第680話:あの時に出会ったモノ

「あのとき──お前さんを拾ったときだ。一緒に拾ったモノがある」


 親方に促されて、俺は一緒に外に出た。

 空は美しい星空だ。いまの時期・時間帯は赤い月が中天にあって、やけに目立つ。


「本当は、教えるつもりはなかったんだが……ちゃんと生きていく覚悟ができているなら、教えてしまってもいいだろう」


 そう言って、屋敷の裏手に回った親方は、しばらく黙って歩き続けた。俺も一緒に歩く。


「……俺を拾ったのは、館のすぐ下の谷川だったのではないんですか?」

「お前さんはな」


 しばらく歩いて、畑の隅にたどり着いた。

 そこには木が生えている。


「見慣れた木だろう?」

「はい。確か、春になると花をつけるとか。結局、実際には見ていませんが……」

「ああ、そうだ。ヤマシェクラだ」


 親方は、小さく笑った。


「リトリィが、満開のシェクラの木の下で結婚式を挙げたい、なんて言っていただろう? 今となってはもう、無用の長物だがな」


 せっかく、植えてやったのにな──親方が、首を振る。


「親方、リトリィのために……?」

「どうだっていいんだよ。アイツはちゃんと、自分の夢を自分で叶えた。自分で相手を見繕ってな。だが、それでよかったのかもしれん」


 自分の手で道を切り拓いたリトリィを認めようというのかもしれない──そう思ったら、違った。


「こいつの下には、死体が埋まっている」


 シェクラの木の下に、死体が埋まっている?

 物騒な言葉に、俺は息を呑んだ。


「あれは、お前さんを拾った次の日のことだ。お前さんに関するモノが他にないか、探していてな」


 親方は、ヤマシェクラの木の幹に手を置いて、そして、谷川のほうに目を向けた。


「ちょうど、あのあたりだ。あのあたりで、もう一人、上がってたのを見つけたんだよ」

「もう一人、ですか……」


 もう一人、上がっていた──けれどもその一人を、俺は目を覚まして以来、見ていない。ということは、俺が目を覚ます前に息を引き取ったか、あるいはすでに死んでいたか。


「そうだな。死んでいた」


 親方は、こともなげに言った。


「……どんな人だったんですか? 顔は? 肌の色は? 背格好は? ……男性ですか、女性ですか?」


 同じ地球から転移してきたのか、それとも別の世界からやってきたのか。それが知りたくて聞いてみると、親方は頭をかきながら、苦笑いした。


「お前さん、本当に覚えてねえんだなあ。それとも、お前さんのアタマがのか」

「……どういう、意味ですか?」


 親方は、憮然として地面に視線を落とす。


「分からん」

「分からん……ですか?」


 覚えていないということか? そう思ったら、また違った。


「分からねえんだよ。ひどいありさまだったからよ」

「……ここまで流されて来るうちに、傷だらけになってしまったということでしょうか」

「馬鹿、だったらお前さんも傷だらけになって、ただじゃすまなかっただろうが」


 親方は、ため息をついた。

 しばらく、思い出したくないことを思い出すかのように顔をしかめていたが、ゆっくりと口を開いた。


「ありゃあ、粘獣ねんじゅうの仕業だろう。間違いない」

粘獣ねんじゅう……?」


 聞き慣れない言葉に、おもわず聞き返す。


「そうだ。粘獣ねんじゅうだ、あのありさまは」


 粘獣ねんじゅうとは、話をまとめると、要はスライムだった。

 つい、日本の国民的RPGの青い涙型のへらへら薄ら笑いを浮かべているアレを思い浮かべるが、実態はまるで違っていた。


「奴は知能があるのかどうか分からんが、動物やヒトの、穴という穴から侵入してくる。とくに顔は口、鼻、耳、目と、穴が多いからな。襲われやすいのさ」


 粘獣ねんじゅうは、半透明のゲル状の体を持ち、食らいついた獲物にへばりついて、骨だけ残して食らい尽くしてしまう、恐怖の怪物。特に、親方の言ったように、口や鼻、耳、目、肛門や性器といった、穴や脆弱な部分から生き物の体内に侵入して内臓を食い尽くしたあと、最後に外側まで食べ尽くしてしまうのだという。後には、綺麗に残った骨だけになるというから恐ろしい。


 想像するスライムとは全く違う恐ろしい性質に、俺は身震いする。専門の業者──たとえば冒険者などでない、一介の鍛冶屋の親方がここまで詳しく知っているということからも、その厄介さ、脅威が周知されているということなのだろうか。


