第684話:「楯の君」の愛に

 とりあえず言えること。

 赤ん坊の引力はすごい。


 シシィとヒスイは、なりこそちっちゃいのに、大人に対する引力というか吸引力というか。とにかく訴求力がすごいのだ。二人がいるところに、大人が吸い寄せられていくのである。


「……ばぁ~っ!」

「アイネの馬鹿野郎、泣いちまったじゃねえか代われ、オレがモーナで鍛えた愛嬌を見せてやるぜ!」

「フラフィー、馬鹿やってねえでとっとと今日の火を入れてこい。アイネ、お前もだ。──まったく……。ホレ、じぃじが来てやったぞ」


 あのいかつい野郎三人組がこのざまである。

 腹へ胸へ、そうしてのどへ、声にならない叫びとなってこみ上げる、この気持ちは何だろう。


「ウチのが一番可愛いッ!」

「あーはいはい。ご主人、わかってるっスから。それよりさっきから乳、張ってるんスよ。さっさと飲ませたいんで、お義父とうさん、ヒスイを返してください」


 フェルミに詰め寄られてすごすごとヒスイを渡し、肩を小さくして鍛冶場に向かうジルンディール親方の姿をこの目で見ることになろうとは!




 家事を手伝う、久々の工房でリトリィが槌を振るう、親方にどやされる……なんだかんだで、穏やかに、だが慌ただしく時間は過ぎて行った。


 山の屋敷に滞在して三日目。


「あなた、短刀、研ぎ終わりました。錆止めも、し直しておきましたよ」

「ああ、ありがとう」


 リトリィからナイフを受け取ると、鞘から抜いてみる。

 リトリィが鍛えてくれたナイフの刃は、夕日を浴びて目を焼く輝きを示した。滑らかな刃は、触れただけで切れそうな鋭さを感じさせる。


「……あなた、本当に、森に行かれるのですか?」

「もちろんだ。フラフィーとアイネも協力してくれることだし」

「……わたしは、行ってはだめなのですか?」


 リトリィの真摯な瞳に、俺は息を呑む。


「……妊娠している君を連れて行くわけにはいかないよ」

「どうしてですか? 夫があやういところに行くかもしれないなら、妻のわたしもごいっしょするのは当然です」

「いや、でも……」


 リトリィは、俺の左の手を取り、腕を抱きしめるように訴えてきた。


「わたしは、あなたの『たてきみ』ではなかったのですか?」

「『たてきみ』?……君が?」

「……違ったのですか?」


 その眼差しがあまりにも胸に痛くて、俺はもう一度、聞いた。


「すまない、俺は『たてきみ』を知らないんだ。どうか、意味を教えてくれ」

「……わたしを左隣に置くことを許してくださっていたのは、そういう意味ではなかったのですか?」


 左隣に置くことを許す・・

 確かにリトリィは、気がついたらいつも左隣にいるようになっていた。特にマイセルが暮らしに関わるようになってからは、その傾向が強くなった気がする。


 そうか。彼女が隣にいたがることと、それを実現できるかどうかは別──つまり、「自分は隣にいることを俺に許されてきた」と言いたいのか。

 そして、左隣に常に控えているひとのことを、「たてきみ」と呼ぶのかもしれない。でも、なんで「たてきみ」なんだろう?


「左に仕えるものは、楯をもつものだからです。あなたの身を守るために仕える──それが、『たてきみ』です」


 ……そうだったのか!

 ということは、リトリィはずっと、俺の護衛か何かのつもりだったのか?

 

「……それから、もうひとつ意味があって。殿方にとって一番大切で、いつもおそばに仕えることを許されている女の子のことも、そうよばれるんです。『左』は、たいせつなひとのためにひかえる場所なんです」


 あ、やっぱりそういうことだったんだな。つまり「たてきみ」とは、主守る護衛とか、主守るべき恋人を意味する慣用句ってことなんだろう。


 いずれにしても、俺の左隣にいたいと思うリトリィがいて、

 それをなにも言わずに受け入れていた俺がいて、

 だからリトリィは、「ムラタに認められた最愛の女」であると自負してきた。


 彼女はずっと、無言で、しかし声高に主張し続けてきたんだ。自分こそが、このムラタという男に仕える女なのだと。


「……リトリィの想いはうれしいよ。だけど、危険が伴うかもしれないんだ。まして君は、やっとお腹に赤ちゃんを授かった身だ。お腹だって膨らんできている。君はここに残って、俺の帰りを待っていてくれ。俺は大丈夫だ、絶対に無茶なことはしないから」

