第672話:必要なときに、必要な

 地震から何度か雨も降って、時にはまとまった雨にもなって、本当に大変だった。いや、もちろん本当に大変なのは、家の持ち主や住人だっただろう。城内街の家々すべての瓦を修繕するのは、はっきり言って物理的な時間も資材も足りなさ過ぎた。


「だからって、紙で屋根を覆うなんて発想、どこからわいてきたんだか」


 屋根の上の作業を見上げながら、リファルが隣であきれたように言う。俺は、「遠耳の耳飾り」によってリノと視界を共有し、防水紙の接合を指示しながら返した。


「しかたないだろう? できることをするしかないんだ」

「ムラタ、お前の頭の中、どうなってるんだ? 一度分解させてくれよ」

「させるわけないだろ。この中にはリトリィとの愛が詰まってるんだ」

「また金色さんかよ。お前の外付け脳みそっていうか、知恵袋だな、彼女」

「街一番の有能な秘書にして、街一番の美女だ。いいだろう」

「確かに亭主をおだてて働かせるという意味では有能だよな。美女かって言われると──って分かった分かった! お前の女房は美女! 街一番の美女だから!」

「まったく、美しい存在を美しいと言えない感性を相手にするのは疲れる」

「お前ふざけんなッ!」


 現代日本には、陶器製の瓦、繊維をセメントで固めた化粧スレート、ガルバリウム鋼板による金属屋根など多様な屋根材がある。だが、その下はどの家も「アスファルトルーフィング」などの防水シートが、最後の砦として防御を構えている。


 屋根材は、完全密封にしてしまうと湿気がこもってしまい、結露して、屋根を支える板を腐食させてしまうのだ。だから必ず隙間を作って、適度に湿気を逃がす構造にしなければならない。


 もちろん、隙間があるということは、台風などのときにはその隙間から雨が入ってきてしまうこともあるということだ。

 そうやって侵入してきた水分を受け止め、屋根を水分から保護するのが、防水シートの役割。


 そんなわけで、「紙で屋根を守る」というのは、俺にとってはそれほど奇抜な発想ではなかったのだ。いや、防水シートも決して紙ではないのだけれど。

 もうひとつ、震災後の、瓦が落ちた家の緊急対策のイメージも役立った。震災の時、落ちてしまった屋根瓦の復旧までの一時しのぎに、ブルーシートをかぶせる家が多数あったのをテレビで見た。それを思い出したのだ。


 そしてなにより──妻のアイデアだったのだ。



   ▲ △ ▲ △ ▲



「街じゅうの屋根を、とりあえず雨から守るためには、どうすればいいか、ですか……?」

「ああ。マイセルもフェルミも、何か理由があってすぐには屋根の修理ができないとき、どうする?」


 すぐには街の膨大な家々の全てを修理できない。しかし雨は降る。実際に、地震からしばらくして雨が降ったため、ほとんどの家がこの雨で被害を受けていた。

 だから俺は、大工として経験のあるマイセルとフェルミに相談したのだが……。


「ええと……ごめんなさい。なるべく早く工事を、としか……」

「とりあえず木の板でも杉皮すぎかわでも、何でもいいから貼り付けとくしかないっスね」


 木の板による仮補修についてはすでに始めていたが、それだって色々と制限がある。それに決して安くない。木の板で仮補修をした上でさらにそれを剥がして瓦き、となると、手間もかかるし、なにより家の持ち主への経済的圧迫が馬鹿にならない。

