第653話:頼られ、頼る

「……いつも、申し訳ありません」

「ああ、いや、寝ていてくださいよ。ずいぶんよくなったとはいえ、病み上がりなんですから」


 このひと月、何度か通ったこの部屋。マイセルの出産当日に訪れた、父子家庭の部屋だ。


「ほら、お前たち。礼はどうした?」

「おっちゃん! ありがとう!」

「ありがとぉ!」


 手にパンを持った子供たちが、にこにこ顔で礼を言う。


「すごーい! 兄ちゃん、パンに肉が挟まってる!」

「チーズもある! おっちゃん、ありがとう!」


 何日かに一度、気になって様子を見に来るようになってから、もう、ひと月以上経つ。毎回、何かしらの食べ物を持参するんだけど、この子たち、それ以外の食べ物をあまり食べていないようだった。日本なら生活保護を申請するところだけれど、もちろんこの街にそんなものはない。


「……ナリクァン夫人の炊き出し、あれって貴重な栄養源なんだろうな……」


 ナリクァン夫人は、今ももちろん、お仲間のご婦人方と一緒に、俺たちの家を「勝手に」使って炊き出しをやっている。というか、それがあの家に住むための条件の一つなのだから、まあ、当然のことだ。


 お産を終えて約一カ月。体調も戻ったマイセルは、夫人たちに可愛がられながら、炊き出しを手伝っているという。難産だったフェルミはまだ体調が戻らず、ベッドでの生活が続いている。だが、そもそもお産を終えたばかりなのだ。こればかりは仕方がない。


 貧者への炊き出しは、高貴なる者の義務ノブレス・オブリージュの実践なのだろう。なにせナリクァン夫人は、男爵令嬢だったらしいのだから。


 男爵というと一代限りの称号だと思っていたが、ナリクァン夫人の実家は世襲男爵なのだそうだ。よく分からないが、そういうものなのだろう。そもそも翻訳首輪が「男爵」という語彙を当てはめているとはいっても、俺の知っている常識まで寸分たがわず当てはまるわけじゃないからな。


「おっちゃん、もう行くのか?」

「ああ、元気な様子を確かめることができたからな」

「おっちゃん、いつもありがとう!」

「困ったときは、いつでも近くの大人を頼るんだぞ?」

「うん!」


 俺は、アパートを出る際に挨拶の手を挙げる。部屋の奥で、少年たちの父親が、ベッドの上で、申し訳なさそうな顔で手を挙げ返した。


「……いつまで続けるんだ、こんなこと」

「……さあな」


 リファルの憮然とした表情に、俺は首を振るしかない。


「すまないな。今日も付き合ってくれてありがとう」

「……礼を言われるようなことはしてねえよ」

「いや、リファルが買ってくれたから、あのパンにチーズをはさんでやれた」

「知らねえよ。お前こそ、串焼き肉をはさんでやったじゃねえか。というか……」


 リファルが自身の頬をかきながら、足元の小石を蹴る。


「……見ちまったんだ、しょうがねえだろ」

「お前のデート代を削ってしまって悪かったな」

「そう思うならお前、一杯奢れ」

「うちに来るなら飲ませてやれるぞ」

「なんで赤ん坊産んだばかりの家で飲み食いできると思うんだよ。オレはそんなに無神経に見えるか?」


 最初の出会いは最悪だったけど、リファルが悪い奴じゃないのはもう十分知っている。うちの女性たちも、今では多少のわだかまりはあるかもしれないが、それを表に出すようなことはない。夕食を一緒に食うくらいなら──そう思ったのだが。


「いや、遠慮しとく。というよりだな、お前。俺に気を使うより、嫁さんたちに気を使ってやれよ。オレはこれ以上、お前の嫁さんたちへの印象を悪くしたくねえ」


 冗談めかしてリファルは言う。


「だいたい、オレにだって都合ってモンがあるんだよ」

「なんだ、都合って。例の孤児院で働いてたコイシュナさんか?」

「まあ、そんなもんだ」


 どうやら、彼は彼でデートの約束があったらしい。にもかかわらず、あの貧しい父子の家の訪問に付き合ってくれていたのか。


「……そうか。じゃあ、今日は付き合ってくれてありがとうな」

「だから礼を言われることじゃねえよ。……その、なんだ。お前の言うみたいなもんだ」


 そう言ってリファルは鼻をこすりつつ、手を振って路地を曲がって行く。


「近くの奴を頼るのは、何も子供だけの特権じゃねえよ。困ったときはお互い様ってヤツだ」


 手をひらひらさせながら路地の向こうに姿を消したリファルに、俺は胸が暖かくなる思いだった。


「あいつも、コイシュナさんが子供を産んだら結婚するとか言っていたな……」


 あいつのところの出産や結婚には、俺も顔を出さねばならないだろう。コイシュナさんには、妻の出産でも世話になった。頼り、頼られる。お互い様。いい言葉だ。


 それにしても、コイシュナさんの出産まであと五カ月程度だったか? 日本ならできちゃった婚とかいってあまりいい顔をされないものだが、そもそもこの世界──というかこの地域は、結婚の前にまず婚前交渉を三夜にわたって行う。それが婚約成立の儀式の一つなのだ。


 もちろん、婚約後即結婚、ということもあるだろうし、両家の都合が合わなければ結婚まで時間がかかることもある。だからお腹の大きな新婦というのは、多くはないがべつに珍しくもないそうだ。


 ちなみに女性に処女性を求めるのはイアファーヴァの神だけらしく、婚前交渉などもってのほからしい。だからこそ、イアファーヴァの神殿に併設されている孤児院で働いていたコイシュナさんに手を出したリファルが、いかに罪深いかということなんだけど……


