第663話:現代日本の耐震性能は
地震が収まったあと、俺はすぐさま家の点検をして回った。家族には「大丈夫」と豪語してみせたけれど、鉄筋コンクリートによる基礎がない我が家は、日本で建ててきた家とは根本的に違う。震度四程度の地震とはいえ、油断してはならない。
これからも住み続ける、大切な家だ。ダメージの把握と事後処置は重要だ。ゆがみがないか、力の集中による破断などはないか。窓や戸はスムーズに開閉するか。特に壁の開口部──つまり窓や戸はそれが表れやすいから、リトリィやマイセルに触ってもらって、違和感がないかを確かめてもらった。
なにせ、この家を建てたのは俺でも普段使っているのは彼女たちだ。彼女たちのほうが、「普段使いの感覚」は絶対に当てになる。
「だんなさま、開けにくいとか、そういうことは感じません」
「ムラタさん、こっちもです。大丈夫みたいですよ?」
「ご主人、見た感じ、歪んでるようなところはなさそうっスよ」
リトリィはこの家の主とも言えるほど、家のことを一番知り尽くしているし、マイセルもフェルミも大工として、その感覚は信用できる。ひとまず無事、といったところだろう。
次に確認したのは、外の浴室だ。
重い太陽熱温水器を乗せた浴室は、トップヘビーである上に小さいため、地震に対して構造的に不利だからだ。
地震中に派手な落下音や破砕音などは無かったから、太陽熱温水器自体が屋根から落ちたとは考えにくい。だが、管と管の継ぎ目が折れたり外れたりしている恐れはある。また、風車の自動減速装置などの可動部は衝撃に弱い。無事であってほしいと思いながら外に出た。
……やはり、パイプの継ぎ目が外れている場所があった。汲み上げた水を風車の上に溜めるタンクから伸びるパイプが外れていて、雨のように水が降ってきている。
「だんなさま! あれ、管をなんとかしてくればいいの?」
俺のわきから顔をのぞかせたリノが、水が降ってくる風車塔のタンクから延びるパイプを指差した。
「ボク、行ってくる!」
リノはそう言うと、こちらの制止も聞かずにあっという間に支柱をよじ登って行ってしまった。差し込み式になっているパイプを差し直し、針金で縛って、「だんなさま、できたよ!」と手を振って駆け降りてくる。冗談のような身軽さだ。
「ありがとう、リノ」
飛びついてきたリノを抱き上げると、うれしそうに頬ずりしてきた。
「えへへ、だんなさまのためならボク、なんだってできるもん!」
「そうか、その思いがうれしいよ」
ぴこぴことしっぽを揺らすリノの頭をなでてやりながら、俺は改めて、リノが修理したパイプを見上げた。完全に水漏れが止まっている。いい仕事をしてくれたようだ。ただ、ここまで恐れ知らずに大胆な行動をされると、困る面もある。
「リノ。地震のすぐ後には余震といって、何度も揺れるおそれがあるんだ。それも、いつ起こるか分からない。万が一、リノが高所作業をしているときに余震があったら、落ちて大怪我をしたかもしれないんだ。無理はしないでくれ」
リノは俺の言葉に、不思議そうに首をかしげた。だが、こちらが彼女の身を案じていることだけは理解してくれたようで、「うん、じゃあ、これからはだんなさまに聞いてからするね!」と、やっぱりうれしそうにしがみついて頬をこすりつけてきた。
……うん、まあ、こっちの話を聞いてから動くなら、いいか。
「みんな無事、家も無事。保存食糧庫が雪崩を起こして大変なことになっている以外は、特に問題なしだな?」
「だんなさま、お皿が何枚か、割れてしまっています」
リトリィが残念そうに「結婚式の時にいただいたものも、一枚……」と付け加える。
「そうか……。でも、みんなが怪我無く乗り切れたことのほうが大事だ。お皿のことは仕方がない。なんなら、飾り用にすればいいさ」