 結局、三人とも妙案が出ず、困り果てていたときだった。


「なんのお話ですか? お水もれなら、油紙あぶらがみを使ってはいかがですか?」


 なんの話と勘違いしたのか、リトリィがひょいと顔を出してきたのである。


「……油紙あぶらがみ?」

「はい」


 キッチンからやって来たリトリィが、はたはたとしっぽを揺らしながら微笑むと、なにやら透け感のある茶色い草皮そうひを俺に手渡したのだ。


「お水もれにこまっているのでしょう? 油紙あぶらがみなら、お水を通しませんよ?」

「……お姉さま、その……」


 マイセルが、言いにくそうに答える。


「今はその、屋根の話をしているときで……」

「……屋根、ですか?」


 マイセルの言葉に、リトリィは目をパチクリとさせた。首を傾げ、そして自分の勘違いに気づいたようで、真っ赤な顔をしてうつむいてしまった。


「ご、ごめんなさい、わたし、もっとべつの……」

「いや、いいよ。気を遣ってくれたんだな」


 マイセルもフェルミも苦笑いするなか、俺のために考えを巡らせてくれたことに、リトリィのいじらしさを感じて胸が熱くなった。で、リトリィがくれた油紙あぶらがみの、「水を通さない」という性質から、気づいたのだ。


 ──これってつまり、屋根の防水シートアスファルトルーフィングと同じじゃないか。



   ▼ ▽ ▼ ▽ ▼



 そんなわけで俺は、とりあえず一時しのぎの策として、油紙あぶらがみを使うことを大工ギルドに提案した。

 紙といっても、使うのは「草皮そうひ」だ。この世界の「紙」は高価だが、草皮そうひは安価なのだ。


 街からやや離れた南西の湖の湿地帯で採れる草の繊維を、縦と横に重ねて圧着・乾燥させただけの草皮そうひ。これは古代エジプトで使われていた紙である「パピルス」に近いものだが、安くてそこそこ丈夫。水に濡れると次第にばらけてしまうが、パピルスと違って繊維自体もかなり強い。


 こいつに獣脂やろうを加熱して浸透させ、ブルーシートがわりに屋根に並べることを思いついたのだ。

 これが意外に上手くいった。うまく重ねて敷かないと、風でずれて雨漏りの原因になってしまうが、現地でろうを垂らして放っておけば、陽射しでそのうちろうが解けて浸透し、くっつく。ろうを垂らすには、凸レンズで日光を集めて、蝋燭ろうそくをあぶるだけ。


「今じゃ草皮そうひ紙がずいぶんと売れて、草皮そうひ紙ギルドはホクホク顔らしいぜ?」


 リファルが、皮肉げに口の端を歪める。


「ま、紙ギルドが欲をかいた結果とも言えるけどな」

「欲をかいた結果……そうなのかもしれないな」


 以前は草皮そうひ紙なんて低品質な紙は、紙ギルドに吸収合併されてなくなってしまえ、なんて思ったこともあった。けれど、こんな使い方があるなんて。


 もちろん、提案した当初は、大工ギルドの誰もが首をかしげた。防水シート自体は俺にとっては身近なものだけど、油紙あぶらがみを使うのは、確かに俺も経験がない。けれど、試してみたら意外に耐久性があったし、何もしないよりはましだろう、ということになった。


 そんなわけで、街の屋根は、かつての素焼き瓦による赤い屋根から、油紙の茶色で徐々に埋め尽くされていった。それなりにまとまった雨が降っても、油紙あぶらがみの防水シートは、耐えたのである。


 紙ギルドの方は、それが面白くなかったらしい。大工ギルドにわざわざやってきて、紙でも同じことができると訴えてきた。

 「我がギルドも全面的に協力いたしますよ」と物腰柔らかにやってきたのだが、いかんせん、紙は高すぎる。確かに草皮そうひ紙よりも上質な油紙あぶらがみができたけれど、値段が定価の時点で十倍を軽く超える値段とあっては、とても使えない。


 その点、草皮そうひ紙ギルドの方は俺たちが交渉に行くと、しばらく考えたあと、こう言った。


「我々は庶民のための紙。庶民の暮らしを我々が守れるのなら、喜んで身を切りますよ」


 そして、なんとか一割でも安くしてもらえないかと思っていたところを、屋根に使う防水用に限っては、三割も安く提供してくれた。さらに、早急な大増産も約束してくれた。


 三割も安くしては、儲けなど出ないだろう。リファルが言ったようなホクホク顔、どころではないはずだ。だけど、草皮そうひ紙ギルドはそれを敢行した。


 そして、意外な援軍だったのが、ゲシュツァー氏の商会だった。この苦境を乗り切るまでという条件で、大量生産された草皮そうひ紙を油紙あぶらがみに加工するための時限ライセンスを油脂ギルドから購入し、生産を始めたのだ。



