第667話:手をたずさえて

「ケダモノだと? それは貴様だろう、人の心を失ったケダモノめ!」


 俺の言葉に、クソ豚警吏けいりは地団太踏んだ。


「け、け、ケダモノ相手に発情する異常者の分際で! このコクリヤーデ様を左遷させた罪、今こそあがなわせてくれるわ!」

「左遷だって? どこまでも腐り切った奴め、火事場泥棒なんてばれた時点で左遷どころじゃないだろう!」

「き、貴様、貴様ぁあああっ!」


 目を剥いたクソ豚警吏けいりが殴りかかってこようとした時だった。

 俺の背後から伸びた木の杖が、クソ豚野郎の肩を突く!


「ぶぎゅわぁあっ⁉」

「……クソ野郎どもだとは思いつつ、一応は街の治安を守るための同業者だと思っていたから、一応はヒト扱いしてきたが……このクソ野郎め、ついに人の道を外れたケダモノに成り下がりやがって」


 思わず振り返ると、六尺ろくしゃくじょうをまっすぐに突き出し、怒りに燃える目をした巡回衛士の男がそこにいた。


「ムラタさん、これは自分たち巡回衛士──騎士団の誇りの問題です。街の治安を守るはずの者が、ひとの不幸を自分の利益にしようなど、不届き千万! 自分たちに任せて欲しい」


 そして、瞬く間にもうひとりの警吏けいり──だった輩を打ちのめすと、先に突入して殴り倒された同僚を助け起こした。


「さあ! すぐにこの不届き者たちを縛り上げて脱出します! 急ぎましょう!」




 クソ豚野郎は、目を覚ましたらずっと俺を「一度ならず二度までも!」「この恨みは決して忘れんぞ!」と、ずっと大騒ぎをしていた。


「……まったく、騒がしい奴だった。何だったんだ、あいつは」


 奴を、ほかの巡回衛士に突き出しても事件が解決した気になれず、俺は顔をしかめた。


「……だんなさま、ほんとうに、おぼえてないのですか?」

「俺は豚に知り合いなんていないぞ?」


 俺がさらに顔をしかめると、リトリィは苦笑いした。


「……ほら、いつか城内街の広場で、その……わたしが男の子たちにからまれたときに……」


 リトリィが言いづらそうにするのを見て首をかしげ、そして、やっと思い出した。


「……ああ! あのとき、俺に濡れ衣を着せようとしたクソ豚野郎!」


 すっかり忘れていた。おまけにあの時はさらに横に太かったから、気づかなかった。またしてもあのクソ豚野郎と、あんな場で関わるなんて。まったく、本当につまらない縁が巡ってきたものだ。というか、それなら縛り上げるときに一発ぶん殴っておくんだった!


『だんなさま、離れて!』


 不意にリノの声が耳元で破裂する。

 そのとき、不気味なきしみ音と共に火の手が大きくなった。


「……しまった、一階の天井が抜けるぞ! みんな離れろ!」


 俺は慌てて、衛士の男たちに退避を叫んだ。

 同時に、窓から火の粉がバラバラと噴き上がる。

 ミシミシ、パキバキバキィッ……!


 そこが長く燃えていたのか、あるいは二階の部屋にベッドなどの重量物があったのか。不気味な音の連続が、崩落の音を伝える。激しい破砕音と、窓から噴き上がる膨大な量の火の粉。壁が崩れてこないのは、敵国の襲撃に際して防壁となる役割を担わされた頑丈な石壁のおかげだ。


 けれど、窓から吹き上げる炎は、すぐ隣の館の窓を焼き始めている。こればかりはどうにもならなかった。

 せめて道幅がもう少し広ければ。しかし、人が互いに家と家の壁に身を寄せるようにしなければすれ違うこともできない狭い路地では、吹き出す炎による延焼は避けられそうにない。城壁に囲まれた街の中で、増加する人口に対応しようとすればこうなるのは避けられない。


 狭い路地も、待ち伏せして迎撃をするには有効だろう。頑丈な石壁は、たぶん存在するだろう大砲にもある程度耐えるだろうし、油をぶちまけて火でもつけない限り、燃えることもあるまい。


 だが、中から燃えてしまうとどうしようもない。

 石造りの外壁の中身をあらかた燃やし尽くすまで、もう炎を止めることはできないのだろう。そもそも警吏が消防を担っているという話だったが、ここにいる警吏を名乗っていた連中は火事場泥棒を働いていただけで、なんの役にも立っていなかった。


