第637話:新たな依頼

 揚水風車によるポンプと太陽熱温水器のシステムが一応の完成を見て、家の庭で、午前のティータイムをみんなで堪能していた時だった。


「こちらがヒノモト氏のお宅ですね。私は大工ギルドの遣いのものです。ムラタ殿はどちらか」


 タッタッタッ……軽快な足音を立てて走る騎鳥シェーンに乗ってやってきた男は、鳥から降りると丁寧に挨拶をして、そして手の巻紙を見せた。

 俺が受け取るために立ち上がろうとすると、それよりも早くリトリィが動いた。


「夫へのお手紙ですね? ムラタは、そちらの黒髪のおかたです。わたしはムラタの妻のリトリィです。代わってお手紙をちょうだいいたします」


 リトリィはそう言ってうやうやしく巻紙を受け取ると、俺のところに持って来た。

 封蝋ふうろうを丁寧にはがすと、「お読みいたしますね」と微笑む。俺がまだ文章を読むことが苦手なことを踏まえて、人前で恥をかかせないためだろう。


 ありがたいと思うのと同時に、そんな自分が不甲斐ないとも思う。ただ、そうやって動いてくれる女性に支えられて俺は生きていける、そんな自分を自覚して、謙虚に生きたいとも思う。


「……だんなさま。お仕事のお話だそうです。だんなさまに、お仕事をおねがいしたいみたいです。ファーミットさんとおっしゃるそうですけれど……大工ギルドで、お待ちだそうです」

「俺に? ……ていうか今、待っているっていうことか?」

「そのようですけれど……」


 リトリィも、やや困惑気味だ。

 ……突然の手紙で、それ? とんでもない話だな。


「すまない、お使いの方。この手紙を俺に寄こした人は、ギルドで今、待っているのか?」

「はい。お待ちになられております」

「……そうか」


 俺はため息をついた。電話がなくても手紙はある、けれどこの手紙はリアルタイムで人を待たせている手紙、というわけだ。俺も、小さいとはいえ事務所を構える職人の一人。これをスルーしてしまったら、悪評に繋がってしまうだろう。会うだけ会って話は聞かねばなるまい。


「だんなさま、あとのことはおまかせください。だんなさまは、お手紙のかたのところへ」


 リトリィが胸を張ってみせる。妻として実に頼もしい。申し訳ないが、今回は指名してくれた顧客を優先することにしよう。

 俺は使者の男性が乗ってきた騎鳥シェーンにまたがると、大工ギルドに向かった。




「わしのことを忘れておったじゃと? まあ、仕方ないじゃろうな、あんたの仕事を途中で取り上げて放り出しちまったのじゃから」


 ギルドで顔を合わせて思い出した。この爺さん、以前、火災に遭った集合住宅の再建の仕事の施主さんだったのだ。


「なぁに、気にすることなどない。それよりムラタさん、お元気そうでなによりだ」

「いえ、そちらこそお元気そうでなによりです」


 依頼人の老人──ファーミット氏は、俺の失礼な反応に対して気にするそぶりも見せず、むしろ機嫌良さそうに挨拶をしてきた。

 どうもあの集合住宅に取り付けたベランダは、なかなかの好評らしい。あの区画はかつての防衛計画上の観点から壁が厚くて窓が狭く、そのため部屋の中が暗いという欠点があった。ベランダは、そんな家の欠点をある程度緩和してくれるのだという。


「おかげで、周りより多少賃料が高くても入りたいという上客で、あっというまに埋まってな。カネはかかったが、思いのほか早く回収できそうだ」


 ファーミット氏は、そう言って笑う。しばらくアパートの評判などについて上機嫌で雑談をしていた彼は、一枚の図面を出してきた。三番門前広場の近くの地図だった。


「いや、実はな。近頃、新しい物件を買い取ってな。この、門前広場から少し奥に入った……ここだ。こいつの改装を頼みたいのだ」

「改装、ですか?」

「おう。あのベランダを付けてもらいたい。あの集合住宅のあの話、あんたが考えてくれたじゃろう? 今度も頼みたくてな」

「それは……たいへんありがたい話ですね。お力になれるのであれば、ぜひ協力させてください」

「やってくれるか。いやあ、以前、義理を欠いてしまったことをわしもずっと気にしていてな。どうかと思っていたんじゃが、そうか、やってもらえるか!」


 前回、途中で俺の関与が打ち切られたのは、この地方を管理する貴族であるフェクトール公を背後にした大工ギルドの差し金だ。俺を切ると告げたときの、ファーミット氏の苦渋に満ちた表情が思い出される。あれは、ファーミット氏のせいとは言えないだろう。


