第669話:この世界に来た意味は

 結局、『幸せの鐘塔』にたどり着く頃には、日も傾いていたし、ヘトヘトになっていた。


「……とりあえず、無事……か?」


 俺は見上げた塔は、どうにかなっているようには見えなかった。最上階のクレーンも撤去済みだし、あとは細かな仕上げという状態だったから、特に問題もない……と思いたい。一応、目視で点検をして様子を見てから、改めて多くの目で点検すればいいだろうか。


 でもこれから、高さ百尺──約三十メートルの塔を、階段を使って上らなきゃならないのかと思うと、さすがにげんなりする。だが、俺がやらなきゃ誰がやるんだ。リトリィとリノも、俺を手伝うために来てくれたんだから。そう自分に言い聞かせて、塔のドアを開けた。


 キイ……と、いつもの、鉄の扉がきしむ音。歪んで開けにくい、などといった感触が特にあるわけでもないことに、ひとまず安堵する。


「あれっ? 監督、奥さんまで連れて、どうしたんですか?」


 中に入ると、数人の男たちがいた。


「お前たちこそ、何をしているんだ?」

「決まってるじゃないですか、様子を見に来たんですよ」


 その心がけに感心する。自分の作品に対する責任感が透けて見えるようで、頼もしく感じられた。


「素晴らしい心がけだな、なかなかできることじゃない」

「何言ってるんですか、監督だって来てるのに」

「俺は一応、名前だけでも責任者だからな」

「ほんと、何言ってんだムラタ!」


 上の方から降ってきた声は、リファルのものだった。


「もしこの工事がここまで進んでなければ、塔は今回の地揺れでぶっ壊れてたかもしれないんだぞ。修繕と補強をお前がいい形にまとめた案を提案したから、この塔は残ったんだ。解体して新築する案が採用されてたら、今回の地震で解体途中の塔が崩壊してたかもしれないんだからな」


 リファルが、塔の内壁に設けられた階段から身を乗り出すようにしながら叫んだ。


「そうでなくたって、朝のあの地揺れのとき、もう作業を始めていた奴らの中で怪我をした奴は一人もいなかったんだ。てめえのおかげだよ、認めるのは腹立たしいけどな」

「そんなことはないだろう。お前たちだって一流の大工なんだ。そんな無様なことになるはずがない」


 俺が見上げながら返すと、リファルは分かってないな、とでも言いたげに肩をすくめてみせた。


「バカ。お前、頭に保護帽を乗せることも、安全帯を身に付けることも、足場に落下防止の手すりをつけることも、みんなお前が言い出したことだぞ。おかげで、この現場が始まって以来、今まで怪我人は出たけど、死人は出てない。転落者も出たってのに、大怪我をした奴は一人もいないんだぞ?」


 リファルは、笑いながら続けた。


「今朝だってそうだ。落ちかけた奴はいたらしいけどな、安全帯のおかげで助かったそうだ。お前の慎重すぎる提案のおかげで、オレはこれまでに見たこともない現場に立ってるって、今朝、本当に実感したぜ!」


 さすがにそれは持ち上げすぎだろう。まったく、大げさな。それとも、そういうからかい方か? 奴ならやりかねないが。




「……これは、酷いな」


 塔に上った俺は、周りを見渡してため息をついた。家自体の損壊は少ないが、瓦が滑り落ちた家の多いことといったら!

 実際に目にしたわけじゃないが、落ちてきた瓦で大怪我をした人もいるらしいという話も、点検に来てくれた大工から聞いた。


 阪神淡路大震災の写真を見たことがある。まだ古い木造の民家が多く残っていた地域の、惨状の写真だ。家も滅茶苦茶だったが、屋根の瓦が滑り落ちていた写真が何枚か、印象に残っている。


 だが、この街の惨状はそんな生易しいものじゃなかった。家の全ての瓦が滑り落ちている、なんて家が山ほどある。なんだかんだ言っても、日本の家屋は地震を念頭に置いた作りだったのだろう。


 陶工はしばらく笑いが止まるまい、なんてことは言っていられない。この眼下に広がる街並みのほとんどが、屋根に何かしらの被害を被っている。これは当分、ひたすら瓦を焼き続けて夜も寝られぬ生活が続くに違いない。


 そしてもう一つ。こういう時の量産品は、粗悪になりやすい。ギルドのプライドにかけて品質保持に努めるだろうが、どうしてもそうした目を素通りしてしまうB級、C級品が出てくるだろう。


 もしかしたら、失敗して廃棄となるはずだったものが、小遣い稼ぎにこっそり安く売りに出される、なんてこともありそうだ。顧客側も、見た目の差がよく分からないものを「お得ですよ!」などという言葉で相場より安く示されたら、言われるままに採用してしまうのではないだろうか。