「何を言ってやがる。鍛冶屋が、てめえの造る得物がどんな相手に効くか、知らずに作っていると思ってんのか」


 言われて納得だ。考えてみれば、農器具を作ったりもするけれど、ジルンディール親方といえば、接尾名「貢献者ディール」が与えられるほどの武器鍛冶師なのだ。冒険者たちが戦う相手についても知識が深いのだろう。


「当たり前だ。毛皮、甲羅、ぬめるやつ……色々いるが、何でもかんでも剣で戦う馬鹿でなければ、普通は武器を選ぶモンだし、形がはっきりしているヤツを相手にする武器なら、オレにも大抵、心得がある。特に冒険者からの注文には、気を配るところだ」


 親方は、どこか苦々しげだ。心得があるなら、自信たっぷりに語るところだろうに──そう思ったのだが、その理由がなかなかにやばかった。


「だがな、オレたちの作るモノじゃなんともならないのが、粘獣ねんじゅうってやつだ。斬っても叩き潰しても効かねえ、火もなかなか致命傷にならねえ。恐るべきヤツだ」

「火が効かない……?」

「そうだ。野生の熊と同じだ。奴らは火を恐れない」


 熊が火を恐れないということにも驚きだが、スライムに火が効かないというのも驚きだった。ゲームなら、定番の弱点のはずなのに。


「多少は焼けるようだがな? 焚き火とかなら、むしろ火に覆い被さるようにして消しちまう。多少は焼けるようだが、それだけだ。多少の火では、仕留めることはできん。全く怯まずに襲ってくるらしいぞ」


 基本的には湿ったところに好んで棲み付くが、水の中に棲むわけでは無いらしい。だが、種類によってはほとんど透明の姿で、水の中に潜んで獲物を待ち受ける、たちの悪いものもいるという。


「連中はまず、獲物に襲い掛かるときには布団をかぶせるように襲い掛かる。で、へばりついたところから、皮を剥ぐように食いつくんだ。──分かるか? お前さんの後にオレが見つけた遺体ってのは、まさにそんな感じだったんだ」


 中まで食われていなかったから、かろうじて逃げることができたのだろう、ただ、どのみち全身の皮を食い破られた状態で生き延びることは結局できなかったのだし、そもそもあの状態で、どうやって逃げおおせたのか分からない──とのことだった。


 想像するだに恐ろしい。全身の皮を食い破られ、男か女かも分からない状態にされたなんて! どこぞの愛嬌のある青いスライムとは似もつかぬ恐怖の存在なのだ、この世界のスライムは。


「それで、どうするんだ。仇討ちでもしに行くのか?」


 親方の、じろりと下からにらみつけるような目に、俺はたじろぎ、そして首を振った。


「……いいえ。俺が知りたかったのは、俺が崖から転落したあのとき、いったいそこには誰がいて、何があったかです」


 胸の奥のざわめきは収まらないが、俺は自分で言葉を選びながら、自分自身を納得させるように続けた。


「少なくとも、そのときの俺には、誰かが一緒にいて、そして怪物に襲われた。他の人たちはともかく、俺は生き残った──ということですね?」

「……まあ、そういうことだ」

「ありがとうございます。少なくとも、俺は一人でこの世界に来たわけじゃない──それが分かっただけでも、大きな収穫でした。ありがとうございました」


 俺は礼を言うと、あらためて星空を見上げた。


 赤い月は、ほかの月と比べて光が弱い。だからだろう、他の月が出ている時間帯よりも、星々が多く見える気がする。


 あのシェクラの木の下で眠る誰かは死に、俺は生き延びた。

 もしかしたら、それは逆になっていたかもしれないのだ。


 危険なモンスターに襲われたであろう俺たち。

 けれど俺は無傷で、もう一人は全身を食われて死んだ。


 人間の運というものは、本当に分からないものだ。

 つい、犠牲になった誰かのことに思いをはせる。


 いったいどんな奴だったのだろう。

 どれほどの間、一緒に行動していたのだろう。


 なぜ俺は助かって、そいつは助からなかったのだろう。

 俺とそいつの運命を分けた要因は、何だったんだろう。


 答えの出ない問いが、俺の頭の中をぐるぐるとめぐる。


「……行ってみるか? たどり着けるかどうかは分からんが」


 親方が、ぽつりと言った。



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