「それにしても、この立地は……」


 俺は、地図に示された周辺の道をなぞりながら、アパートとその周辺を思い浮かべてみる。

 地図といっても、俺がよく知る日本の詳細で正確な地図ではない。もしかしたら防衛上の問題もあるのかもしれないが、実に大雑把な地図だ。多分、方角も道も正確ではないだろう。だが、位置関係はなんとなくつかめた。


 地図を信じれば、おそらく南東に窓が向いている物件。朝は真っ先に明るくなるが、昼過ぎにはもう暗くなってしまう部屋だ。昼過ぎからしばらくは日が入るだろうけれど……。


 たしかに、ベランダがあった方が、少しでも洗濯物を日に当てておけるかもしれない。日に当てておけなくても、風によって少しでも乾燥させることができるだろう。


 ただ、地図が地図なのでなんとも言えない。周りの建物の状況もあるし、見てみないことには、ベランダの有効性を確信することは難しいだろう。


「なんとも言えませんね。この立地ですと、たしかにベランダは効果的かもしれません。ただ、実際に見てみないことには……」

「ほう。効果がありそうかね。だったら今すぐ見に行こうじゃないか。

「今すぐ、ですか?」

「アンタも『幸せの鐘塔しょうとう』のことで忙しいんじゃろう? だったら、できるうちにできることをしておいた方がよかろう。馬車も用意してある」




「ここ、ですか?」

「そうだ。この建物だ。どうだね?」

「……少々、地図と位置が違っていますけれど……」

「なに、地図なんてそんなもんだ。間違いなくここだ」


 この世界の地図があまりあてにならないことは一応承知していたが、やっぱりあてにならなかった。『そんなもんだ』で済まされるほど、庶民の中では共通理解が図られているくらいに。


 俺は苦笑いをしながら、ほぼ荷台といっても差し支えないような馬車を降りる。まあ、オープンカーといえばちょっとぜいたくな気分だ。……気分だけだ。ただ、周りの様子を見ながら来ることができたのは非常に大きい。


 位置的には三番門、つまり街道に向けた南向きの門の前にある広場から少しだけ奥に入った路地に立つアパートだった。


 やはり初期の街らしく、周りは石造りの建物が並んでいる。装飾も少なく、壁も分厚そうで堅牢。質実剛健、と言えば聞こえがいいけれど、やはり一階の窓は縦に細長く小さく、二階より上もそれほど大きくなく、快適な住まいとは言えそうにない。


 そして、何が厳しいって、その立地だった。

 アパートの前の道は、地図上は大きな道に見えたのに、実際には乗ってきた小さな馬車がぎりぎりすれ違うことができる程度の幅しかない。それでも、まだ馬車がすれ違うことができるだけましなのかもしれないが。


 向きも、南東どころか東南東。これでは、昼を過ぎたら日が入らなくなってしまうだろう。


 三番門前広場の市場のにぎやかさが聞こえてくるほど市場に近いのは便利なのかもしれないが、こんな暗い部屋に住みたいとは、俺には思えない。


 だが、フェルミが住んでいた部屋を思い出す。小さな窓が一つだけで日がほとんど差し込まず、狭くてカビ臭くて、ベッドと小さなテーブルだけの、調理器具すらほとんどない殺風景で生活感のない部屋。


 俺が無理やり引きずり出して家に連れて来るまで、彼女はそんな部屋で生きてきたのだ。たった一人で。初めてあの部屋を訪れた時、すがりつきすすり泣く彼女を抱きしめながら、泣けて仕方がなかったことを思い出す。

