第662話:地震、再び
夏の暑さもピークをやや過ぎた頃だった。
『幸せの
今回の藍月の夜は、ここ数日にない暑い夜だった。
この日を迎えるに当たって、二晩禁欲した。
藍月の夜直前となる一昨日、そして前日のリトリィの盛んなおねだりをなだめるのは大変だった。
本当は三日間、禁欲するつもりだったんだ。だけど、だめだった。
リトリィに「入れるだけ……本当に、入れるだけでいいですから……!」と懇願され、根負けして言われるままに応じたら後の祭り。彼女、最終的に俺が出すまで、全力でしがみついて離してくれなかった。
だから残りの二日間は、リトリィのおねだりを鉄の意志でかわしたのだ。前日なんて、物理的にリトリィから身を離すために、チビたちと一緒に一階の床で寝たくらいだ。
藍月の夜が近づいていて、体が子作りモードに突入し始めているときにおあずけを食らったリトリィの、切なげに身をよじりながらの懇願は、見ている俺もその場で押し倒したいくらい
そんなわけで、迎えた藍月の夜当日。
マイセルもフェルミも、その思いを汲み取ってくれたのだろう。一階でチビたちと寝ると言って、二階の寝室に上がってこなかった。だから久々の、二人きりの夜になった。
リトリィは獣人であるためか、基本的には俺より体温が高い。そのせいか、
そんなわけで、禁欲のせいで高ぶっていたことも相まって、リトリィの乱れ方も相当なものだった。きっと一階では、局地的群発地震の発生を感じたんじゃないかってくらいに。
二人して汗びっしょりになって愛し合って、ひと眠りして起きたらまた、つながって。いったい何度、彼女と愛し合ったことだろう。
もう、文字通りに搾り取られた。勃たなくなっても、徹底的に。
「あなた、行ってらっしゃいませ」
翌朝。
いつも通りに玄関で、道具のつまった革袋を渡してくれるリトリィ。同行するリノが「行ってきまーす!」と元気に挨拶をすれば、マイセルが「ほら、リノちゃん。またおしりが見えてますよ」と、しっぽを下ろすように注意を促す。
奥ではフェルミが赤ん坊二人を抱いて乳を与えており、ヒッグスとニューはテーブルの向こうから「いってらっしゃーい!」と手を振る。
いつも通りの、朝の風景。
リトリィが、そっと耳に口を寄せてきた。
「あなた、昨夜はありがとうございました」
ありがとうだなんて。
俺こそが、彼女との子を望んでいるんだ。絶対に、彼女との子供を諦めない。
そんな意味を込めてキスすると、リトリィは頬を染めてうなずいた。
──ああ、幸せだ。
「じゃあ、行ってくるよ」
みんなの方を向いて、そう言いかけた瞬間だった。
ソファーでシシィとヒスイに乳を与えていたフェルミが、弾かれたように背筋を伸ばして俺を見た。
俺の隣にいたリノも、しっぽをぴんと立てて毛を逆立てている。
俺の荷物を持って片付けようとしていたリトリィの耳がピンと立ち、ぶわっとしっぽが膨らむ。
……この感覚、ものすごく懐かしい、と感じた。
動くはずのない場所が動く、かすかな違和感。
足の裏に伝わってくる、
あってほしくない、
懐かしさ。
そう。
──地震列島とすら呼ばれる島国、俺の生まれた国、日本!
「フェルミ、すぐにテーブルの下に隠れろ! チビたちもだ、椅子をつかんで頭を守れ! リトリィ、マイセル! お前たちもこっちへ来い!」
外に出て行くはずだった俺が、リノを抱きかかえ家の中にダッシュして、リビングにあるテーブルに向かう!
妻たちの行動は迅速だった。俺の言葉にすぐさま反応すると、テーブルに集まる。
このテーブルの
皆がテーブルの下に隠れたのを見届けたあと、リノの背に覆いかぶさるようにして机の下に潜り込んだときだった。
かたかたと、テーブルの上に置いてあった木皿が鳴っていたのが、跳ねた!
ドン……!
ひときわ大きな揺れが、家をきしませる!
「だ、だんなさまっ!」
「大丈夫! 体を丸めて小さくなれ!」
悲鳴を上げる妻たちを抱えるようにできるだけ腕を伸ばしながら、俺は叫んだ。
テーブルの上に重ね置かれていた木皿がばらばらと床に落ち、ニューが悲鳴を上げる。
リトリィの耳が伏せられ、しっぽは股の間に隠されて、ひどく震えている。
ヒッグスは必死に歯を食いしばっているが、顔は歪んで今にも泣き出しそうだ。
「だんなさま、だんなさまっ! 怖いよ、ボクたち、どうなっちゃうの⁉ 神さま、怒ってる⁉ ボク、神さまへのお祈り、足りなかった⁉」
リノがすがりついてくるのを片手で抱き寄せると、俺は無理矢理な笑顔を作った。
「そんなことはない! リノがいい子なのはみんなが知っている! 神様ならもっと知っている!」
泣き始めた赤ん坊を抱えるマイセルとフェルミは、顔をこわばらせつつ、「大丈夫よ、大丈夫……!」「お母さんが一緒だからね……!」と彼女たち自身に言い聞かせるようにしながら、赤ん坊をあやす。
揺れはしばらく続いた。窓の外からは悲鳴が聞こえてくる。瓦が落ちてくる音も聞こえてくる。前回よりも、いくぶん揺れが長いようだ。相変わらず窓の外では、この世の終わりであるかのような悲鳴が飛び交っている。
ただ、最初が大きかっただけで、揺れの大きさそのものは、冷静になってみればそれほどでもないようだった。震度にして、最初の揺れがおよそ四、あとは三から二、といったところだろうか。
「大丈夫だよ、みんな。俺が建てた家は、こんな程度の地震で壊れるほど粗末なつくりはしていない。大丈夫だ」
前の地震の時もそうだったが、この地方ではほとんど地震らしい地震がなかったとのことだった。だから、震度二から三程度だった前回の地震でも、街は大パニックになっていた。
今回もそうだ。揺れが収まってきた今でも、窓の向こうからはこの世の地獄が誕生したかのような、恐怖に満ちた叫び声が飛び込んでくる。
「大丈夫。大丈夫だ。俺を信じろ。この家は俺が建てたんだ。こんな程度ではびくともしない」
何度も何度もそう繰り返す。
笑顔をみんなに振り向けて。
「二級建築士をなめるなよ? 俺の故郷は、この程度のことなんて日常茶飯事だったんだ。この家の中なら絶対に安全だ」
時間にして、一分もないくらいだったろうか。
でも、その一分足らずが、ずいぶんと長く感じられた。
揺れが収まっても、念のためにしばらくテーブルの下にとどまっていた。
テーブルの下から這い出したときのみんなの顔は、くしゃくしゃだった。
地震には慣れているはずの俺だったけれど、きっと俺の顔もくしゃくしゃだったに違いない。
ひとりならきっと、こんな恐怖など感じなかった。
家族がいるっていうのは、心強い反面、それを失うかもしれないという恐怖をも抱えることになるんだと、あらためて思い知らされた。
だから家族を抱きしめて、まずは誰も怪我なくやり過ごせたことに、俺は心底、ほっとした。
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