第656話:テンションの下がる野菜

 救貧院きゅうひんいんからの帰り道、リトリィはずっと上機嫌だった。


『これからは毎晩、愛していただくたびにキーファウンタさまにおねがいします!』


 リトリィのことは大変可愛らしい女性だと思っている。このセリフだって、純然たる信仰心と彼女自身の願いが現れた、微笑ましい言葉だった。

 ……そのはずだった。




「私、これを炒めたものが好きなんです!」


 そう言ってマイセルが三番街門前広場の市場で見つけたのは、どう見ても卵のような野菜だった。真っ白な卵に、緑のを付けたような野菜。

 名前もそのまんま、卵の実オバゥギナ


 マイセルが自己主張することはあまりないから、彼女が自分の好みを主張してくれるのは嬉しい。「淡白な味ですけど、それがいいんです!」と力説する。そんなわけで、表面の皮は白、中身もややベージュがかった白のその野菜、食べてみて驚いた。


茄子なすだコレ!」


 思わず膝を打って叫んでしまった。一気にテンションが上がる。立ち上がってキッチンに走り、残っていたものを見て、ようやく気が付いた。色が白く、が緑なだけだ。

 きょう茄子なすそっくりなんだ、これ!


 そういえば以前、瀧井さんが言ってたじゃないか! この世界の茄子なすは白いって! というか、もともと欧米の茄子なすは白くって、そもそも茄子なすの英語名は「エッグプラント」なんだって! でもって、たしかこれ、瀧井さんの奥さんであるペリシャさんの好物だったっけ!

 地球と同じ味──それを見つけた気分で、俺は高揚していた。


「ど、どうかしたんですか……?」


 マイセルが、おっかなびっくりといった様子で、俺の方を見てくる。フェルミもぽかんとしている。


「……それ・・は、ふるさと・・・・のお味なんですね。ムラタさんの」


 リトリィだけが、妙に得心が行った様子で、微笑みながら聞いてきた。ああ、彼女だけは気づいたのか。これが、俺にとって懐かしい味──地球、日本の味なんだってことを。


「まあ、そんな感じだよ。そうか、オバゥギナって茄子なすのことだったんだな!」


 感慨深くうなずいていると、いつの間にかそばに寄ってきていたリトリィが、微笑んでみせた。


だんなさま・・・・・ふるさと・・・・では、オバゥギナのことを『ナス』とよぶのですね。では、わたしはこれから、オバゥギナのことを『ナス』とよびます。だんなさまのおこのみのお野菜なのでしたら、みかけたらかならず買うことにしますね?」

「好みというか……まあ、嫌いじゃないけどな」


 実は茄子なす料理にそれほど執着しているわけじゃなくて、懐かしい味に、つい飛び上がってしまっただけなんだけどな。


 けれどマイセルが、うんうんうなずきながら駆け寄って来て、にこにこ顔で飛びついてきた。俺と共通の好みを見つけたことが、よほど嬉しいらしい。


「よかった! ムラタさんもお好きな野菜で! 夏が旬の野菜ですから、私、これからいっぱいオバゥギナ料理、作っちゃいますよ!」


 そんな可愛らしいマイセルを見ることができて、俺も嬉しくなる。思わず頭をなでながら「そうだな、楽しみにしているよ」と答えると、満面の笑みのマイセルの背後で、なぜかフェルミが顔を引きつらせた。同じくリノも。ヒッグスとニューは初めて食べるらしく、物珍しそうにつついているが。


「どうした、フェルミ。ひょっとして、苦手な味なのか?」


 聞いてみたら、フェルミはリトリィと目を合わせた。そしてリノとも。そして、苦笑いを浮かべる三人。

 席に戻ると、フェルミが苦笑を浮かべて答えた。


「ええと……私ら、ちょっと、コレは、あんまり……」


 歯切れの悪い物言いに、俺は首をかしげた。


「どうかしたのか?」

「……コレ、私ら獣人族ベスティリングには、ちょっと……。あ、いや、味が嫌いとか、食べられないとか、そういうわけじゃないんスけどね?」


 食べられないというのなら、例えば地球でだって、「猫にチョコレートや玉ねぎ」などのように、「人間は大丈夫だが他の動物にとっては致命的な野菜」というのがあるから、それは分かる。だけど、ペリシャさんはオバゥギナこれが好物だというし、禁忌の食べ物というわけではなさそうだ。じゃあ、どういうことなんだろうか。


「……ええと、その……。よく、分からないのですけれど、ちょっと、体が重く感じるというのか……食べたあと、体が重く感じるようになるんです」


 リトリィが、奥歯にものが挟まったような言い回しをした。けれど、フェルミもリノも、その言い方で十分に伝わったらしい。うんうんとうなずいている。


 ……そういえば、瀧井さんもそんなようなことを言っていたっけ。ペリシャさん、茄子なすが好物なのに、食べると体が重くなるからって。……あれ? なにか、特定の日に食べるようにしているとか言っていた気がする。いつだっただろう?


「だからその……アレなんスよ。好き嫌いとかじゃなくて、次の日に響くんス。だからあまり、食べたいとは思えない食べ物なんスよねえ。格別美味い、ってワケでもないもんでスし」


 フェルミがいうと、リトリィも、そしてリノもうなずいた。すでに口の中に放り込んでいたヒッグスとニューが、それを聞いてお互いの顔を見合うようにして固まる。


「あ、別にその、毒で命が危ないとか、そういうことじゃないから大丈夫なんスけどね? ただ、なんとなく体が重い感じになるというか、気分がちょっと下がり気味になるというか……。とにかくそういう感じになるから、あまり自分から食べたいとは思えないんス」


 ……なるほど。理由は分からないが、多分茄子なすの成分に、獣人族ベスティリングのひとのテンションが下がるような、鎮静作用のある物質が含まれているということなのかもしれない。そのあたりは、地球の茄子なすとは似て非なるものということなのか、それとも獣人族ベスティリングだけに効く成分があるのだろうか。


 そうすると、茄子なすを食べても問題ないのは、俺とマイセルだけということなのか。少し残念な気もする。


「そ、そんなことはありません! だんなさまがお召し上がりになるのですから、わたしもごいっしょして、いただきます!」


 リトリィが慌てたように訴える。「ぼ、ボクもがんばって食べるもん!」と、リノも続いた。フェルミだけは、ひきつった顔で首を横に振る。

 いや、そこで必死にならなくたっていいよ。苦手なものは誰にだってある。まして体調に影響のあるものを無理強いするつもりなんてない。夫婦だからなにかも一緒に、なんていうのは馬鹿げている。


 味は悪くなかった。というより、シンプルにオライブの実を搾った油で炒めたものに、岩塩を振っただけの料理だったけど、美味しかった。淡白な味わいはまさに茄子なすで、だけどそれがかえって懐かしく感じられた。


 で、俺が食べるのに合わせるように、リトリィは結局、茄子なす料理を口にした。リノも食べた。それを見て、ヒッグスとニューも食べた。マイセルは最初から幸せそうに食べている。食べなかったのはフェルミだけだった。



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