第692話:共闘(2/2)

「ムラタ! 念のために聞くが、殺しちゃいねえだろうな⁉」


 切羽詰まった様子で聞いてくるフラフィーに、俺は怒鳴り返した。

 

「そんなの分かるか! 少なくともとどめを刺すような余裕もないってくらいしか……!」


 脛とふくらはぎがひどく痛む。腹を殴られた時の痛みも、痛みというより気持ち悪さでまた吐きそうだ。


「だったらいい! こいつらをもし殺してたら、ウチの家は無くなっていたところだ!」

「どういう意味だよ!」


 しかし、その問いに答えはなかった。

 リトリィが総毛立ち、叫んだからだ。


「あなた、にげてっ!」


 返事をする間もなかった。

 俺は突き飛ばされ、たまたま近くにいた邪小鬼ボゥグルを巻き込んで派手に転倒する。


 なぜ突然突き飛ばされたのか。

 何があったのか。

 何も分からないまま、俺は立ち上がろうとして、


 俺とリトリィとの間に、水っぽく柔らかいものが叩きつけられるような音がして、巨大なゲル状の何かが、ずるんと降ってきたことに気が付いた。


 そのゲル状の物体の着地に巻き込まれたと思われるボゥグルが、強烈な悲鳴を上げた。


 身悶えしながらゲル物質から逃れようとするが、そいつはまとわりついて離れない。必死に顔から引きはがそうとしている。

 だがその顔から、粘液は離れない。恐ろしい悲鳴が、ボゥグルの口から放たれる。


「──粘獣ねんじゅう⁉」


 リトリィの悲鳴に、俺はこの粘液の塊を凝視する。

 親方は言っていた、俺を引き上げたところのそばで亡くなっていた遺体の損傷具合から、粘獣に襲われたのではないかと。


「こ、こいつが……!」


 断末魔のような悲鳴を上げ続けるボゥグルを徐々に取り込むようにしながらにじり寄っていくそいつに、俺は、某国民的RPGの青い雑魚的とはまるで違うことを思い知らされた。


 ひるむボゥグルたち。一匹が逃げ出そうとし、しかしそいつに対して鞭のようにしなる触手のようなものが伸ばされ、あっけなく捕まる。


 ボゥグルは、自身をとらえた触手に必死の形相で殴りつけた。だが、今度はその手も絡めとられ、身動きが取れなくなってしまったようだった。聞くに堪えない絶叫が追加され、周りのボゥグルどもが色めき立つ。


 一匹が、捕まった仲間を助けようとしたのだろうか。石を握って飛び掛かったが、これもまた、あっさり捕まってしまった。すさまじい悲鳴がさらに付け加えられる。

 ここに居たら俺も食われる! 立ち上がろうとすると、アイネが叫んだ。


「ムラタ! 粘獣ねんじゅうはこっちの動きに敏感なんだ! 走ったりするとかえって捕まる、ゆっくり逃げろ!」

「ゆっくり逃げろって……」


 ずるり、ずるりと、アイスクリームが融けて広がっていくように、この怪物は体を広げていくようだった。こいつに気づかれない程度の速さで、しかし急いで逃げないと、俺もあのボゥグルのようになってしまうということなのか。

 しりもちをついたまま、足だけで後ずさるように、徐々に距離をとる。


 その時だった。

 さっき、リトリィをとらえようとしていたあの大柄なボゥグルが、太い木の枝のようなものを手に、粘獣に襲い掛かったのだ。他の連中が逃げ出そうとしているというのに。


 大柄ボゥグルは、その動きに反応して伸ばされた触手を木の枝で打ち払うと、仲間を助けようとして捕まったボゥグルを捕らえる触手に木の枝を打ち下ろし、叩き潰す!