「いやです! わたしはあなたのとなりに立つおんなです。結婚式で誓ったではないですか! わたしはもう、何があっても、あなたのおそばからはなれません!」


 そう叫ぶと、リトリィは俺を抱きしめて、強引に唇を重ねてきた。


「……わたしは、あなたのリトリィです。あなたのおそばが、わたしの居場所です。あなたは約束してくださいました。わたしの居場所は、あなたがつくってくださるって。だからわたしは、はなれません。まして、すこしでもあぶないところにいくとおっしゃるのなら!」


 瀧井さんの、苦笑しながらの言葉──『獣人は情が深い』を思い出す。こんなところでも、彼女の情の深さを思い知ることになるとは。


「……リトリィ、聞き分けてくれ。俺は……」

「あなたの身をお守りするのも、妻たるわたしのお役目です! あなた、わたしのためを思うとおっしゃるなら、まずわたしをおそばに置いてください! あなたに何かあったとき、一人であなたを思い続けながら泣いて暮らせとおっしゃるんですか!」


 あまりにかたくななリトリィの態度に、俺は言葉が続かない。確かにリトリィは頑固なところがある。とはいえ、まさかここまで聞き入れてくれないとは。


「リトリィ、俺は……」

「ムラタ、だから無駄だって言ったろ?」


 もう一度、説得を試みようとしたときだった。親方おやじどのが、苦笑いをしながら、鍛冶場のほうからやってきた。


「オレの娘の頭の固さは、おまえさんが一番よく知っているだろうに……ホレ、おまえさんの注文どおり、やっといたぞ」


 ジルンディール親方は、俺に向かって箱を投げる。大きさの割にずっしりと重いそれは、弾薬の入った紙箱。楕円の中に「九九式輕機關銃彈藥 九九式普通實包 十五發」と印刷されている。瀧井さんの持ち物だ、間違いなく、戦時中の本物。

 「九九式普通実包」──瀧井さんから預かった九九式小銃の弾だ。そのいくつかを、親方おやじどのに改造してもらったのだ。


「先がとがっているんじゃなくて、先の黄銅部分を開いて少しくりぬいて……。なんでこんなことをする必要があったんだ? 尖っていた方が強いだろうに」

「ありがとうございます。こうすることで強くなるんですよ」

「尖っていた方が、貫く力が強いつぶて・・・になるだろうに。おかしなことを考え付く奴だ」


『ムラタ、ダムダム弾って知ってるか』


 いつもの、唐突に小ネタを披露する島津の言葉が思い浮かぶ。そのとき彼が話したのは、銃弾の話題だった。ダムダムという変わった名称が印象的だったが、彼の説明の本質は、別のところにあった。


 ホローポイント弾と、ソフトポイント弾。徹甲弾──いわゆる「フルメタルジャケット」ではなく、先端部分に意図的に穴があけられた弾と、先端部分に硬い金属がなく、鉛がむき出しになっている弾の話だった。


 ホローポイント弾は、着弾と同時に弾が穴から大きく裂けて大ダメージを与えるものの、貫通力に乏しい弾。

 ソフトポイント弾は、弾の先端が大きく潰れて、ダメージの増加と、ある程度の貫通力を両立させた弾。


『特にホローポイント弾ってのはさ、花が咲いたみたいにエグい形になって、人体にすげぇダメージを与えるんだ。人間の発想ってすげぇよな』


 着弾した弾の画像を見せてもらったが、そのあまりの変形ぶりに、こんなものが着弾時に体内で爆ぜたら、内臓がぐちゃぐちゃになってしまうだろうと、ぞっとしたのを鮮明に覚えている。しかし、まさかそれを自分が求めることになろうとは思わなかった。


「今回は、凶暴な動物が相手になるかもしれませんから」

「凶暴な動物ねえ……。そういうときは、戦うより逃げるべきだと思うがな。それよりもだ」


 親方は、あきれたようにリトリィを指差した。


「そんなこと言ったら、コイツがますます意固地になるって、なぜ分からん」


 言われてはっとする。リトリィはますます決心を固めた様子だった。


「だんなさま。それほどの決意だったのなら、わたし、どんなことがあってもおそばをはなれません。なにがあっても、だんなさまをおまもりいたします」

「……な? あきらめろ。親のオレが言うのもなんだが、言い出したら聞かねえコイツの性格は、もう十分に分かってるだろう?」


 苦笑いの親方を見ながら、俺は彼女の愛の重みを実感する。

 自身をたてきみと定め、愛し、愛される存在であると自負するリトリィの、捧げてくれる愛の重みを。



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