第691話:共闘(1/2)
俺は思わず身を起こす。
「間違いない、俺のリュックだ!」
俺の突然の行動に、リトリィも驚いたようだった。
「……あなた?」
俺は興奮のままに立ち上がると、その木の下に駆け寄った。
──やっぱりだ! 確かに、ぶら下がっている!
もう二年も前に、なくしたと思っていたもの──曲がりくねった太い枝に引っかかるようにして、空中にぶら下がっている、それ!
ポリエステル繊維でできた、丈夫だけれど、くたびれた黒いリュック──俺の、仕事道具が詰まった鞄!
ジャンプしても手が届かないけれど、確かにそこにぶら下がっているのは、俺の愛用の鞄だった。
「……あなた?」
困惑気味のリトリィに、俺は飛びついた。
「きっと『ここ』なんだよ、リトリィ! 俺が、この世界に、落ちてきた場所!」
「あ、あの……?」
「そりゃ、
瀧井さんの転移ポイントからはずいぶん離れているようにも感じるけれど、バーシット山周辺──惑星レベルの広さで考えれば、誤差の範囲内なんだろう。
ピンポイントでここに落ちてきた、とは限らない。転移した時点で、鞄と俺は別々の位置に落ちていたとも考えられる。
けれど、俺は今回、すばらしい偶然で、俺の大切なアイデアノートなどが詰まった鞄にたどり着くことができたんだ! それどころか、二年前の俺がこの鞄を回収していたら、きっと川に落として完全に紛失していたに違いない! まさに奇蹟だ、こんなに嬉しいことはない!
ここから見上げた限り、鞄自体に傷は見られないようだ。だったらきっと、中身も無事に違いない。タブレットはとうの昔にバッテリが切れているだろうけれど、中のノートや資料本は無事だろう。
ただ、手が届かない。登るにしても、難しそうだ。どうやったら取れるだろう?
「……あのかばんは、あなたのものなのですか?」
「ああ、まちがいないよ!」
そう言って俺は、荷物のところに置いておいた九九式小銃を取ってくる。念のために銃剣も着剣し、えいやっと伸ばしたが、鞄の下の方をわずかにつつく程度で、それ以上届かない。
「あなた、とれそうですか?」
「くそっ……もう少しなんだけどな!」
俺は舌打ちをして、どうしようかと思案した。
多少、中身に傷がつくことは覚悟のうえで、銃剣の先にナイフを括りつけて鞄を切り裂いてやろうか、などと考える。
「あなた、わたし、登って取ってきましょうか?」
「……え?」
「こう見えてもわたし、木登り、苦手ではないんですよ?」
胸の前で、小さくガッツポーズみたいなことをしてみせるリトリィに、俺は目が点になる思いだった。
……リノなら分かるが、どう見ても犬の姿のリトリィが、木登り。
すさまじい違和感。
でも、やってくれるなら……と一瞬思ったが、お腹に赤ちゃんがいるリトリィに、お腹を圧迫しそうなこと、させるわけにはいかないだろう。
「いや、いいよ。あの鞄に穴を開ければ、中身を取り出せるだろうし」
「で、でも、だんなさま。せっかく持ち物がみつかったのでしょう?」
「いいんだ。大事なのは中身なんだからさ」
そう言って腰のナイフを抜き、銃剣に括りつけようとしていた時だった。
ばっ、とリトリィが背筋を伸ばす。
耳をせわしなく動かし、森の奥を凝視する。
普段はふかふかでもふもふのしっぽが、ぱんぱんに膨れ上がる。
「……あなた! なにかがきます!」
「なにか? ……熊か何かか?」
聞きかけた俺の声をかき消すような、アイネの咆哮が森に響く。
「兄貴ぃぃいいいいいっ!」
その咆哮の方に向かって、リトリィが駆け出す!
「あなた、どうか、そこにいてください! けっしてこちらには来られないよう!」
「なんだ⁉ なにがあった!」
「おねがいです、あなたはそこで、待っていてください!」
あっという間に、木々の向こうに金色の姿が消える。
──待っていろ、だって?
アイネの叫びが聞こえたというのに?