 あんな部屋で、自身を男と偽りながら、だれからも支えられず、一人で生きてきた彼女を、どうにかして幸せにしてやりたいと思ったあのとき。


 それを思えば、これでも需要はあるのだろう。ならば、少しでも住みよい家にするのが、住む人がすこしでも幸せを感じられる部屋にするのが、俺の使命だ。


「中は見られますか?」

「ああ、空き部屋だらけだからな。好きに見てくれ」


 俺はさっそく、玄関を開ける。すでに午後、玄関の中は暗い。そのまま中に入って行くが、廊下も暗かった。一階の部屋が暗そうなのは見る間でもないからとりあえず置いておいて、二階、そして三階の部屋を見て回る。


「……暗いですね」

「この通りに立ち並ぶ家なら、どこもこんなもんじゃろう? アンタの手で生まれ変わらせてくれ」


 しかし、部屋は東南東向きの窓があるだけなのだ。明るくしようにも、やりようがない。窓を広げるほかはないだろう。掃き出し窓にするだけでも、ずいぶん変わる気がする。ただし、耐震性には十分に配慮しなければならないだろうな。


 そう言って、部屋から出たときだった。人の声が聞こえた気がした。


「……だれか、もう入居されている方がいらっしゃいますか?」

「もう入居というより、前からずっと住んでいる奴がいるぞ」


 ……え?

 それはちょっと、まずくないのか?

 日本でも賃貸物件のオーナーが変わる(大家が、ほかの人間・法人に物件を売却する)ことはあり得る話。そう考えれば確かに問題はないのかもしれないが、しかし住人は、この物件を改装することに同意しているのだろうか。

 そう思ったが、ファーミット氏には「何がまずいのかね?」と逆に尋ねられてしまった。


「この物件に住んでいるのは、残りあと一世帯でな。家賃も随分未払いを溜めておるそうだ。困った話だが、アンタの改装が終わり次第、支払えなければ立ち退いてもらうことになっておる。可哀想だが、まあ仕方あるまい」


 ……ちょっと待て。

 そうしたら、俺がその世帯の暮らしにとどめを刺すことになる──そういう意味にならないか?


「どのみち、ずいぶんと家賃を払っておらんのだ。本来ならとうの昔に追い出されているところだったのを、ワシが大家になったことで、工事が終わるまでは支払いを待ってやることにしたのだ。工事が終わってもなお払わないというのであれば、仕方がなかろう」


 確かにそうなのかもしれないが、しかしそれはあまりにも乱暴なんじゃないだろうか。だが、すでにずいぶんと家賃を払っていないということは、ひと月やふた月どころではないのだろう。難しい問題だ。俺がどうこうできる問題でもないのかもしれない。




「どうにかなりそうかね?」

「そうですね……なかなか陽射しが入らない立地ですから、すこしでも光を取り入れられるようにして、あとは、ベランダで物干しをする場を設けられたら、と思いますが……」

「なんとかなりそうだと言うことだな! それを聞いて安心したよ! 今度こそ、アンタに全部を頼むから! ではよろしく頼むよ!」


 ファーミット氏は上機嫌で馬車に乗るように促した。


「話がまとまった記念じゃ。少し遅くなってしまったが食事に行こうじゃないか。そうだ、せっかくだから『赤の扉亭』にするぞ。あそこはムササビ肉を使った料理が美味くてな!」


 その誘いは魅力的だったが、しかし俺は気になることがあって、またの機会に、と断ることにした。


「ほんとうにいいのかね?」

「ええ。ここから四番門前広場まではそれほど遠くもないと思いますし、構いません。歩いて帰りますよ」


 俺は、ファーミット氏の馬車が遠ざかっていき、路地を曲がったのを確認すると、もう一度家に入った。先ほどは二階、三階の部屋に入ってみたが、一階にはまだ、入っていなかった。人の気配は下からした。ということは、一階の部屋のどこかだろう。


 俺は廊下を歩くと、確かに人の声が聞こえた。その一室のドアの前に立つと、俺はそっとノックをした。声が聞こえなくなり、長い時間が経過した。俺はもう一度ノックをすると、だいぶ経った後で、かちゃり、と鍵が開く音が聞こえてきた。俺はドアのノブを手に取り、思い切って開けた。



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