   ▲ △ ▲ △ ▲



「フン。貴様が言ったのだぞ、こういうやり方は」


 協力に礼を言いに行った俺に、彼は面白くもなさそうに言った。


「この事業は、将来の潜在的な顧客を増やすためだ。礼には及ばん。まして貴様の礼など……こちらから願い下げだ」


 潜在的な顧客の開拓──たしかにそうなのかもしれない。けれど、動機は何であれ、それが人々の暮らしを守ることになるのなら、それで十分だ。

 改めて礼を言うと、ゲシュツァー氏は相変わらずしかめ面のまま、無言で立ち上がる。そして何を思ったか、手のひらを俺の方に向けて近づけてきた。


 手のひらを相手に見せるのは、基本的な挨拶だ。俺も、それに応えて手のひらを向けると、彼はしかめ面をしたまま、ほんの一瞬だけ、ハイタッチのように手のひらを重ねてきたんだ。


 挨拶は、見せることが基本であり礼儀。相手が平民でも、王族でも。

 だが、ハイタッチのように手のひらを重ねるのは、よほど信頼が厚いか、親しい間柄か。それ以外の相手がおこなった場合、不敬とみなされる行為。

 それを、ゲシュツァー氏は、俺に対しておこなったのだ。


「正直に言おう。貴様のことは気に食わん。貴様の思い描いたやり口を取り入れるというのも癪に触る。だが──」


 彼は、わずかに顔を赤らめて、こう言ったんだ。


「今は街のためだ。そして我が事業がそれで未来を手に入れられるなら、貴様とも手を組むのも、やぶさかではない」



   ▼ ▽ ▼ ▽ ▼



「だんなさまっ! 終わったよっ!」


 屋根からひょいひょいと壁やら何やらを伝って降りてきたリノが、その勢いのままに俺に飛びついてくる。ワンピースがまくれ上がった状態で、ほとんどすっぽんぽんの姿を晒して。


「うわっ……と。ありがとう、リノ」

「うん! ボク、お役に立てた?」


 その満面の笑顔を見れば、はしたない姿で飛び降りてきたことなんて、どうでも良くなってしまう。マイセルあたりには叱られそうだけれど。


「ああ、十分に役に立ってるよ。ありがとう」


 そう言って雑にくしゃくしゃっと頭をなでてやると、しっぽをぴんと立てて、嬉しそうに頬を擦り付けてきた。


「……全く、てめえのまわりの女は変人揃いだな」

「リファル、正直に言え。羨ましいんだろう」

「勝手に言ってろ。ほら、次の現場だ」


 リファルに促され、屋根の上で作業をしていた男に、次の家に向かうことを伝える。


「もうですか? 少し休ませてくださいよ!」

「行った先で休憩だ、行くぞ」


 容赦ないリファルの言葉に、男のうめき声が聞こえてくる。


「大工仕事なんてな、忙しいうちが華なんだよ! この仕事が終わってみろ、当分出番が無くなるんだからな!」


 確かにそうだ。大工仕事なんて、そうそう出番があるものではない。本当は、なければ無いに越したことがない仕事の一つだし。

 俺は、油紙あぶらがみの束を片付けながら、次の現場に向かう準備を始めた。




 結局、街の丸裸の屋根を守った油紙あぶらがみは、草皮そうひ紙になった。紙が悪かったわけじゃない。ただ、草皮そうひ紙のほうが「必要な時に、必要な量を、安価に、大量生産・提供できた」ことに尽きる。

 うちと同じだ。リトリィのくれた油紙がヒントをくれたように、必要な相手に、必要なものを、必要なだけ提供できるか。それが肝心なんだ。


 草皮そうひ紙の防水シートは、決して完璧というわけではなかった。けれど、迅速かつ安価に対応でき、素焼きの屋根瓦が再び街を赤く染めるまで、人々の不安に応えたのだった。



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