第695話:強い者とは
焚き火に戻った俺たちを出迎えた
「一族ノタメ二戦ッタ者、血ヲ流シタ者、ミナ戦士。生キノビタ者、ミナ強イ戦士。ダカラ、オマエ、強イ戦士」
仏頂面でそう言うボゥグルのボスは、初めて、笑顔のようなものを見せた。
「それにしても、邪悪な小鬼、なんて呼ばれ方しているけど、意外に話のわかる連中だな」
俺は、ボゥグルたちが狩ってきた猪の肉を頬張る。どうも彼らは、俺たちと遭遇する前に狩りをしていたようだ。フラフィーとアイネは、ボゥグルたちが狩りで仕留めた獲物を解体している場面に踏み込んでしまったそうなのだ。
「でだ。どうも獲物を奪われると勘違いした小鬼どもの見張りの一匹が、オレたちに殴りかかってきたのよ」
結果として、フラフィーたちは降りかかる火の粉は払うべしと応戦し、あんなことになったのだという。
「応戦って割には、俺に殺すな、とか言っていなかったか?」
「ボゥグルたちの執念深さは知っとけよ。あいつら、仲間を殺されたら、同じ数だけの相手を殺すまで、しつこく追いかけてくるんだ」
アイネの言葉に、俺は背筋が寒くなった。もし俺がぶっ放した銃の流れ弾がこいつらの誰かに当たっていたら、俺は当分の間、こいつらにつけ狙われていたかもしれないのだ。
「そういえば、
アイネに聞くと、彼は憮然と「知るか」と答える。するとボゥグルのボスが、気付け用に持ってきた蒸留酒で機嫌を良くしたのか、笑顔らしき顔で答えた。
「獲物、横取リニ来タヤツ、殴ッテ追イ返ス。ソレダケ」
……そうか。彼らにとってあの戦いは、あくまでも不届者を叩き出すためだけのもので、こちらの命まで奪おうとはしていなかったということなのか。
「……じゃあ、リトリィを助けてくれたのは?」
「
「誰の女であってもか?」
「宝ノ横取リ、ヨクナイ。欲シカッタラ、戦ッテ手ニ入レル」
「横取りは良くないが、戦って奪い取るのはいいってことか?」
「ソウダ」
……その倫理観はよく分からん。とりあえず言っておくことにする。
「リトリィは俺の大切なひとだ。誰にも渡さん」
俺の言葉に、ボスの奴は一瞬、目を丸くして、そして笑った。
「オマエ、強イ戦士。戦士ノモノハ、戦士ノモノ。戦士ハ尊敬サレルベキ」
「たとえ俺が戦士でなくたって、リトリィのことは命をかけて守るさ。何があってもだ。たとえ奪われたって、必ず奪い返す」
俺の言葉に、隣に座っているリトリィが、嬉しそうに頬を舐めてくる。
「ええ、だんなさま。リトリィは、あなたのリトリィです。ずっとずっと、何があってもあなたのおそばにいますとも」
そんなリトリィを見て、ボスは笑いながら言った。
「オマエノ、ツガイノメス、タイシタヤツ。腹ノ仔モ、キット強イ仔ニ育ツダロウ」
「当たり前だ。リトリィは最高で最良の女だ。彼女の子は間違いなく、美しく強い子に育つに決まっている」
俺の言葉に、ボスは大声で笑った。
「ツガイヲ自慢スル戦士、ミンナ、イイヤツ。オマエ、気ニ入ッタ!」
猪の肉の宴会は、遅くまで続いた。
気付けの酒は大した量はなかったが、残っていた消毒用アルコールを湯で薄めて、そいつに山葡萄の汁を搾って振る舞ったら、その即席の酒に連中はますます気をよくして、大騒ぎになった。
さすがにリトリィには飲ませなかったけどな。妊婦だし、何より彼女、酒乱だし。だから、俺も飲まなかった。リトリィは気を遣ってくれたけれど、彼女が飲まないのに、俺だけが飲むなんてできなかった。
「それにしてもムラタ、おめぇ、なんでヤツらと話が通じるんだ?」
アイネにいぶかしがられたが、そもそも俺は翻訳首輪をつけているんだから、通じて当然だろう。
けれど、本当に言葉が通じるって、重要なことだと思った。戦っている時には、奴らはただ叫ぶばかりだったから気づかなかったけれど、ちゃんと話せば通じた。だからこそ共闘もできた。
彼らはただ、守ろうとしただけだ。自分たちの集落を。俺たちへの攻撃も、拳のみだった。相手が武器を使うまで、自分たちも武器を使わない。それが、彼らのポリシーだったようだ。
フラフィーたちは、ボゥグルたちの「仲間が殺されたらその数だけ相手を殺す」という報復を恐れて武器を使わなかったが、結果として、その判断がフラフィーたち自身の命を守ることにつながったというわけだ。
それにしても、これが異文化コミュニケーションってやつなのか。
でもって、酒を飲むと陽気になるっていうのは、おおむねボゥグルも同じらしい。酒は、文化の違いを吸収する緩衝材なのかもしれない。今じゃ、言葉が通じていないはずなのに、アイネもフラフィーも、ボゥグルのボスと肩を組んで笑いながら、焼いた肉のかけらを肴に、葡萄酒もどきを飲んでいる。