思い出の品が壊れるのはやはり気が重い。けれど、家自体は、この程度の地震にはびくともしなかった。現代日本の耐震性能の勝利! というか、その知識を活かした家。ひそかに誇らしく思う。
俺は全員の無事と損害が軽微なことを確認したあと、「幸せの鐘塔」に向かうことにした。震度四程度の地震でどうにかなったりしないように補強してきたのだから、大丈夫だろう。だが、やはり気になるものは気になるのだ。
「あなた、わたしもお供します!」
「ボクも行く! だんなさまのお役に立つよ!」
リトリィとリノが真っ先に名乗り出ると、マイセルも「わ、私も行きます! 私だって、大工の端くれですから!」と手を挙げた。
さすがに多すぎると思ったとき、フェルミがマイセルの腰の帯をつかんで引っ張った。
「マイセル姉さま、ダメっスよ。姉さままでそっちに行っちゃったら、シシィは誰が守るんスか」
「そ、それは……」
「ご主人、どうなんスか?」
フェルミの言葉に、マイセルが俺の方をすがるように見上げる。
でも、フェルミの言う通りだ。生まれてひと月ちょっとの乳飲み子を抱えるマイセルまで、連れて行くわけにはいかない。
「だいじょうぶですよ。だんなさまがあぶないことをしようとしたら、わたしがつかまえてさしあげますから」
リトリィが胸を張る。俺は苦笑いしかできない。
「お姉さまがそう言うなら……」
マイセルが名残惜しそうに俺とリトリィを何度も見比べ、そして「お姉さま、お怪我なさらないように……!」とリトリィを抱きしめた。リトリィも、そんなマイセルの頭を撫でるようにしながら、「だいじょうぶです。だんなさまは、わたしがかならずお守りしますから」とささやく。
「ご主人、ご主人の立場が無いっスね」
……ああそうだよ。リトリィのその立場、本当は俺でなきゃならないんだろうけどな。ヒョロガリと評判の俺より、リトリィのほうがよっぽど筋力も持久力もあるから、情けないけれど何も言えない。
「……ふふ、だってムラタさんは、私たちのご主人さまですから」
「単なる壊れもの扱いだろ?」
「それだけ、みんながご主人さまのこと、大切に想っているってことですよ?」
そう言って、そっと頬の下あたりにキスをしてくるところがまた、あざといなさすがフェルミ、あざとい。
マイセルとフェルミ、その胸に抱かれたシシィとヒスイ、そしてヒッグスとニューに見送られて、俺たちは「幸せの鐘塔」に向けて走り出し、そして、門前広場の惨状を改めて目にした。
朝の取引が本格化してきた時間帯の地震だったからだろう。どの屋台もめちゃくちゃになっている。
すぐに立て直したのか、商魂たくましく商いを再開している者、力なく商品を拾い上げている者、台無しになった商品を前にいまだ放心状態の者。
広場を囲む家々を見れば、屋根の瓦が滑り落ちてしまっている家もあれば、
門までたどり着くと、人込みでごった返していた。こんなに混雑するのはなかなかない。早く門の中に入りたいのに──そう思いながら門の向こう側、城内街を見ていると、「リトラエイティル様! ご無事でしたか」と、声を掛けられた。
「フロインドさま? おけがはございませんか?」
「はい。おかげさまで」
リトリィが微笑んで挨拶をした相手は、リトリィをフルネームで呼び、敬意を払う門衛騎士──フロインドだった。
「先ほどの『
「ああ、『幸せの鐘塔』の様子を見に行きたいんだ。通してもらえるか?」
俺の言葉に、フロインドがうなずく。
「あなたを止める者など、この門にはおらぬ。ただ、城内街もさきほどの
「すまない、ありがとう!」
フロインドとその従者に見送られて、俺たちはごった返す門を抜けて城内街に向けて走り出した。
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