第636話:ソーラーパワー運用開始!

「か、監督! なにやってるんすか!」


 レルフェンが悲鳴じみた声を上げるのを見て、俺は笑って挨拶の手を上げた。


「なにって、朝の水浴びだ。しかしレルフェン、まだ日の出だぞ? ずいぶん気が早いな」

「だ、だって監督、聞いたこともない装置の完成っすよ? 昨日から気になって……!」

「そうか、いい心がけだ。ただ、まだ早すぎる。なんなら一緒に水浴びしていくか? お前たちが昨日設置してくれた揚水機は、ずいぶん調子がいいぞ?」

「いや、その……!」


 顔を真っ赤にしてしどろもどろになったレルフェンに、リノが駆け寄る。

 朝日のなかで、白い素肌にきらきらと輝く水滴だけを身にまとって。


「大工のお兄ちゃん! えっと、おはようございます!」

「えっ……あっ、いや、その……!」


 元気に手を挙げ、ついでにしっぽもピンと立てて挨拶するリノに対して、レルフェンはあたふたと両手で顔を覆ってしまった。

「かか、監督! どういうことなんすか!」

「いい子だろう?」

「い、いい子って……!」


 リノはそんなレルフェンの態度に首をかしげたが、すぐにこちらに取って返してきた。ちゃんと挨拶はできたと言わんばかりに、得意げに、しっぽをぴんと天に向けて、飛びついてくる。