『だんなさま、どんどん燃えてるよ! このままだと、屋根まで燃えちゃいそう!』


 道を挟んだ隣の集合住宅の屋根の上から様子を見つめるリノの視点では、屋根の上にある明かり取りの窓からも煙が吹き出し始めているのが見える。ついに四階まで火が回り始めたようだ。無念そうに見上げているのは、この家の住人だろうか、それとも、延焼の被害を受けそうな、隣の家の住人だろうか。


 しかし、勢いを増す炎に、もはや打つ手なし……そう思った時だった。


「どいたどいた! 指を咥えたまま街を灰にするつもりか!」


 そう言って、何やら大きな箱のようなものを載せた荷車をガラガラと押しながら、男たちが駆けつけたのである。


「遅いぞ! 今まで何をやっていた!」


 巡回衛士の怒鳴り声に、男たちも負けずに言い返す。


「うるせえ! こうも道にあれこれ散らばってちゃ、どうしようもないだろうが! 道を選ぶだけでも大変だったんだよ!」

「散らばってるってなんだ!」

「ここだってそうだろ! この瓦礫の山! てめえの目をかっぽじってよく見やがれ!」


 そう言って男たちは、隣の家の前に荷車を横付けにする。

 驚いた。彼らは警吏けいりの制服を着ていたのだ。


「おい、さっきここに置いて行った奴らは!」

「あのクズどもなら、とうにしょっぴいた!」

「なんだと⁉︎ 今度は何をやらかしたんだ!」


 男たちは頭を抱えてうめく。

 衛士たちも、この場で「火事場泥棒をやらかした」とは言いづらいらしい。議会直属の組織である警吏けいり隊と、騎士団のいち組織である巡回衛士は、仲が良くないときいたことがある。だから、同じ警備関係の仕事に就くライバルとして蹴落とそうとするかと思ったから、意外だった。


「コクリヤーデのクソ野郎、見栄ばっかりの上にどこに回しても面倒を起こしやがって! あいつは火事の見張りに突っ立っていることもできないのか! じゃあシュコウの奴はどうしたんだ!」

「シュコウが誰か知らんが、自分たちがしょっぴいたのは二人だ!」

「なんてこった、二人ともかよ!」


 ますます頭を抱えてうめく二人の男たちだが、一人が自分の両頬を両手で張って、そしてホースのようなものを手に取った。


「悩むのは後だ! オレたちは街の守り手、オレたちがやらなきゃ誰がやる! オレが行く、お前はポンプを頼むぞ!」


 ホースを抱えた男が、燃える家の隣の家に飛び込んだ。


「……ええい、クソッ! 分かった、位置に着いたら合図をくれ! 頼んだぞ!」


 そう言って、長い棒が突き出しているタンクらしきものの前に立つと、何やら操作を始めた。


「……よし、ではわたしは水汲みに使える手桶をできるだけ拝借してくる!」

「自分も行く!」


 巡回衛士二人も、家に飛び込んだ。消防任務は警吏けいりの管轄、とさっきは言っていた彼らだが、こんなときにそうも言っていられないらしい。


「……おおい! 位置に着いたぞ、やってくれ!」


 三階の、燃え盛る隣の家に隣接した窓の方から声が聞こえてきた。

 それを聞いて、ポンプに取り付いていた男が、長い棒を上げ下げし始める。


 そうか、やっぱりこれがポンプ消防車なんだな!

 本当は、ここに残していた二名の警吏の男たちと一緒に操作するはずだったんだろう。だがそいつらは火事場泥棒をやらかして、今は巡回衛士のお縄にかかっていて、今は一人で操作するはめになっている。


「位置に着いたぞ! 早くやってくれ!」

「……やってるよっ!」


 悲鳴に近い声で、男がポンプを動かしている。だが、タンクから突き出す棒の片方だけを一人で押し上げ押し下げしているだけでは、力不足のようだ。


「だんなさま……」


 リトリィが、俺の顔色をうかがうように俺を見つめる。


「……リノ、水は出てるか?」


 俺の問いに、リノの視点が大きく動いた。


『水、まだ出てないよ!』


 リノのいう通り、送られてくる映像には、水の出ないノズルを抱えて苛立たしげにしている男の姿が見える。


 リトリィの、じっと、祈るように見つめる、透き通るような青紫の瞳。

 ……ああ、分かる。分かるよ。

 分かってるさ、組織の人間全部が腐っているわけじゃないだろうってことぐらい。

 こんなときに、個人のわだかまりを優先するような人間を、リトリィが望むはずないってことくらい!


「……警吏けいり、さん。俺も手伝います。俺は建築士のムラタと申します。反対側の棒を、あなたに合わせて動かせばいいですか?」


 その時の警吏けいりの男の、驚いた顔といったら。


「……助かる! 頼めるか!」


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