第670話:できたみたいなんです

 あの地震以来、人々の意識が少し、変わった気がする。大地は揺るがぬもの、という「当たり前」が、二度の地震を経て、「地は揺れ得るもの」という具合に。


 だが、人は喉元過ぎれば熱さを忘れる生き物だ。地震後しばらくはかすかな余震も時折感じられて、そのたびに人々は騒いだものだった。でも、やがて騒がなくなった。それ・・が日常であれば、人は慣れるものだ。


 そしてそれは、俺も一緒だった。

 ただ、俺の場合は、地震なんてすっとばす大事件が起こったからなのだが。




「ムラタさんよ、お互い大変だな」


 ばしばしと俺の背中を叩きながら笑うのは、マイセルの父にして俺の義父、大工の世襲せしゅう棟梁とうりょうを務めるマレットさん。


「本当に休む間もないなんて、俺ァ生まれて初めての経験だぜ」

「街中の屋根を直さなきゃなりませんからね。人手が足りないです、本当に」

「人手と言えば、あんたが考案した瓦。あれは面白いな。今はまだ従来の瓦を作ることで手いっぱいだろうが、量産体制が整ったら、屋根の上での作業はずいぶんやりやすくなるだろう。人手不足を補うことになるかもな」

「いえ、俺の故郷の瓦を真似ただけですから」


 この街の瓦は、素焼き瓦を用いる場合、端止め用以外はほぼ同じ形をしている。つまり、竹とかパイプなどを半分に割ったような形。若干、上下で太さを変えることで、上と下をかみ合わせることができるようになっている。


 これを、上向き、下向きに交互に重ねてならべてゆくのだ。バレル瓦と呼ばれる、ヨーロッパの伝統的な瓦そっくりだ。実にシンプルな形なので、大量生産に向く。ただし、半分に割ったパイプを並べ合うだけの形なので、やはり災害に耐えるには不向きだ。


 そこで俺は、すぐに陶工ギルドに赴いて、防災性と作業の効率性との兼ね合いで、日本でよく洋風の屋根を表現するS型瓦を提案したんだ。もちろん、最初は「このクソ忙しいときに新しいものなんか作ってられるか!」と、怒鳴り返されたんだけど。


 ただ、その革新性について理解はしてもらえた。「分かった分かった! いずれ試してやるから、もう来るな! てめえと話をしている時間も惜しいんだ!」と、温かく工房から送り出してもらえた。

 蹴り出されたとか言わないでくれ。一応、あの時、ちゃんと約束は取り付けたんだから。


 それが、できたみたいなんだ。やっと、サンプルが。

 昨日、陶工ギルドの職人が家にやって来て、その瓦を数個、置いて行ってくれたのだ。マレットさんにそれを今日見せたときには「こいつはすげぇぞ!」と興奮していた。

 

 ただ、まだ量産体制が整っているわけではないし、量産できたらできたで、取り扱い方を広く職人に教えなきゃならない。従来通りの瓦を望む顧客も職人も多いだろうから、すぐに普及するというものでもないだろう。

 第一、量産品はまだ存在しないのだ。とりあえず従来通りの瓦を使って、今できる対策をやるしかない。そんなわけで、俺は今日も一日中、指導に当たっていた。


 この世界では瓦を強固に固定する方法といえば、アスファルト塗料の粘着力を利用するのが一般的だ。ただ、それを要所のみですませるのがこの世界──というか、この地域流のやり方。

 基本的には一部を固定し、ほとんどは屋根の上に載せるだけ。素焼きの瓦だから、一応それなりに重量があり、一度載せてしまえばずれにくい。


 漆喰と土を足して二で割ったような粘土を塗りつけて接着剤代わりにもするが、固定するというよりは、ずれないようにする程度のもの。

 大雨はあっても大風がなく、地震もほとんどなかったこの世界では、それだけでも十分だったようだ。


 ところが、今回の地震で、それだけでは不十分だということが露呈した。で、一つも瓦がずれなかった我が家が、注目を集めたというわけだ。


 俺が建てた家は俺の常識でできているから、当然瓦も一つ一つ、アスファルト塗料で固定してあって、だから今回の地震ではびくともしなかったのだけれど、それが周りでそれなりに評判になったのだ。

 しかもその家が大工ギルドのエンブレムを掲げて設計事務所の看板を出しているものだから、自然な流れて顧客が次から次へとやってくることになってしまった。


 かつてこの世界にやってきたとき、地震がほとんどなく、柱には筋交いすらも入れないということを聞いて、『地震にびくともしないムラタ設計事務所謹製の家』というのをウリにしたらいい宣伝になりそうだ、などと不謹慎なことを考えたことがあったものだ。


 まさか、当時思ったことが現実になるとは思わなかったが、そのおかげで連日引っ張りだこだった。『幸せの鐘塔』の仕事も一時中止とされて、大工のみんなが街中の屋根の修復に駆り出される始末だった。