妊娠中の妻が、切羽詰まって走って行ったというのに⁉
俺は小銃を抱えると、リトリィが消えた森の奥に向かって走り出した。
「ちくしょう! クソが、離しやがれっ!」
腕を赤く染めたフラフィーが、腕にまとわりつく何かを引きはがそうと必死になっている。
「兄さまっ!」
リトリィが足元にまとわりつくそいつらを蹴り飛ばすが、その長いしっぽに数匹で群がられて悲鳴を上げる。
なんだ、あれは。
ひとの子供──ニューやリノよりもさらに小さな、ヒトのような何か……わらわらとフラフィーやアイネ、そしてリトリィに群がっている、あの存在は!
青黒いごつごつとした肌。
振り乱される、灰色の髪。
らんらんと、赤く光る眼。
昔話の魔女のように長く垂れている鼻。
獣の毛皮のようなものをまとっているが、服というよりも戦利品を巻き付けただけといったようなありさまだ。
そいつらは、汚れと脂にまみれた、醜悪な姿をしていた。
「なんなんだ、こいつらは!」
悲鳴を上げた俺に、アイネがリトリィのしっぽに群がる奴の一匹をつかみ上げながら叫んだ。
「見りゃ分かるだろ!
「分からねえよっ!」
分からないけど、つまりはゲームや漫画でいうところのゴブリンみたいなものか⁉
「なんでこんなことになってるんだ!」
「仕方ねえだろ、連中の縄張りと知らずに入っちまったんだよ!」
そのとき、さらにリトリィの悲鳴が上がる。
彼女のふわふわの、長い金色のくせっけ。それに、一匹のボゥグルがぶら下がっていたのだ。さらに彼女の腰や腹に飛びつく連中を見て、頭に一気に血が上る!
「この──離せっ!」
思わず腰のナイフを抜こうとした俺に、フラフィーが血相を変えて叫ぶ。
「馬鹿野郎、やめろ! 殺す気か!」
はっとする。素人が刃物を振り回してもろくなことにならないことに気づかされ、俺は銃を手に取ると、
「あなた、だめっ!」
リトリィの悲鳴。
同時に、どすん、と固くもあり柔らかくもあるようなものを殴りつける感触。
短い不気味な悲鳴と共に、リトリィから、そいつが吹き飛ぶ。
奴がつかみかかっていたところが、泥のようなもので汚れている。だが、まずは一匹、引きはがすのに成功だ!
だが、その瞬間、分かった。
ボゥグルどもが、一斉にこちらを見たのが。
「あなた、にげてっ!」
リトリィの、悲鳴に似た叫び。
「逃げてって、おまえを置いて逃げられるわけないだろ!」
「ちがうの、あなた! にげて、おねがいですから──」
そう言いかけたリトリィに、ボゥグル共がさらに群がる!
「いたっ……やめ、いやあっ!」
「リトリィっ!」
駆け寄ろうとした俺にも、青黒い小鬼どもが襲い掛かってきた!
「くそっ、どけよ! 邪魔するなっ!」
また一匹、銃床でぶん殴る!
俺の脚にまとわりついてきたヤツを振り払うと、リトリィの胸につかみかかっていた奴をぶっ飛ばす!
だが、その瞬間。
脛に強烈な衝撃! 俺は悲鳴を上げてしゃがみこんだ。
続いて腰、背中を殴りつけられ、肩に飛びつかれる。ぞっとして振り払ったが、髪をつかまれ引っ張られて姿勢を崩した瞬間、さらにのしかかられて転倒した。
「あなたっ! いや、だめ、にげて! そのひとをはなして、おねがい──」
リトリィの悲痛な叫び声。
俺のほうに手を伸ばし、だが彼女もバランスを崩して転倒する。
仰向けに倒れた彼女にのしかかる子鬼ども……!
「てめえらっ!」
必死に身を起こそうとするが、連中から一斉に殴る蹴るの洗礼!
「くそっ! どけ、どけよっ! リトリィ、リトリィっ!」
伸ばした腕につかみかかられ噛みつかれ、俺はたまらずに振りほどこうとしたが、歯が食い込むすさまじい激痛!