 もっと弾力があるものかと思ったのだが、触手はゼリーのようにあっさりと潰れ、ちぎれて飛び散る。


「な、なんだ……いけるじゃないか!」


 俺は、いざとなったらやっつけられる、という安堵感と、しかしそれならボゥグルたちへの足止めになりそうにない、という落胆がないまぜになった奇妙な思いで、大柄ボゥグルが、仲間に絡みついている触手を引きちぎろうとしているのを見ていた。


 だが、それは大きな間違いだった。

 大柄ボゥグルが引きちぎって投げ捨てても、絡みついた触手が一向に減らないように見えたのだ。

 正確には、まるで水を鷲掴みにしてすくおうとするかのように、一向につかみ取れないようだったのだ。


 奴がかろうじて引きちぎって投げ捨てたものの一部が、俺の方に飛んで来る。それを見て、俺はぞっとした。

 ちぎられた破片が、うねうねと蠢いている!


「こいつ……死んでいないのか?」


 つついてみた瞬間、指先に強烈な痛みが走る!

 噛みつかれたような、えぐられたような感覚!


「いっ……な、なんだこれっ!」


 あわてて地面にこすりつけて剥がすと、指の先から血が垂れてきた。指の先が、小さな小さな口で噛みちぎられたかのようにえぐれている!

 ……こいつ!

 今、本体からちぎれたばかりの、小指の先くらいの大きさの破片のはずなのに……噛みついてきやがった!


 やばい! こいつ、ただの単細胞生物とかそんなんじゃない! いま、粘獣に取り込まれている奴も、こうやって表面からかじられるように食われているってことか⁉


 だとしたら、親方から聞いたもう一人の人間の死に様も納得だ。さらに穴という穴から侵入して体内を食い荒らす、という話だった。恐るべき生態! それが、小さな破片一つでも食いついてくるのだ! へたしたら、叩き潰してちぎれた分だけ分裂して、それぞれが独立して敵になるんじゃないだろうか。


 ──だ、だめだ!

 もしそうだとしたら、このリーダーっぽい奴が暴れれば暴れるほど分裂して、手に負えなくなることになるぞ⁉


「フラフィー、アイネ! こいつは本当にやばい! そこのデカブツが暴れてこいつの気を引いている間に、とにかく逃げてくれ! リトリィを連れて! 早く!」


 恐怖のあまり声を張り上げることはできなかったが、それでも翻訳首輪の力を信じて、なんとか声を搾り出す!


 だが、それは逆効果だった。リトリィの悲鳴が届く。


「にげるなんて、いやです! わたしはあなたのおそばに……!」

「おまえは胎内はらの子を産むんだろ! 俺は大丈夫だ、まだ手はあるんだから! おまえが逃げるまで程度なら、きっと時間を稼げる!」

「いや……いやっ!」


 リトリィが泣き叫ぶように立ち上がった。


「わたしは、あなたのリトリィです! あなたのおそば以外に、いるべき場所なんてありません!」


 そう言って、こちらに駆け寄ろうとする。


「だめだ、そんな急に動いたら――!」


 さっきのボゥグルのように、粘獣の触手が反応してしまう──俺の、はずれてほしかった絶望的な予感。

 だが、現実は無情だ。

 リトリィに向かって、鞭のように伸びる触手!


 一瞬のことだった。

 

 俺は、声も出なかった。

 息を呑むしかできなかった。


 彼女の前に立ちふさがった影。

 それは、大柄なボゥグルだったのだ。

 今だに触手の残骸に絡みつかれて悲鳴を上げ続ける奴らをつかんで後ろに放り投げると、リトリィの前に立ちはだかり、触手を左腕で受け止めたのだ。


 太い触手に腕をからめとられたそいつは、ひどく顔を歪め、だがリトリィの前から動かずに粘獣ねんじゅうを睨み据える!


「……クソがっ!」


 アイネがリトリィを抱きかかえて体を倒し、フラフィーが山刀で、ボゥグルの腕に絡みついた触手を切断する。

 想像以上にあっさりと切断されてその大柄ボゥグルは自由になったかに見えたが、そいつの腕に絡みついた触手は、腕にへばりつくように形を変え、さらに胴に向かってうぞうぞと自身を広げてゆく!