「婿殿、忙しいのは仕方ねえが、マイセルもちゃんと可愛がってやってくれよ? 娘自慢をするつもりではねえんだが……あいつは気丈にみせてはいても、内に溜め込んじまうところがあるからな」

「分かってますよ。ただ、やっぱりこのひと月あまり、寝る暇もないほどの忙しさでしたからね」

「だから言ってんだろうが。今夜あたり、あんたは早く家に帰ってやってくれ。忙しいときほど家族を安心させてやるのも、旦那の重要な仕事だぞ」


 さすが妻を二人もつ、人生の先輩たるマレットさんだ。ありがたく拝聴しておく。


「……では、今日は遠慮なく、お先に失礼させていただきます」

「おう。あとは任せておけ」


 そんな状態だった。

 だから、俺は気づいていなかったんだ。最愛の人の変化に。




 久々に夕食を家族そろって食べる事になった俺を、リトリィはひどく喜んで出迎えた。涙すら滲ませて。


「だんなさま、どうぞこちらへ」


 いつもの席に、しっぽをぶんぶん振り回す勢いで案内するリトリィの姿に、俺はずいぶんと寂しい思いをさせてしまっていたのだと気づく。


「さ、ヒッグスくん、ニューちゃん、リノちゃん。だんなさまがごいっしょされますから。お祈りから、もう一度しましょうね」

「そんなこと、いいよ。俺一人で……」

「だんなさまは一家のご主人さまです。だんなさまをさしおいて食べ続けるなんて、あってはなりませんもの」


 せっかく食べ始めたところだったチビたちを巻き込むのは心苦しかったが、しかしチビたちはやたら笑顔でお祈りを始めた。


「だって、リトリィ姉ちゃんがあんなに嬉しそうなの、久しぶりだもん!」


 ヒッグスが笑う。


「久しぶり? いつも笑顔で送り出してくれるけど……」

「ご主人。それってつまり、お姉さまが毎日、どれだけ寂しくしてたか、気づいてなかったってことっスね?」


 フェルミが、娘──ヒスイに乳を含ませながら、半目で睨んでくる。


「あ、いや、それは……」

「フェルミの言う通りですよ。リトリィ姉さまったら、ムラタさんを送り出した後はいつも──」

「さあさあ、みなさん。こんやはだんなさまがごいっしょされるお夕餉ゆうげですよ。みんなでたのしくいただきましょうね」


 マイセルの言葉を遮るように、満面の笑みのリトリィが手を叩く。ばっさばっさと、彼女の長くふかふかのしっぽが荒ぶっているのが、実に愛らしい。けれど、それだけにかえって申し訳ない思いになってしまった。

 『夫が同席する夕食』、ただそれだけのはずなのに、こんなにも喜んでくれているリトリィ。それだけ、俺は彼女をかまってやれていなかったってことなんだろう。

 マイセルだって俺に文句を言いたくなるくらいに、フェルミだって皮肉の一つも言いたくなるくらいに。




 そして、なんとか和やかに食事を始めて、しばらくしてからだった。


 リトリィが、急に口元を押さえて席を立った。トイレのほうに駆けてゆく。

 マイセルも席を立ち、その後を追った。


「……リトリィ? どうした、大丈夫か?」


 俺も気になって、マイセルに続いて席を立つ。

 俺は、妻が体調を崩していることすら気づいていなかったのか──自己嫌悪を抱きながら。


 トイレから出てきたリトリィは、目の端を赤くしていた。


「だ、だんなさま、どうして、こちらに?」

「いや、リトリィが具合悪そうにしているから……」


 言いかけた俺を、マイセルが険しい目で見上げる。


「当たり前じゃないですか。お姉さまは……」

「マイセルちゃん、いいんです。だんなさまには、わたしからちゃんとお話、いたしますから。いまは、お食事を楽しみましょう?」


 気丈に振る舞うリトリィに、俺は我慢ができなかった。


「リトリィ、どうしたんだ。俺が気づいてやれていないことがあるんだな? すまない、ここひと月あまり、家族に……リトリィのことを思いやれていなくて。俺が気の利かない人間だってのは自分でもわかってる。何があったんだ、教えてくれ」


 家族を放り出して仕事ばかりにかまけていた俺を許してくれなどとは言えないが、せめて何が起きているのかは知りたかった。

 ……その直後、ここまできても気づかなかった自分の間抜けっぷりに、無限の深さの穴に飛び込みたい思いになったのだが。


「ムラタさん! お姉さまは……!」


 マイセルがついにつかみかかって来たけれど、リトリィに制されて、あきれたようにため息をつく。


 リトリィはといえば。


 うつむいて、

 頬を染めて、

 上目遣いに、

 俺を見上げた。


 断言できる。

 彼女の言葉を聞いたとき、

 俺は世界一、間抜けな顔をしていたと。


「……できたみたいなんです。だんなさま」



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