「そんなの、買う奴が悪いんだよ」


 バッサリと切り捨てたのはリファルだ。


「オレたちギルドの職人は、誇りにかけて仕事をしてるんだ。それを、相場より安いからって、自分の目で見ても善し悪しが分からないモノに飛びつくのなら、飛びつくヤツが悪いのさ」

「だけど、忙しさのあまり手順を省略して、結果として品質が低下するってことはよくある話だぞ?」

「よくある話って、どこの話だよ」


 リファルが気色ばんだ。


「ムラタてめえ、オレたちギルドの職人がカネに目がくらんで仕事をおろそかにすることが、『よくある話』だとでも言いたいのか?」

「手を抜くってわけじゃないが、これから夜も寝られないくらいに陶工ギルドは忙しくなるぞ? そうなったら、きっと職人だけじゃなくて、徒弟とていや見習いも使い始めるかもしれない。品質の低下っていうのは、そういう時に起こるっていうことを言いたいんだ」


 日本でも、高度経済成長期のコンクリート建造物の中には、急ピッチで進められた結果、色々な不法工事によってできたものもある。


 水を多く混ぜることで粘度を低下させ、複雑な型枠の中に簡単に浸透するようにした「シャブコン」が使われたり、海砂の塩を十分に洗い落とさぬままに使ったりしたケースがあったという。

 そういった建造物は、戦前のコンクリート建造物よりはるかに劣化が早く、戦前の建造物よりも早く傷んでしまった。


 もちろん、急ピッチで進めつつも丁寧に造られたものもたくさんある。だが、例えば東京の大動脈である首都高速を見ても、鉄骨が見えるほど腐食が進んでしまったところもあったりするわけだ。首都高速が手抜きだったと言いたいわけじゃないが、戦後の東京オリンピックに間に合わせるための突貫工事で、現場の負担も大きかった。


 時間に追い立てられるというのは、そういう、目先の数揃えを求めるあまり「簡略化」という名の手抜きが横行しやすいのだ。


「リファル、この街を見ろ。この、屋根がすっかり傷ついた家が並ぶこの街を。雨が降ったらどうしようもなくなるんだ。陶工ギルドは、これからしばらく、寝る暇もないほど瓦を作り続けなきゃならない。それでもまったく追いつかないんだ。どの家の持ち主も、一刻も早く、自分の家の屋根を修理したいだろう。そんなときに、『耐久力は下がるが早くできる方法』があれば、飛びつきたくなると思わないか?」

「そりゃお前……」


 リファルは言いかけて、しかしそのまま黙ってしまった。いいかどうかはともかく、雨による被害を受けるくらいなら、品質の低下も許容しなければならないだろうという現実を理解したに違いない。


「家が燃えちまったってわけじゃなくて、屋根瓦だけが無くなっちまったんだからなあ……」


 リファルはしゃがみこむと、頬杖をついて眼下の家々をぐるりと眺めた。


「家を持つっていうのは、資産であると同時に負荷でもあるって、改めて考えさせられる光景だな」


 地震雷火事親父、などというジョークがまかり通るくらいに、日本は自然災害が多発する国だ。だから、自宅を持つのはリスクでしかない、と吹聴する人間もいる。

 建築に携わる人間として、その意見は理解できる。建てたときから定期的なメンテナンスが欠かせない持ち家と違って、借家のほうが大家が責任をもってメンテナンスしてくれるし、何かあっても引っ越せばいいからだ。


 ただ、やっぱり自分の思う通りに建てることができる「自宅」は、己の城をもつようなものだ。リスクはリスクとして保険を活用し、一国一城の主になりたいとは思うし、推奨したいとも思う。価値観はひとそれぞれだけれど。


「……まあ、そういうオレだって、いずれは自分の腕で建てた家に住みたいけどな」

「だろう?」


 不謹慎かもしれないが、眼下の惨状を前に、俺たちは笑い合った。


「壊れちまったものは仕方ねえよ。壊れた分はオレたちがまた直すのさ」

「……そうだな。形あるもの、いつかは壊れるってものだ」

「そうそう。で、少しでも壊れにくいように工夫を重ねるのも、またオレたちの仕事ってわけだ」


 ああ、そうだ。リファルの言う通りだ。

 そうやって、日本の先人たちは、その時代における未曽有の大災害を乗り切ってきたんだ。


 俺がこの世界に放り出された理由は分からない。

 でも、二級建築士である俺がこの世界にやってきたのは、それなりの意味があるような気がする。


「……やれってことだよな、きっと」



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