「リノ、元気のいい挨拶ができたな。いい子だ、偉いぞ」

「えへへ、ボク、いい子? わぁい、うれしい! だんなさまにほめられた!」


 朝日を受けながら、銀のしずくをまき散らすようにうれしそうに跳ね回るリノ。

 ああ、ソーラーパワーはすばらしい。水滴を振りまくリノが、ダイヤモンドの粒をまとっているかの如く美しく映える。


 そんな、光を振りまく愛らしさ、白い裸身を陽にさらして跳び回る天真爛漫な姿を見ていると、こちらも頬がゆるんでくる。

 かつてはリトリィのことを天使だと思っていた俺だが、今の俺にとってリトリィは女神で、天使はリノだ。


「そ、そういう問題じゃなくて……なんで二人とも裸で水浴びなんか……!」


 レルフェンが、指で目を覆いながら困惑したようにしている。


「裸って、俺はちゃんと手ぬぐいで腰を覆ってるぞ?」

「り、リノさんっすよ! なんで何にもつけてないんですか!」

「それが、リノは布が水で張り付く感触が嫌いらしくてなあ。何度手ぬぐいを巻きつけても捨てちまうから、あきらめた」

「そういう問題すか⁉」

「そう、問題なんだ。実際、少しだけ困っている。パンツの件とか。まあ、可愛いくはあるんだけどな」

「か、可愛いは分かりますけど……!」


 そう言いながら、なぜかレルフェン、庭を跳ねまわっているリノの方に、顔を向けている。顔を手で覆っているのに。


「リノのこと、見てるのか?」

「み、みみみ見てないすよっ!」

「そうか。ならいいんだが、困ったことと言えば、リノの今のしっぽ──ほら、いまどうなってる?」

「ピンと……え、ええと! どうなってるんすか⁉」

「あいつの癖でな。うれしいときなんかに、ピンとまっすぐしっぽを立てるんだ。分かるか? 今もしっぽ、立ててるだろう?」

「そ、そうすけど、だからなんなんすか⁉」

「……見てるよな?」

「見てないすよ!」


 レルフェンが悲鳴を上げたとき、家の中からひょっこりと顔を出したのがリトリィだった。


「だんなさま、リノちゃん、お食事──」


 言いかけて、そこにレルフェンがいるのを見て、不思議そうに小首をかしげた。


「あら、いつもの大工さんじゃないですか。どうしたんですか、こんな朝から」

「えっ……あの……!」

「せっかくですから、ごいっしょにお食事はいかがですか?」


 にっこりと微笑むリトリィに、さらに赤くなるレルフェン。


「どうした?」

「い、いや、あの……!」

「せっかくだから食っていけ。こんな朝っぱらから来て、どうせろくなものを食ってないんだろう? リトリィ、もう一人分、席を追加してくれないか?」

「はい。おまかせください、だんなさま。すこしだけお待ちくださいね」

「手間を掛けさせて済まないな、この手間の分は、またあとで……」

「はい。ふふ、楽しみにしていますね」


 リトリィは身をひるがえすと、ドアの向こうに消えた。ぶんぶんと上機嫌なしっぽがまた、愛らしい。


「か、か、監督……! い、今の……エプロン、だけ、しか……!」

「お前も早く相手を見つけろ。結婚はいいもんだぞ?」

「そ、そういう問題じゃない気が……!」


 俺はリノを呼び寄せると、うれしそうに飛びついてきた彼女の頭に手ぬぐいを乗せる。顔をふき、わしわしと頭をふき、肩、胸、背中、おしり、しっぽ──徐々に下に下にと、濡れた肢体をふいていく。


「えへへ、くすぐったーい!」


 耳やしっぽをぴこぴこと跳ねさせながら、リノが身をよじらせる。とはいっても、本気でこちらの手から逃れようとしているわけではない。あくまでも、じゃれているだけだ。素直に薄手のワンピースに袖を通す。


 幼い子供だと思っていたのに、いつのまにかそのしなやかな体は、急速に健康的な色香を漂わせるようになってきた。言動はまだまだ子供っぽさを感じさせるが、いつまでこのような関係でいられるだろうか。


「レルフェン、ほら、こっちに来な。この渡り廊下のおかげで、前までは水浴びのあと、足だけはどうしても泥だらけになって家に戻っていたのが、今日からは足が綺麗なまま家に入れるようになる。ありがとう」

「は、はあ……でも、設計は監督っすから……」

「設計は俺でも、建てたのはお前たちだ。さ、朝飯にしよう」


 俺の言葉にひょこひょこ家に入ってきたレルフェンは、食卓を見てあっと声を上げ、そして立ち尽くした。


「あ、朝から温かいメシっすか⁉」

「夫がきめた、おうちの決まりです。お食事はいつもあたたかいものをと」


 微笑むリトリィに、レルフェンが目をむく。


「か、カネ持ちっすね……!」

「そうでもない。俺がリトリィの作るものを美味しく食べたいだけだ」


 金持ちかと聞かれたら、俺は間違いなく胸を張って「庶民です!」と答える。だが実際は「現代日本人にとっての庶民」であって、この世界では間違いなく小金持ちの部類に入ると、理解はしている。


 朝食から温かいものを、客もいないのに食べる──それは、この街で、朝から煙を立ち上らせる家が、少なくとも門外街にはほとんどないことからも明らかだ。理由は簡単で、燃料代がかかるからだ。だから、マイセルやフェルミから聞いた話だと、一般的に朝食は夕食の残り物で済ませるらしい。


 具体的には、乾燥して固くなったパンを、冷たいシチューやスープに浸して食べる。もちろん前の晩の残りだから、シチューだった場合は半固体状だ。


「だんなさまがよろこんでくれるなら、わたしはいくらでもがんばれますから」


 そう言いながら、席をひとつ追加するリトリィ。ああ、彼女がどういう考え方をしているかなんて分かっちゃいるけれど、そうやって言ってもらえるってのは本当に幸せだと思う。


 朝はごはんに味噌汁。それに加えて、子供の頃はおふくろが毎日、親父の弁当を作った残りをおかずにしていた。そんな食卓で暮らしてきた俺だ。朝から冷めきってドロッとしたシチューをパンに塗りつけて食べるなんて、できればしたくない。

 もちろん、この世界においてそれはわがままだとは分かっている。


「でも、カネも手間もかかるっすよね……」

「だからこそだ。俺のわがままに付き合って頑張ってくれている嫁さんたちには、頭が上がらないよ」


 レルフェンの素直な感想に、俺は苦笑しながら答えた。

 実際のところ、カネに関しては、この世界で作ったカラビナのロイヤリティ収入がナリクァン商会からちょこちょこと入ってくるようになった。だから、とりあえず日々の生活に困らない。


