第699話:お仕事はどこで、何を
山から帰ってきて、何か生活が変わったわけではない。しばらく進んでいなかった集合住宅の改修工事に、ようやく取り掛かったことくらいだ。今回の仕事は、暗い部屋をより明るくすること、ベランダを取り付けること。
つまり、古い集合住宅を単にリフレッシュするための「リフォーム」ではなく、より付加価値の高いものに変える「リノベーション」をすることになる。
なにせ、日当たりの悪さが折り紙付きだ。窓の向きが絶望的なのだ。東南東向きの窓しか無い。つまり、昼前までしか光が入らない部屋。
こんな部屋に暮らす奴の気がしれない……と言ったら言い過ぎだろうが、それゆえに賃料も安くしないと人が入らない。
わざわざこんな物件を買い上げたファーミット氏も、なかなかのチャレンジャーだと思う。だけど、それだけ、前回の俺のアイデアを買ってくれた、ということだ。
あの時は、大工ギルドの前ギルド長からの妨害を受けて、中途半端な仕事で終わってしまっていた。けれど、あの時の仕事の内容などから、もう一度俺に頼みたいと言ってきてくれたというわけだ。
一回一回の仕事を、誰かが必ず見ていてくれて、そしてそれが次の仕事につながる。その意味を今回、かみしめている。
「今回の改修は、ベランダの新設と、ベランダに出入りするためのドアの設置です。ただ、ドアについては既存の窓を拡張する形にしたいのですが、よろしいですか?」
「いいとも。好きにしてくれたまえ」
「ただ、部屋が暗いのは、このままでは改善が難しいでしょう。ですので、明かり取り用の窓をもう一つ開けたいと思いますが、よろしいですか?」
「もう一つかね? 一つあれば十分ではないのかね?」
「いえ、この住宅の窓はすべて南側に偏っていて、北側が大変暗いのです。使うかどうかは別にして、窓があったほうがより開放的な部屋となり、入居を考える方々の目にも、より魅力的に映ることでしょう」
「ふむ……。なるほど、そうかもしれないな。では好きにしてくれたまえ」
「あとは──」
改めて、あれこれと提案を付け加えていく。キッチン周りの改修、ワンルームゆえの収納場所の変更と大容量化への提案、その他諸々。
細かな改修箇所も含めて全部挙げたら、結構な数に上った。その中でも、「これだけは改善しましょう」という五点に絞って、改善がなされることになった。その五点とは、以下の通りだ。
一.新たな窓の設置
二.収納位置の変更と拡大
三.キッチンのシンクの拡大
四.壁の断熱加工
五.暖炉の「隙間風問題」の改善
このうち、四と五は、今回のリノベーションの最大の肝となる。あの、以前この集合住宅で暮らしていた親子。暗く寒い部屋で、不健康な暮らしをしていた、あの親子だ。彼らのようなひとたちがここで暮らすようになったとき、少しでも快適な暮らしをすることができるように。
「あっ、ムラタさんだ!」
「こんにちは、ムラタさん!」
「ああ、どうも。ムラタさん、おひさしぶりです」
帰りにちょっと寄り道をして、ゲシュツァー氏の運営する
「どうですか、スティフさん。ここでの暮らしは」
「ムラタさんのおかげで、父ちゃん、もうすっかり元気だよ!」
少年二人が、うれしそうに父親の周りで走り回る。
「いやあ、先日、院長さんのゲシュツァー様のご厚意で、こちらで正式に働かせてもらうことになりまして。息子たちと、またこうして元気に過ごすことができる日が来るなんて、思いませんでしたよ」
もともと、父親であるスティフさんが体を壊して収入が得られなくなり、その結果、食べ物が得られず明日をも知れぬくらいに衰弱してしまっていた彼ら。だから俺は、子供たちをゲシュツァーに預け、父親は救貧院に身を寄せることで、なんとか困窮する現状から脱してもらおうと働きかけた。
するとゲシュツァー氏が、子供たちを預かるのはいいとして、父親も預かると言い出したんだ。
『私は事業家であり、投資家なのだ。第一、貴様自身が言っていたことだぞ? ひとに恩を売って、将来的な顧客を作れと』
……いや、俺、そんな損得勘定むき出しなこと、言ったっけ?
経緯はともかく、今ではすっかり体調を快復したスティフさんは、深々と頭を下げた。ツークくんもエンフティくんも、それを見て揃って頭を下げる。前は礼儀もなにもなかったから、きっとこの
「本当に、ムラタさんのおかげです。ありがとうございます」
「いや、ゲシュツァー院長先生のおかげですよ。俺はただ、こちらを紹介しただけですから」
どうにも照れくさい。というか、俺のおかげなんて言われても困る。なにせ、彼らの面倒を見ていたのはこの
しかし、スティフさんは真剣な目で続けた。
「いえ。ここに来る前にも、色々とこの子たちに食べさせてくださったではありませんか。ムラタさん、あなたは私たちの恩人です。今はこうしてひとの世話になる身ですが、いずれこのご恩は必ず……!」
「しかし久しぶりだな、ムラタ。会えてうれしいぞ」
「何度同じことをおっしゃるんですか」
「喜びは何度分かち合ってもいいものだ」
あの時は比較的クールな獣人男だと思っていたのだが、クールな顔で真面目に酔っ払っている。久しぶりだな、と酒の屋台に引っ張られて、そのまま何杯飲んだだろう。
「あれから、ムラタ式投法の研鑽を積んでいてな。なかなかのものになったのだ。見てくれないか」
「酒に酔っぱらった状態で、なかなかの腕前ってやつが披露できるわけないだろ。また今度にしたらどうだ」
「なに、この程度、酔ったうちに入らない」
そう言って、強引に俺を川まで引っ張って行こうとする。じゅうぶんに酔ってるよ、お前!
ぱふっ!
「わたし、ずっと待っていたんです」
はい……
反省しております。
「お酒をお飲みになるときも、お夕餉をお召し上がりになられるほどにはご自身を律してくださると信じていました」
ぱふっ!
再びリトリィのしっぽが枕に打ち付けられる。
「まさか、お夕餉を、お召し上がりにならないほどお酒に呑まれてくるとは思いませんでした」
二日酔いで頭が痛い。だが、リトリィの悲しみを全力で受け止めなければ、夫として生きる資格がないっ!
なにせ昨夜は、飲んだあとで川に連れて行かれ、そのままシュバルクスと石投げをやってたら、酔いが回りすぎて前後不覚に陥ったんだ。
どう帰ったかも覚えていないが、マイセルの話によると、シュバルクスの引きずられるようにして帰ってきたらしい。
もちろん、夕飯を食うどころの話ではなく、ベッドまで上げるのが大変だったとか。
そんな有様だったのだ。朝からお説教を食らったって、それはもう、義務みたいなものだろう。
「もう、わたし、決めました。今夜はおむかえにあがります。お仕事は、どこでなさいますか?」
「いや、それはさすがに……」
「お仕事は、どこでなさいますか?」
笑顔でしっぽを枕に叩きつけるリトリィに、俺は明日の予定を即座に告げたのだった。
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