第693話:特効薬

 俺は腰を落とすと、肩に担いでいた九九式小銃を下ろして銃を構えた。

 瀧井さんに教わり練習した通りに、ボルト後部の、菊の花のような模様の滑り止めのついた安全子セーフティを、右手の掌底しょうていを押し付けるようにしながら反時計回りに回転させて安全装置を解除する。


 ──大丈夫。

 こんなに近いのだ、動きも鈍い。絶対に当たる、絶対に外れない……!


 付け焼刃だが、瀧井さんに教えられたとおりに右肩に銃床を押し当て、しっかりと構える。


 ──重い!

 街で練習していたときにも思ったが、改めてその重さを感じた。この長い物体を構える、それだけでかなりの力が必要だ。こんなもので中国戦線を戦った瀧井さんを、改めて尊敬する。


 銃の先が震える。

 重みだけではない、これをぶっ放した先の生き物は、おそらく死ぬのだ。

 つばを飲み込み、目をぎゅっと閉じる。


 ──頼む、不発だけは無しだ。

 祈りながら構え直す。

 瀧井さんとの練習のときだって、五十年以上を経てもなお使えて、これまでだって瀧井さんの右腕として、何度も俺を助けてくれた銃弾──九九式普通実包。まだ全盛期だった頃の大日本帝国陸軍の技術力に、全てを賭けて引き金を引く!


 ダァン‼


 右肩を襲うすさまじい衝撃に、俺はひっくり返りかけた。どこか遠くで、バシッと音がした気がする。ボゥグルたちは耳を押さえてひっくり返っている。


 ──くそっ! こんな目の前なのに外した!

 心構えが十分でなかったんだろうか。おそらく跳ね上がる銃口を抑えられなかったのだ。

 深呼吸したあと、急いで右手で素早く槓桿ボルトハンドルを起こし、遊底ボルトを手前にスライドさせる。


 カシャ、という音と共に機関部が露出し、黄銅製の金色の空薬莢が勢いよく排出される。シャカン──そのまま素早く遊底ボルトを前進させ元の位置に戻し、ハンドルを水平位置へ。


 すぐ目の前なのに外した──落ち着け。頬を当て、脇を引き締め、息を大きく吸って止め、狙いを定めて……引き金を、引く!


 やはり耳をつんざくすさまじい発砲音、右肩を貫くような衝撃!


 ホローポイント弾の特徴は、人体の中で激しく変形することだ。貫通力を犠牲にする代わりに、激しい衝撃力を相手に与える。これによって、通常の弾丸よりも人体への破壊力を増すことができる。


 貫通力ではなく、凄まじいまでの衝撃力!

 それこそが、この弾の特徴!

 薄汚れたゲル状の物体は、俺の目の前で、まるでスローモーションの動画を見るように、大きく膨れ上がり弾け飛び散る!


「……もう一発!」


 素早く排莢はいきょうを済ませて、再度狙いをつける。

 もう一度、派手に吹っ飛ぶ粘獣ねんじゅう

 ただの銃弾なら、貫通するだけだっただろう。ホローポイント弾に改造してもらった成果が出た!

 念のために撃ったもう一発で、スライム野郎はほとんど跡形もなく吹き飛ぶ!


 粘獣ねんじゅうは小さく震えているような様子だったが、恐怖というよりおそらく衝撃で一時的なショック状態になっているだけだろう。

 だけどこれだけ小さく吹き飛べば、触手を伸ばしたりすることもできまい!


「今だ、逃げるぞ!」


 リトリィたちに向かって叫ぶと、三人とも、焚火の場所に向かって走り出した。俺も遅れじと走り出す!

 さっき、粘獣ねんじゅうの破片にかじられた通り、おそらく奴はバラバラにちぎれても、その破片自体が独立して生き延びることができるのだ。ヒトデみたいな奴だということなんだろう。


 だが、小さければこちらに襲い掛かるのも難しいだろうし、銃弾による衝撃力は、きっと一時的にでも戦闘不能をもたらすはず!


 万が一食いつかれても、小さな破片なら、焚火で炙ればきっと焼け死ぬはずだ。対処のしようがある!


 俺は必死で走った。

 焚火の場所まで。


 そのとき、青黒い肌の大柄野郎が、視界の端をよぎる。

 奴は左腕のほとんどを粘獣ねんじゅうに覆われ、胸も覆われ始めていた。


 ──助かった。共倒れになってくれて……




 ……で、責められた。


「なんでこいつがここにいるんだよ!」

「仕方ないだろう。嫁さんをかばってくれた恩人なんだから」


 正直思ったよ、共倒れになってくれてよかったってさ。

 でも、こいつはリトリィをかばってくれたんだ。

 彼女が妊娠していることに気づいて、守ってくれたんだ!

 いくら敵でも、そんな奴を放っておけるわけないだろ!


「それでこのありさまだそ!」

「とりあえず休戦中なんだからいいだろ」

「いいわけがあるか!」


 悲鳴を上げるアイネだが、来てしまったものは仕方がない。俺は大柄ボゥグルの手を引っ張っただけだったんだが、子分(?)たちまで一斉についてきてしまっただけなんだ。


 ……ああ分かるよ。「だけ」じゃ済まされないってことくらい。


 とにかく、粘獣ねんじゅうに最初に取り込まれて重症の奴から大柄なボゥグルまで、体に張り付いている奴をなんとかしないといけない。特に最初に取り込まれた奴は、粘獣ねんじゅうが青黒く染まっていて、恐ろしいありさまだ。剥がしたら、肉とか骨とかが見えちゃうんじゃなかろうか。


