第682話:居場所はここに

 ごわごわするわらベッドの感触はひさしぶりだ。この、光がほぼ挿し込まない暗い部屋の中で、リトリィはずっと、俺を抱きしめ、温め、そして生命の世界に呼び戻してくれた。

 あの時と同じように、俺たちは今、互いを抱きしめあっている。


 二年。

 本当に色々なことがあった。

 ふかふかの彼女の体を抱きしめながら、思い出すことがたくさんある。

 たくさんすぎて、頭が追い付かないくらいに。


「……あなた、おやんちゃさん・・・・・・・が苦しそうですよ?」


 いたずらっぽく笑ってみせた彼女が、そっと手を伸ばしてくる。甘い吐息を感じて、俺はぐるぐると駆け巡っていた脳内のものを、全て放り出した。今はただ、彼女を感じていたかった。


 毛布のようにふかふかの彼女の体。

 穏やかなまなざしだが、犬とほぼ変わらない顔。


 俺はどうして彼女を、こんなにも素直に受け入れることができたのだろう。

 少なくとも、「ヒト」とはここまでかけ離れた容貌の彼女を。


『俺は必ず大学で、ケモいメイドさんをつくり出す道を探り出してやるぜ!』


 漫画・アニメオタクの島津は、木村設計事務所を退職する日、拳を天に突き上げて宣言した。設計士としてはともかく、ひととして色々アレなところも多かったあいつだが、彼に布教されまくったおかげなのかもしれない。獣人キャラの可愛らしさとかメイドさんの魅力とか……いつの間にか洗脳されていたのだろうか。


「君が魅力的過ぎるんだよ」

「……そう言ってくださるあなたとめぐりあえて、わたしは、ほんとうに、しあわせものです……!」


 そう言って、薄い唇を重ねてきた彼女。

 そういえば、彼女とのキスは、山にいる間はいつも主導権を奪われていた。経験がなかったから当然といえば当然なのだが、それに加えて彼女の舌は俺よりもずっと長いから、すぐに俺の口の中を彼女の舌に占領されてしまっていたものだった。


 もちろん、あの頃の俺とは違う。彼女と愛し合うようになってからの俺は、少しでも彼女を悦ばせたいと思い、試行錯誤を繰り返してきた。


 けれど、結局は彼女が楽しめることを第一に考えるようにするのが一番だ。彼女が乱れ、悶える姿を堪能しながら愛を交わし合うことほど、すばらしい体験はない。

 わずかに差し込む月明かりを背景に、爛々と目を輝かせ、俺の上にまたがって来た彼女が求めること、それに応えるようにするのが俺の役割だ


 彼女の居場所をつくる、それが俺の役目。

 ならば、彼女の居場所は、俺の隣なんだ。




 落下独特の浮遊感。

 たまに夢で見る、あの、足を踏み外す感覚。

 あれが、延々と続くのだ。

 全身がおぞけだつ感覚。


「──っっ!!??」


 ふとんを思い切りまくり上げ、目を覚ます。


「──あ?」


 布団?

 いつものふかふかな布団とは違う布団をかぶっている。布団というより、薄い布地。

 目の前の石のような壁は、壁紙も張らない打ちっぱなしのコンクリート──ではない。

 簡素な、石壁の部屋。石というか、ブロックを積んだ部屋のようである。強いて言うなら倉庫と呼ぶべきか。木の内装が主体の我が家に、こんな部屋はない。


 天井自体も低いが、窓がやたら天井付近に、横に細長く作られている。照明は無く、明かりは、その窓から差し込む光だけだ。


 まぶしい。ちょうど身を起こして背筋を伸ばしたその高さに、窓からの光がぶつかる。伸びていた背筋を丸めて下を向くと、日光から逃れることができた。右側は壁になっており、そこに細長い光の筋が三本、通風雨戸のスリットの数だけ浮かび上がっている。