布を裂く音、ひとの体を殴る鈍い音、「やめて、お腹は、お腹だけは……っ!」という悲鳴。
俺は逆上し立ち上がろうとして、腹を強かに殴られる。
腹の奥から苦いものがこみ上げ、吐き散らしたところを、さらにふくらはぎを殴られて膝を地面につく。
リトリィの泣き叫ぶ声が耳に突き刺さるというのに、愛する人が目の前で襲われているのに、立ち上がることができない俺。
まただ……また奪われる!
どうして、俺はいつも……!
「ムラタっ! おい、立て! 死にてぇのか!」
どすどすと荒い足音がして、俺は無理矢理に引き起こされた。
「……アイネ!」
両腕に一匹ずつぶら下げ、さらに足回りに何匹もまとわりつかれているというのに、その丸太のような腕を振り回し、俺に群がっていたボゥグルどもを引きはがす。
「馬鹿野郎、ヒョロガリのくせに何やってんだてめぇは!」
「アイネ、リトリィが!」
「そっちは兄貴が──ぐっ!」
言いかけたアイネが顔を歪める。
「──クソがっ! ムラタ、走れ!」
「走れって──そんなことできるかっ!」
アイネの背中に張り付き肩に噛みついていた奴をぶん殴ってはぎとった。
「すまねえ、ってオイ、馬鹿野郎!」
そのままアイネの制止も聞かず、リトリィのほうに走る!
リトリィは、フラフィーに助け起こされようとしているところだった。
だが、群がる小鬼どもに阻まれて手が届かない!
「リトリィ! ちくしょう、どけっ!」
そして俺は、ひときわ体格の大きなボゥグルの姿を目にしてしまった。
お腹を両手でかばうようにして身をかがめているリトリィを、後ろから、そのお腹に手を回そうとするかのようにする、その姿を!
勝ち誇るように腕を上げ、周りに向かって叫ぶ姿に、まわりのチビどもはリトリィからさっと身を離す。その姿は、彼女を手に入れ所有権を主張する頭領かなにかのようだった。
全身の血液が沸騰したかのような感覚だった。
「俺の女から離れやがれッ!」
足元にいた一匹を蹴り飛ばしてバランスを崩しながらも、俺は両手で小銃を握りしめると、
「あ、あなた……!」
「逃げるぞ! フラフィーもだっ!」
俺はポーチに手を突っ込むと、手に触れた筒を取り出す。
「糞小鬼ども! これでも食らいやがれ!」
瀧井さんからもらった、護身用の悪臭液!
油紙に包まれた蓋を引き抜くと、ビリッと音がして何やら粉末が飛び散る。急に発熱し始めた筒に驚くが、背後に向かって中身も見ないで一気に振りかける!
俺の知る限りにおいて最強の男──
──と思ったら違った! 間違えた!
バヂバヂバヂッ!
そこだけ昼間になったかのような、すさまじい閃光!
小汚い悲鳴!
「あっちぃ!」
「馬鹿野郎、ムラタ! てめぇ、なにやりやがった!」
まともに見てしまったらしいフラフィーが、目を押さえてうめく。
アレだ、こっちは門外街攻防戦の最後、自宅で間違えて使ってしまった、鉄粉の急激な酸化による目くらまし──だと思うけど、それ以上のナニか! 瀧井さん、なんだよこれ!
ただ、フラフィー以上にボゥグルどもにはこの閃光が強烈だったようで、連中、目を押さえてのたうち回っている。ひょっとしたら連中、暗いところで生活する生態なのかもしれない。
だが、チャンスだ! 俺はリトリィの手を引っ張っぱり抱き寄せる。
「あなた……っ!」
「リトリィ、ごめん! また怖い思いをさせた! フラフィー、アイネ! 無事か!」
「無事か、じゃねえよ! まったく、とんでもねぇ奴だよ、おめぇは!」
さっきの閃光を、目を焼かれるほど直視していなかった連中が、俺たちを取り囲む。が、警戒しているのか、やや距離を置いているようだ。一発逆転、とはいかなかったが、群がられてどうしようもなかったさっきの状態よりずっとましだ!
よし、これなら何とかなるかもしれない!
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