 粘獣ねんじゅうが普段どんな物を食っているのかは知らないが、間違いなく湿ったところを這いずり回って、いろんなものを食いちらかしているに違いない。だから不潔極まりない生物のはず。早く排除してやらないと、感染症も気になる。


 だけど剥がそうにも、こいつらに触ったら、触った方まで食いつかれる。今も悲鳴を上げ続けるボゥグルたちの体に張り付き、ミチミチと不気味な音を立てながら徐々に食い破り続けているこの不定形生物、一体どうしたらいいだろう。


粘獣ねんじゅうは火も氷もほとんど効かねえ。多少なら擦り落とすなりすればいいが、一度に大量に張り付かれたら、そこを切断しなきゃ骨になるまで食い尽くされる。こいつらはもう……」


 アイネの言葉に、「そんなはずがないだろ、コイツだって生物なんだから!」と、焚き火にくべられていた、燃える木の枝を取り出す。


「熱いぞ。熱いけど、我慢してくれ……!」


 ボスが俺の処置を受け入れれば、きっと子分たちもいうことを聞くだろう。そう思ってボスの腕に火を近づけようとしたら、大柄ボゥグルは、最初に粘獣ねんじゅうに取り込まれた奴を先に処置するように促した。

 なるほど、ボスはボスらしく、子分を優先する矜持があるらしい。


 火を近づけると、子分はうめき声を上げる。食いつかれて痛む上に、火傷を負うような熱源を近づけられたのだ。だが、弱々しいうめき声からも、限界に近いのかもしれない。


「我慢してくれ……こういう生物は熱に弱いって、相場が決まってるんだ」


 いや、どんな生物だって、大抵は高熱にさらされるとタンパク質が凝固して生きていられなくなるもんだ。地球の常識だけどさ。


 火をさらに近づける。ボゥグルの、か細い悲鳴。途端に、周りの子分たちが唸り声を上げる!

 だがボゥグルボスが吠えてみせると、子分たちは大人しくなった。


「……やっぱりだ!」


 ボゥグルの皮膚にまとわり付いていた青黒く染まっていた粘獣ねんじゅうの一部が、火を近づけた部分だけのたうち始め、白く変色していく!


「……うわっ!」


 すると、まるで白く濁った部分を切り離すかのように、粘獣ねんじゅうが一斉に蠢き出し、そしてばらばらになって、火を避け始めたのだ!


 ──こいつ、一匹じゃなかったんだ!

 ぶん殴ると分裂した破片が個別に襲ってくるんじゃない。

 元々こいつは、ばらばらの生物なんだ。

 より集まって一匹・・なっていた・・んだ! 地球の海に住むヒドロ虫が集まって、「クダクラゲ」とか「カツオノエボシ」とかのクラゲ状の生き物になるかのように!


 俺は少しずつ、火を近づけては焼いていく。熱から逃げるように地面に落ちて行くものは、アイネたちが待ち構えるようにして焼いていく。

 だが、そうでない場所は構わずに食われ続けているのだ。焦ったい時間が続く。


 粘獣ねんじゅうに食い破られた皮膚はぼろぼろで、無数の小さな穴が掘られているといったようなありさまだった。やはり、このまま放っておいたら何かの感染症にかかってしまいそうだ。

 消毒をしたほうがいいだろう。どんなところを這いずってきたか分からない生物に、全身を齧られているのだから。


 もちろん、俺の常識に基づいた衛生観念なんて、この青い肌の子鬼たちには全く通じないかもしれない。だけど、血の色は違っても、血液で生きている生命体なら、感染症だってあるだろう。


 ぐずぐずとした血まみれの皮膚には、まだ粘獣ねんじゅうが潜んでいるかもしれないが、俺はとにかく消毒をすることにした。


 ポーチから消毒用アルコールの瓶を取り出すと、ボスに向かって、身振り手振りを加えつつ説明した。これはとても痛いが、傷が悪化しにくくなる薬だと。


 念のため、さっき粘獣ねんじゅうに噛まれたところにかけてみせる。

 ──ああ、しみる!

 派手に顔をしかめてみせるが、自分の傷口に振りかけてみせたことで、一応、信じてもらえたらしかった。


 慎重に、傷口に垂らす。


「────ッッ!」


 声にならない悲鳴を上げるボゥグル。それを見たボスが、俺をものすごい目で睨みつけてくる。だが、何も言わなかった。だから俺も、ひるむ訳にはいかない。少しずつかけ続けていくと、不思議なものを見つけた。


 アルコールをかけたとたん、皮膚の一部がうねりだし、白く濁って、ぽろぽろと落ちていったのだ。


「ボゥグルの皮膚はアルコールに耐えられないのか?」


 アイネに聞くと、彼は顔をしかめた。


「まさか。人間から酒をくすねて飲むような連中だぞ?」


 それを聞いて、俺ははっとする。悶えるような動きで白くなって、剥がれ落ちていくって、ひょっとして……!


 俺はすぐに、しっかり目を閉じるように言い聞かせ、粘獣ねんじゅうに覆われたボゥグルの顔にアルコールを垂らした。


「オオ……! ナンノ術ダ、コノ薬ハ……!」

「ね、粘獣ねんじゅうが、こんな、簡単に……!」


 ボゥグルのボスとアイネが、二人して目を丸くする。


 ──効果は絶大だった。あっという間に白濁しながら、粘獣ねんじゅうはウジ虫が悶え苦しむように、ばらばらになってこぼれ落ちていく!

 まさか、消毒用の高濃度アルコールが、焼いても凍らせてもなかなか倒せない難敵の攻略法になるなんて! 


「よし、他の奴らもこっちに来い! しみて痛むだろうが、これが粘獣ねんじゅうへの特効薬だ! リトリィ、フラフィー、アイネ! 出発前に渡した消毒薬を、かけてやってくれ!」



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