 体を起こそうとして手をついたそのとき、柔らかく温かいものに手をのせてしまっていた。

 金色の毛布──と思っていた塊だが、それにしては柔らかすぎるゴムボールのような感触。だが、ふわふわの感覚は間違いなく、毛の長い毛布そのものだ。


 自分の隣には、金色の毛布のような塊。

 だけど、その柔らかく滑らかな感触、そしてやや硬い、つんと尖った先端は、十分すぎるほど慣れ親しんだ感触だ。


「ふぁう──?」


 金色の毛布……ではない。もぞもぞと起き出したのは、俺をこの世界で目覚めさせてくれた、世界で最も愛するひと──リトリィ。


「……おはようございます、あなた」


 全身を覆う金色の毛並みは、窓から差し込む朝の光を背景に、その輪郭が輝いているように見える。三角の耳はぴこぴこと動き、豊かな毛で覆われたふかふかのしっぽをふわりと動かしてみせた彼女は、にっこりと微笑んだ。


 いつもの家の寝室ではない──俺の、この世界での始まりの場所。

 リトリィと出会った、最初の部屋。

 山の鍛冶師たちの屋敷、その半地下室。


 ああ、ようやく頭がはっきりしてきた。

 昨夜、リトリィとたっぷり愛を確かめ合ったあと、そのまま眠ってしまっていたようだ。やはり山登りによって、体は想像以上に疲れていたのだろう。


「……夜の間に、お部屋にもどるつもりでしたのに」


 そう言って微笑む彼女。

 そんな彼女は、以前、この屋敷で暮らしていたころの服装だった。

 簡素な、大きなバスタオルのような形の布の真ん中に穴をあけ、そこに頭を通し、腰の位置で帯紐を巻くだけの、極めてシンプルな服。

 下着は、腰の片方で結ぶタイプの紐ショーツが一枚。もちろんブラジャーなんてない。


 ああ、本当に、出会った頃の彼女だ。

 昨夜、リトリィの部屋から出てくるときに、彼女が手にしていた布の塊が、今着ている服だった。昨夜に一度愛し合ったあと、彼女がおもむろにそれを着たのである。


 簡素な貫頭衣は、布を羽織るだけの単純すぎる服。ゆえに、サイドに生じる大胆なスリットは、男の目をくぎ付けにして離さないだろう。

 くせのある金色の長い髪、ふかふかの金色の体毛に包まれた体。

 服を内側から押し上げる、妊娠してさらに大きく膨らみつつある胸と、その尖端。そして、丸みを帯びてきたお腹が、以前とは違うところだけれど。


 それでも、彼女だ。

 差し込む朝日を背景に、例えようもなく美しく輝く、俺の、最愛のひと。

 まぶしいのは、朝の光のせいだけじゃない。

 その彼女を独占できるのは、俺だけなんだという、優越感。


「……いつもどおりに起きることができたんだ。そっと部屋に戻ろうか」


 そう言って起き上がろうとすると、リトリィがきゅっと、手を重ねてきた。


「あなた……もうすこし、このまま、ふたりきりで……」


 向き直ると、切なげな青紫の瞳が揺れていた。


 思わず肩を抱き寄せる。たしかなふかふかの手触りを感じる。

 そのあごをなでると、彼女は目を閉じて、身を寄せてきた。

 ああ、温かい。彼女のぬくもりに、いやおうなしに気分が高まる。


 重なる唇。

 絡み合う舌。

 混じり合う吐息。


「……ムラタさん・・・・・


 リトリィが、目を細めて俺の首筋に、顔をこすりつける。


「ムラタさん……ああ、ムラタさん……」


 リトリィがよくやる仕草。

 でもいつも思うんだが、なにが楽しくてこんなことをするんだろう。

 あと、なぜ今、「ムラタさん」なのだろう。

 ふと気になって聞いてみた。彼女は結婚するときに、俺には嘘も隠し事もしない、という誓いを立てている。聞けば、必ず答えてくれるのだ。


 すると彼女は目を丸くして、次いで耳の先まで真っ赤になって、しばらく逡巡し、けれどあきらめたようにうつむき、そして教えてくれた。

 けっして、誰にも言わないでほしいと念を押した上で。