消毒用アルコールはとうに底をついてしまったから、「酒もどき」は相当に湯で薄められてしまっていて、もう「アルコールの雰囲気」程度しかないはずなんだが。いや、その「雰囲気」ってやつが大事なのかもしれない。もう
……だから、途中で抜け出しても、誰にも気付かれなかった。
崖下の沢の流れを感じながら、月を見上げる。
三つの月が、俺たちを照らす。
あの夢。
三つの月を見て、絶望した俺。
この森の中に、俺は転移してきたのだろう。
あのリュックは、まだ木にぶら下がったままだ。
宴会の中、あれを取ろうという気にはならなかった。
なに、朝が来たらフラフィーたちがいる。協力して取ることができるだろう、焦る必要はない。
「あなたは、ふしぎなおひとですね」
リトリィが、そっと肩に頭を乗せてきた。
「不思議? そうか?」
「はい」
そっと首筋に舌を這わせてくる彼女を抱き寄せ、唇を重ねる。
「……俺に言わせれば、君のほうが不思議な魅力にあふれた女性だよ」
「そう言ってくださるのは、あなただけです」
「なに言ってるんだ。君と関わった野郎どもは、みんな君に骨抜きにされる。どうして俺が、独り身の君に出会えたのか……そっちの方が不思議だよ」
本気で言ったのに、彼女は「ほんとうに、じょうだんがおじょうずになって」とくすくす笑った。
「あなただけです。わたしを女の子としてあつかってくださったのは。わたしはどうしてもこんな
そう言って、しっぽをふわりと絡めてくる。
「それでも女の子としてあつかってくださるあなただから、わたしはあなたの元で生きるって決めたのですよ? あなたの感覚は、こんなことを申し上げたくないですけれど、普通ではないんです」
「いや、だけど獣人とヒトとの結婚って、別にないわけじゃないだろう?」
実際、少なくとも門外街ではたまに見かける夫婦の在り方だ。獣人男性を見かけることはほとんどないから、大抵はヒトの男と獣人の女性という関係だけれど。
「それでも、わたしのような毛深い女を、連れ合いにえらぶようなかたは、まずいないでしょう。あなたはもちろん、タキイさまだって、よほどの例外ですよ?」
「リトリィは、そんな俺は迷惑だったか?」
あえて、そう聞いてみる。
「……わたしから、あなたとのつながりを望んだのですよ? 迷惑だなんて、思うと思いますか?」
「多分大丈夫とは思っていたけど、少し怖くもあった」
「もう……何度申し上げたら、たぶんでなく、心から信じてくださるようになるんですか?」
はさり……崖の上で、彼女に押し倒される。
「わたしは、何度でも申し上げます。わたしは、あなたの……あなただけのリトリィです。仔をさずけてくださったあなたに、わたしは命つきるまで、おそばにお仕えいたします。ずっと、ずっと、お慕い申し上げます」
まっすぐで、どこまでもまっすぐで、透き通るような美しい眼差しで、彼女は言い切った。
「……強いな、君は」
俺には、そこまでひとりを信じ抜くことなんてできるだろうか。
……無理だな。リトリィのことを疑ったことがある時点で、そんな人間だなんて言えない。
彼女が俺を信じられないと言ったら、それは俺が彼女を不安にさせたからだ。
どこまでも俺を信じてくれる彼女に、俺は到底──
「いいえ」
俺の腹の底を見透かすように、彼女は微笑んだ。
「あなたは、だれよりも強いおかたです。ひとをゆるし、みんな、あなたの味方にしてきたではありませんか。あなたといるほうが、しあわせになれる──みんな、あなたの強さを信じて、あなたにたくしてくれているんですよ?」
「……それは、君がそばにいてくれるからだよ。君のためにがむしゃらになってるだけで、俺個人は……」
「そうやっておごらぬあなたが、わたしは大好きです」
そう言うリトリィの舌は熱く、そして、どこまでも情熱的に、俺の舌と──
森の奥から、微かに、人と、人でないものの楽しげな笑い声が聞こえてくる。
下の方からは谷川の波の音。空では三つの月が共演する、地球ではない世界。
生まれは地球、育ちは日本。
けれど、なんの因果かここにきた。
もう地球には帰れない。
二度と日本には戻れない。
けれど、ここでたくさんの人と出会った。
愛する人ができた。
愛する人との子供もできた。
困難を乗り越えた。
たくさんの人に助けられながら。
俺の生きる場所はもう、地球でも、日本でもない。
俺を受け入れ、愛をくれる人たちがいる、この世界だ。
もはや故郷に未練はない。
俺はきっと、ずっとやっていける。
「あなた……あなた……!」
感極まって体をのけぞらせる彼女の腰をしっかりつかんで、俺は彼女に、ありったけの愛を注ぎ込んだ。
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