 青黒く染まっていく粘獣ねんじゅう

 体中あちこちが同じように侵食されながらも、そいつは仁王立ちのまま、リトリィの前から動かない!


「おい、お前! 早く腕のヤツを振り払え! そのままじゃ腕がなくなるぞ!」


 フラフィーが叫ぶが、ボゥグルは聞こえないかのように咆哮を上げると、粘獣ねんじゅうの本体に木の枝を振り上げた。


 ──まずい! 今、そんなことをされたら、叩き潰される衝撃で粘獣ねんじゅうが何体にも分裂してしまうかもしれない!

 そんなことになったら、敵が余計に増えることになる!


「やめろっ! そいつはぶん殴ったって無駄だ! 逃げるんだ!」


 通じるはずもないことを思わず叫んでしまう。むしろ、共倒れを期待して逃げるべきところだったのに。


 その時だった。


『ダッタラ、立テ! 犬ノハラ、オマエノナラ!』


 それは、確かに言葉だった。

 大柄なボゥグルが、

 俺に向かって、

 叩きつけた言葉。


「た、立てって……」

『メス、、守ルハ、オスノ仕事!』


 そう言って、奴は再び粘獣ねんじゅうに襲い掛かる!

 周りの小柄なボゥグルも、それぞれ手に様々なものを握って、大柄ボゥグルに続くように粘獣ねんじゅうに襲い掛かった。


 だが、巨大な粘液の塊に、やはり打撃は効果が無いように見えた。むしろ攻撃した側のボゥグルたちが、逆に襲われる。それでも、連中は止まらない!


 俺は歯噛みした。

 よりにもよって、自分たちを襲い掛かってきた奴に、守られた。

 俺の大切な大切な女性を。


 大柄な奴が、顔に張り付いた粘獣ねんじゅうを剥がしもせずに、リトリィの前から動かずに棍棒を振り回し続ける。すでに体の大半は粘獣ねんじゅうに覆われているというのに!


 ……ああ、くそっ!

 その、リトリィの救いを求めるような目に、俺ができることなんて、これくらいじゃないか!


「そこのでかい奴! あんたも含めて、仲間を下がらせろっ!」

『……メスヲ守ル、オスノホマレ!』


 大柄ボゥグルは、そう言って戦うのをやめない。

 ええい、クソッ!

 俺はポーチの中にあった、もう一つの陶器瓶を手に取った。瀧井さんから二本ずつもらった、悪臭液と目くらまし。特に後者は、あの閃光ならばきっと温度も高かったはず!


「どけ! さっきお前らの目をいた方法を、その粘獣ねんじゅうに使う! 巻き添えを食らっても知らねえぞ!」


 粘獣ねんじゅうには、火が効かないということを親方から聞いている。だけど、全く効かないということもないはずだ!


 確かにあのクラゲか何かのような水分量の体だ、一瞬で炭化させるのは難しいだろう。

 木材と一緒だ。内部まで一瞬で熱を伝えることは難しく、沸点以上になることもなく、だから表面ばかりが死んで、しかし本体がしぶとく生き残り続ける、ということなのかもしれない。


 だが生物なら、少なくとも表面を焼くことはできるはず! それは、決して無意味じゃないはずだ!


 こちらが何を仕掛けようとするのか、今の言葉で伝わったらしい。大柄ボゥグルが何かを叫ぶと、小柄たちも一斉に身を引く。粘獣ねんじゅうはいくらかの触手を伸ばしたが、ボゥグルたちは訓練されていたかのように、素早く身を離した。


「効いてくれよ……みんな目を閉じろっ!」


 小瓶の蓋を取る。途端に熱くなる小瓶を、俺は怪物に向かって一気に振った。


 バヂバヂバヂバヂッ!


 目を閉じていたというのに、まぶたを貫くようなすさまじい閃光!

 じゅうぅ、と焼き肉を焼くような音がして、触手を伸ばしかけていた奴が、ひどく委縮したのが分かった。


 やっぱり、即死させるのが難しいだけだ! ちゃんと熱のダメージは効いている!

 いける、いけるぞ!



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