第696話:抱いた希望の終わりに
「なかなか気のいい奴らだったな」
去ってゆく
「お前の頭の中はどうなってんだ。ボゥグルだぞ?」
「その連中と肩を組んで飲んでたお前には、言われたくないぞ」
だが、フラフィーが笑いながら俺たちの肩を叩いた。
「なに、酒は全てを解決するってもんだ」
「そうか、そうだよな。兄貴の言う通りだ」
「いいのかよ」
俺のツッコミに、フラフィーは、にっと笑う。真っ黒に焼けた顔に、白い歯がまぶしい。
「いいんだよ、ムラタ。細けぇことは気にすんな。それからええと、ムクゥロ、とかいったっけ?」
ひときわ大きな体をしていたボゥグルの名前だ。俺は勝手にボゥグルボス、なんて腹の中で名付けていたが、実際にそうだった。彼らの中では若手の部類らしいが、その体格と強さと(彼らの中での)気風の良さで、現在の部族における族長みたいなことをやっているらしい。
彼らは、このあたり一帯をなわばりにしているのだが、二年前にこの森で見つけた死体について教えてくれた。
たまたま木の実を取りにやって来た彼らは、
今どき、こんなところにヒトがいるなんて珍しいから、そのときのことはよく覚えていたらしい。
この山道はずいぶん昔に廃道となっているから、誰もわざわざ通らない。ということは、二年前に俺が転移してきたとき、おそらく、何人か、一緒に転移してきた人間がいたんじゃないだろうか。しかし肉食の大型獣に襲われ、命を落としてしまった。
おそらく、俺はその時、大した傷も負わず生き残った。たまたま狙われなかったのか、それとも何か理由があったのか、それは分からない。だが、同じく生き残った誰かを連れて、その場を逃げ出した。
しかし、俺だけが生き残った。俺が連れ出した奴がもともと重傷を負っていたのか、死体となったあとに食い荒らされたのか、それも今となっては分からない。
ただ、こうした状況から言えるのは、転移の際には何人かがまとめてこの世界に渡ってきたこと、そしてその中で俺だけが生き残ったということ。
これだけ色々と考えても、しかし記憶がないのは、不気味だった。
まったく思い出せないのだ。
状況を想像することはできても、あくまでも想像。
まるで、記憶を奪われでもしたかのように。
……生々しい惨劇を思い出せないのは、ある意味で幸せなのかもしれないけどな。
「ボゥグルを知り合いにしちまうなんてなぁ、恐れ入ったぜ。本当におめぇは、変わったヤツだ」
「翻訳首輪のおかげだ、俺個人の手柄じゃない。リトリィのおかげだよ」
俺がもともとジルンディール親方からもらった翻訳首輪は、フェクトール公の屋敷で戦った際に、投げ捨てて紛失してしまった。今の俺の首にある翻訳首輪は、リトリィが身に着けていたものだ。
彼女はちゃんとこの地方の言葉をしゃべれるんだが、幼少期に発音の適切な訓練ができなかったせいで、発音がどうしても不完全らしい。犬型の
今、俺が身に着けている翻訳首輪は、フェクトール公の屋敷で翻訳首輪を紛失したときに、リトリィからもらったものだ。だから今回、
「リトリィ、リトリィって……。おめぇは本当に、あきれるほど謙虚というか、リトリィ一番なヤツだな。交渉したのはおめぇなんだから、胸張って『ああ、オレは大したヤツだろう!』くらい言えばいいのによ」
アイネが、苦笑いしながら言う。シスコンのお前に言われたくないぞ?
結局、俺がこの世界に来たときのことを直接知ることができたわけじゃないが、最低限、そのときの状況を推察することはできた。
トラブルは和解できたし、この世界にまた一つ、変わった知り合いができたことも悪いことじゃないだろう。まあ、こんな山奥に今後入ることも無いだろうから、これっきり、二度と関わらないとは思うけどさ。
ただ、ムクゥロの奴には別れ際に、釘を刺されてしまった。
『
ハイ妊婦相手にすみません、というか彼女が求めてきたんだよっ! いえ、喜んで誘いに乗ったのは俺だけどな!