『私は、リファルさんについて行くと決めましたから』


 先日コイシュナさんと話したとき、彼女はまっすぐ俺を見て微笑んだ。信仰の先をそんなあっさり変えていいものなのか? 俺は唖然としたが、それなりによくあることらしい。


『敬虔な信徒である両親は、きっと、とっても怒るでしょうけれど……リファルさんなら両親を説き伏せてくれると信じています』


 敬虔な信徒、つまり両親そろって熱心な信者だということなのだろう。彼女の花嫁修業の一環としての孤児院での奉仕作業も、その伝手だったに違いない。するとコイシュナさんは、にっこりと微笑んだ。


『はい。母は一般信徒ですが、父は武僧ぶそうをしております』


 そう

 つまりモンクとか僧兵とかいう奴か。


 コイシュナさんのきらきらした瞳が忘れられない。リファル、お前、恋人のおとーさんにぶん殴られるフラグが立っているようだぞ。死なない程度に頑張れよ──聞いた時は、ニヨニヨが隠せなかったものだ。

 おとーさんへの挨拶より先に、コイシュナさんに子供を仕込んじゃったリファル。出産まで残り五カ月、奴がそれまでにどんなふうにボッコボコ……もとい! 熱い洗礼を受けるのか、実に楽しみである。


 それはともかくとしてだ。あの父子の家も、一時はどうなるかと思ったけれど、父親のほうが何とか持ち直してきているのが救いだ。ただ、ずっとこのままでいるわけにはいかない。俺にだって家庭がある。別にやましいことをしているわけじゃないが、彼らは行きがかり上の他人でしかないのだ。俺が見守るべき相手は、俺の家族なんだ。


 とはいっても、今さら見捨てるなんてことはできない。できないんだが、あの少年たちだ。働くには幼すぎる。でも親がいる以上、孤児院には頼れない。正確には、親がいたって孤児院に預けることはできるだろうが、そうしたら父親が一人になってしまう。どうしたらいいものやら、俺は頭を抱えた。




「……ムラタさん、救貧院きゅうひんいんを使わないのは、何か理由があるんですか?」

救貧院きゅうひんいん?」


 不思議そうに首をかしげるマイセルに、俺も首をかしげる。

 このひと月の間、面倒を見てきたけれど、このままでもよくないと思った俺は、改めて家族に相談したのだ。


 で、マイセルにあきれられた。


「そういう、ご病気で、しかもご家族の支援も、お金も満足にないかたのお世話をする場所ですよ!」


 ……そういえば、そんなものがあった。言われて思い出したよ、以前、俺が暗殺者に襲われて大怪我したとき、なぜ病院に俺を連れて行かずに、ゴーティアス婦人の家で治療を行ったのかと聞いたんだ。

 そうしたらリトリィもマイセルも、ものすごい勢いで怒ったんだ。『自分たちを、夫の世話もできずに救貧院きゅうひんいんに放り込むような妻にするつもりですか』と。


「……というわけで、救貧院きゅうひんいんには頼れないなあと……」


 ようやく思い出したことを言い訳にしてみたら、これまた三人から怒られた。


「だんなさま。あのときは、わたしたちがいるのに救貧院きゅうひんいんに頼ればいいなんていう、わたしたちを信じていないようなことをおっしゃったから、わたしたちは怒ったんですよ?」

「ムラタさん、その人には奥さんがいなくて、お金もないうえに、小さなお子さんがいるんでしょう? 今頼らずにいつ頼るっていうんです」

「ご主人、自分でやりたがるのはいいんスけどね? ご主人って、できることがめっちゃくちゃ少ない能無し……とまでは言わないスけど、できることなんて限られてるって自覚してるんスよね? なんで人を使わないんスか?」


 はいそのとーりです。めちゃくちゃ凹んだ。萎えに萎えた。


「……ですから」


 そっと、リトリィが身を寄せてくる。リトリィの定位置──俺の左隣に。


「わたしたちを、頼ってくださいな」


 マイセルも、そっと俺の右隣からしなだれかかってきた。


「ムラタさんが好きで、お力になりたいから、私たちはムラタさんの妻になったんですよ?」


 フェルミが、寝転がったままヒスイに乳を与えながら、いかにも面倒くさそうなそぶりで言う。


「ご主人が凹むのは勝手っスけど、いちいち叩き起こすの、面倒なんスよ。こっちはこう陣痛じんつうがまだまだ収まらなくて動けないんスから、ご主人には私らのために、立ち止まらずにキリキリ働いてもらいたいんスよねえ」


 フェルミ、毎度のことだけどお前、けっこう酷いこと言ってるよな⁉


「なに言ってるんスか。正論スよ正論。産前産後の女を働かせる気スか? 孕ませた責任は黙って果たしてキリキリ働くのがオトコの生きざまってヤツっスよね」

「お前な」

「だから──」


 フェルミは、乳を飲みながら眠ってしまった娘に毛布代わりの布をかぶせてむくりと起き上がると、ずいっと顔を迫らせて来る。思わず背筋を反らせてしまった俺に、さらに迫った彼女は、にっと笑った。


「そのかわり、家に帰れば私たちがいくらでも話を聞きますから。ご主人だけでなんでも片付けようと思わないで、私たちを頼ってくださいな」


 そのまま唇を重ねられてしまい、両隣から抗議らしき声を聞いた俺は、そのまま両隣の妻たちに押し倒されて、


 ……そのまま朝まで搾り取られた。


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