「その……獣人しぐさというか……なわばりの主張というか……」

「なわばり? このひとは自分のものだ、という意味かい?」

「え、えっと……その……」


 耳がぱたぱたと落ち着かない。これは隠したくて言い淀んでいる証拠だ。本当に分かりやすくて、可愛い。

 しばらく見つめていたら、今度こそ観念したように、俺の首元に頬をこすりつけながら続けた。


「……しるし付け、なんです。あなたのにおいを、わたしにつけてるんです」

「俺のにおいを、君に?」


 リトリィは、もはや開き直ったように俺の首筋を舐めながら微笑んだ。


「わたしは、このひとのものですよって……。だから、わたしに近づかないでください、この人に近づかないでください、このひとの仔を孕むのは、わたしですよって……そういう意味なんです」


 ……ちょっと衝撃だった。彼女が、俺の首筋から耳の後ろ当たりのにおいを気に入っていて、よく鼻をこすりつけるのは知っていた。

 だがそれだけでなく、なわばりの主張も兼ねていて、しかもその主張の仕方が、リトリィが俺を「所有している」という主張ではなく、リトリィが俺に「所有されている」ことを主張するためだったとは。


 俺はよっぽど驚いていたらしい。リトリィが、急に不安そうにぱたぱたと耳を動かしはじめる。


「ひ、ヒトはそんなこと、しないって分かっています。でも、でも、やっぱりわたしは、あなたのものでいたいから……!」


 真っ赤な顔でそう訴える彼女があまりにもいとおしくて、俺は彼女をベッドに組み敷いた。


「じゃあ、もうひとつだけ。どうして、俺を『ムラタさん』って呼んだのかな?」


 さらに顔が赤くなった。

 目をそらし、耳がぱたぱたとせわしなく動く。


「……その、あの……」

「その? あの?」

「……この部屋で出会ったころの、かわいらしかったあなたを、思い出して……」

「かわいらしかった、俺?」

「……その、わたしのおっぱいをじっと見て、でも見ていないふりをするとか、わたしの手の中で、出して・・・しまわれたこととか……」


 ぐふぅっ……!

 そういえばそんなこともありました!


「そ、それで、その……つい」


 目をそらす彼女に、俺は決心する。

 俺の成長ぶりを味わわせてやると。


 そう思って彼女を抱こうとした時だった。

 彼女が、いたずらっぽく微笑んでみせた。


「……あの、いたしますか・・・・・・? わたしでよろしければ──」


 ……そ、それは、初めて君と出会ったとき、男の朝の生理現象でテントを張っていた俺の股間を見て言った言葉じゃないかっ!


 あの時はもちろん、そんなこと、できるはずもなかったよ! なにせ年齢=彼女いない歴、経験値ゼロな俺だったんだから!


 それとその言葉は、自殺を図ったと思われた俺が、生き延びてしまったことを悲観して再度自殺を図ろうとした場合、彼女の体でもって防ぐために、親方が彼女に命じていたこと。ただ、あのときは彼女も処女だったし、おそらく口とか手で処理・・しようとしたのだろうけれど。


 だが、今の俺は違う。彼女の夫なんだ。

 彼女の毛並み、肌の感触、ひだの感触から奥のぬくもりまで全て知っている俺なんだ。


「……もちろんだ。致そう・・・じゃないか」

「ふふ、たくましくなられましたね、わたしのだんなさま……」


 いまでもヒョロガリの部類だとは思うけど、それでも君のために、たくましくならざるを得なかったんだ。


「……愛してる、リトリィ」

「ええ、わたしもですムラタさん・・・・・。……さあ、いらしてください」


 彼女の脚に手をかけると、彼女は自分から大きく開いてみせた。すでに彼女の期待を示すように、花弁からは蜜がとろりとあふれてきている。

 俺はその中の熱さを堪能するために、ゆっくりと身を沈めていった。



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