──と思ったら、全く違う理由だった。大事にするのは、機会の確保だった。
つまり、無駄打ちするならもっと別のメスに種付けしろ、ということだった。
うーん、異文化コミュニケーション。
「それで、アレがその、お前が故郷から持って来た鞄なのか?」
フラフィーが、木の上を見上げながら指差した。
「じゃあ、オレが肩車をしてやる。そうしたら手も届くだろう」
「本当か? 助かる!」
そんなわけで、俺はフラフィーの巨躯に助けられて、リュックを手に取ることができた。
枝にひっかかったリュックの肩紐がなかなか外れなくて、力いっぱい引っ張ったら枝から外れた勢いでバランスを崩し、アイネの腕の中に落ちてお姫様抱っこされたっていうトラブルはあったけれど。
結論から言うと、ああ、笑うしかなかったよ。
二年間、雨ざらしのうえに高湿度な森の中。ぬるりと苔むした俺のリュックは、なかなかに触るのも勇気が必要なものになり果てていた。
ジッパーは半開き状態で、開いてみたら、中からはいろんな虫が這い出してきて、そりゃもう気が付いたらリュックを放り出していた。
で、しばらくリュックを蹴り転がして虫が出てこなくなったのを確かめてから取り出したリンゴ社のタブレットは、なかなかに壮絶なモノとなり果てていた。なにせ液晶のガラスの内側が苔むしているのだから、どうしようもない。
そして、数冊の資料も俺のアイデアノートも、文字も読めないレベルのカラフルなカビの塊と化していて、開こうとしても塊になっていてうまくいかず、かろうじて破りつつ開いたページは、納豆のごとくねっとりと糸を引くありさま。
せめてアイデアノートだけは、と思ったが、これまた強烈な極彩色のカビの塊になっていた。ああ、見たことあるよ、この極彩色。瀧井さんと消毒用アルコールを研究していたころに。そのうえ虫が食ったのか、ひどく穴だらけ。
こんなことなら、見つけなきゃよかった。発見の喜びが大きかった分、絶望も大きかった。絶望が深すぎて、二年も放置されていたという事実を忘れてのんきに喜んでいた自分を、あざ笑うことしかできなかったんだ。
「……で、どうすんだ?」
アイネが、実に声をかけづらそうに言う。
「そんなもの、忘れちまった方がいいんじゃねえか?」
「持って帰るよ。こんな状態でも、もしかしたら……」
──もしかしたら、あるいは、なんとかなるかもしれない、そんな時が来るかもしれない。
もちろん、そんなときは多分、永遠に、来ないだろう。
分かっていたけれど、それでも俺は、捨てることができなかったんだ。
手ぬぐいでぐるぐる巻きにして、俺はそのカビの塊と化した物体を、リュックの中に入れた。
昨夜はあんなにも楽しく盛り上がったのに、俺たちは黙々と、山の館に向かって歩き続けた。リトリィが気を遣って、いろいろと話しかけてくれたのが救いだった。どこまでもどこまでも、俺は情けない奴だった。
「うそつき! だんなさまのうそつき! ボク、もうだんなさまなんて大っ嫌い!」
泣きながら飛びついてきたのは、リノだった。
「ボク、ずっとだんなさまを信じて、耳飾り、つけてたのに! そのうちつけてくれるって、信じてたのにっ!」
すっかり忘れていた。
「遠耳の耳飾り」をつけて、何かあったら連絡できるようにするためだから──そう言って、リノを連れて行かない理由を作って、納得させたというのに。俺は、ついに帰るまでつけ忘れていたんだ。
「ごめん、リノ、悪かっ……」
「こんな血だらけになって! ボク、すごい心配してたんだよ! だんなさまに何かあったんじゃないかって、ずっとずっと、心配してたんだよ!」
泣きじゃくるリノを抱き上げると、彼女はいっそう、泣きわめきながら抱きついてきた。
その泣き声を聞いてか、フェルミが館から飛び出してきて、これまた泣きながら飛びついてきた。
「もう、どれだけ心配したと思ってるんスか!」
続いて、畑の方からマイセルがメイレンさんとやってきた。俺たちを見るなり、二人ともかごを取り落とすと、こちらに向かって走ってくる。
メイレンさんも、フラフィーに飛びついて泣いていた。用心棒として来てくれたフラフィーとアイネだけど、本当に無事に帰ってこれてよかったと思う。
で、マイセルはというと、「お姉さま! よかった、無事で!」と、リトリィと抱き合って、涙を流して喜んでいた。
おい、そこは俺じゃないのか。
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