炉からの空気の流れを遮断し、火による輻射熱を暖房として利用するのだ。


 しかし、この世界ではただの「板ガラス」というだけでかなりの貴重品なのに、実用的な耐熱ガラスなんてあるのかどうかも分からない。だから、とりあえず開放型暖炉で満足しておく。


 しかし、煙突とダクトがつながっていることで、暖炉を通して空気の直通路ができてしまうことになる。そのため、暖炉を使っていない時に外気の侵入を減らすために、鉄の扉をつけておくことにした。我ながらいたせり尽くせりな設備となった。


 もちろん、こうした製品を作るにあたっては、鉄工ギルドの協力あってのことだ。鉄工ギルド員たるリトリィのコネなくしては作れなかった。彼女にはまったく頭が上がらない。


「それにしても、アンタは本当にいろいろと考え付くもんだな。そこの大工さんじゃないが、頭の中身を知りたくなるというもんだ」


 今日はたまたま視察に来ていた、この集合住宅のオーナーであるファーミットさんが、後ろから作業を見ながら感心してみせる。


「冬が来る前に、ワシの家の暖炉も、同じように改修してくれんか? すき間風がこれで減らせるって言うなら、カネは弾むぞ」

「ありがとうございます。でしたら、またあとでご自宅を拝見させてください」

「二つ返事で請け負ってくれるのか。いやあ、本当に楽しみだわい!」


 からからと笑うファーミットさんだが、そう言ってくれるのも、前の仕事があったからだ。

 彼の反対を押し切ってのベランダ設置の提案。

 墜落制止用フルハーネスの提案とその運用を手軽にできるようにするためのカラビナの導入。

 落下防止柵付き足場の提案。

 そして、熱中症予防のための生理食塩水──要するにスポーツドリンクの活用。


 やっぱり、見ている人は見ているのだ。誰かが見ていてくれているからこそ、こうして仕事がつながっていく。




「だんなさま、おむかえに上がりました」


 リトリィのお迎えに、リファルをはじめ、大工たちの顔が一斉にニヤニヤモードになる。


 シュバルクスと飲んだ時にべろんべろんに酔っぱらい、その夜、飯も食わずに眠ってしまって以来、リトリィは必ず仕事上がりを見計らって迎えに来るようになった。


「監督、愛されてますねえ」

「信用が無いんだよ、酒に弱いもんだから」


 からかってくる大工たちに、俺は笑いながら答える。

 リトリィのお腹も、ふくらみが目立つようになってきた。それでも、彼女は現場に差し入れに来るのをやめない。いつも、「みなさーん、お茶を淹れましたよー」と、お茶と茶菓子を準備してやって来る。生理食塩水スポドリももちろん、準備してだ。


 そんな彼女だから、門外街という比較的獣人に寛容な街であっても特異な、ほぼ完全な獣面の持ち主であるリトリィに対する大工たちの人気は高い。こうやって暮らしていると、獣人差別なんて存在しないんじゃないか、とすら思えてくるほど、リトリィは溶け込んでいる。


 やっぱり、ひとは見た目も大事だけど、付き合い始めてから分かる人柄こそが大事だと感じられる。

 たしかにリトリィの見た目はヒトと違い過ぎるから、最初は驚かれたり、嫌悪されたりする。でも彼女の人柄を知れば、驚いたり嫌悪したりすること自体が馬鹿馬鹿しいと思えるに違いないんだ。


「姐さん、今日もしっかり、監督を働かせましたから! 余分なところに目を向ける余裕なんて、作りませんでしたとも!」


 ひとりが冗談を言い、皆が笑う。

 ああ、リトリィも、ひとりの人間として受け入れられている。


 たまに入ってくる新人がぎょっとしてみせたりしたら、その時は大変だ。『おい、新人。てめぇだよてめぇ。いま姐さん見て、のけぞっただろ』などと古株から因縁をつけられて、そのままリトリィの良さを「分からされる」のだ。


 まったく。暴力じゃなければ何でもいいと思っている奴がいる。

 でも、そうやって周りがリトリィを認めているから、新しく入ってくる人間も、リトリィを尊重すべき「ひと」として、扱ってくれるのだ。

 そう言った集団を作り上げてきたのが、リトリィという人格なのだ。


 と思ったら、昼過ぎから応援に来た奴が、リトリィを指差しながら、なぜか声を張り上げた。


「え、マジっすか? だってアレ、どこからどう見てもイヌっすよ! アレが、仮にも監督をやる男のオンナ? アレ相手にヤッたの? 嘘でしょ?」


 ……話し合いなんて、そんな野蛮な。

 ここは穏便に、──暴力で。



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