 先日実用化した消毒用のアルコールについては、今はまだ宣伝中で、ロイヤリティが得られるほどではない。売れるようになるにはまだまだだろうが、いずれはその収入も少しは手に入るようになるだろう。


 ただ、カネがあってもなくても、食材の調達から調理、後片付けまで、すべてリトリィたちが手間暇かけてくれることに変わりはない。彼女たちの献身には、本当に頭が下がるばかりだ。


 俺が食事作りに参加しようとしてキッチンに入ろうとすると、「ここはわたしたちの場所です。だんなさまは居間でお待ちになってください」などと拒否されるってのもあるが、それだけ彼女たちが自分の役割というものに誇りを持ってくれているのだろう。


 するとマイセルが、俺の前に焼き立てのパンを置きながら微笑んだ。


「逆ですよ、ムラタさん。お姉さまは、ムラタさんにかわいがってもらえてるから、そのお返しに頑張ってるんですよ?」


 どっちだっていいんだよ、君たちの努力に頭が下がる、ってのは事実なんだから。頭をかきながら席についたレルフェンと共に、まずは食卓の恵みを神に感謝し、祈りを捧げる。


 日本にいたころは神様なんて信じてなかったし、実のところ今も神様って奴の存在を疑問視してはいるんだが、少なくとも俺とリトリィを引き合わせてくれた「何か」に対する感謝はしているんだ。


 二十七歳まで女性とのまともな縁がなく、自分から動くこともせず、仕事に没頭することで忙しいという言い訳を作って、女性との関係づくりから目を背けて逃げていたのが、日本での俺だ。


 そんな俺に光を投げかけてくれたのがリトリィ。だから俺は、彼女のために居場所を作り、共に幸せになる──この世界で生きていく決心を固めたんだ。




「こっちは問題ありません! 集熱管の漏水ろうすい、なくなりました! 順調です!」

「第二揚水機の呼び水受け、やっぱりちょっと安定しないです。引っ張り上げる滑車の位置、もう少しずらしてみます」

「温水槽満水時の自動給水停止装置、三回目の動作試験の成功を確認しました! 今度は大丈夫みたいです、さっきと違って改良版これならいけると思います!」

「揚水風車塔の第二揚水機、報告します! こっちの貯水槽の自動給水停止装置も大丈夫です! ちゃんと動くようになりました! やりましたよ監督!」


 リトリィたちが庭のテーブルで午前のお茶を準備しているさなか、ついにシステム全体が完成し、太陽熱温水器も試験運用までこぎつけることができた。

 あとは集熱パイプと温水タンクとで、温まった水が自然対流によって行き来し、タンク内の水が温まっていくことが確かめられたら、もう万々歳だ。


「お前ら、昼まで休憩だ! 昼飯もうちで食っていってくれ!」

「やった! 監督のうちのメシが食える!」


 朝っぱらから、揚水風車塔上の第二ポンプと貯水槽、そこからつながる入浴小屋の太陽熱温水器のシステムは、トラブルの連続だった。


 パイプの継ぎ目からの漏水ろうすいはもちろん、タンクが満水になったことを検知して自動的に給水を止める自動給水停止装置、タンクが満水になったら自動的に歯車をニュートラルの位置に外して歯車の摩耗を防ぐ装置など、うまくいかないことが何度もあった。


 けれど、その場で改修を考え試行錯誤を繰り返し、午前のお茶の時間には間に合わせることができた。マレットさんをはじめとした職人たちと、そしてヒヨッコたちのおかげだ。


「さあ、仕組みが完成したなら、今日は最後の仕事が待ってるぞ。お前たち、覚悟しろよ。今日の夕方は実験台になってもらうからな」

「……実験台?」


 ヒヨッコたちの顔色がさっと変わる。


「……な、なにするんすか?」

「今日はいい天気だからな、うまくいけば、温水槽の中の水は、夕方までにはいい感じの湯になるだろう。そこで今日は、この仕組みを完成させたお前たちが、自分たちが作った湯で汗を流してほしい。成功しても、……もちろん失敗してもだが」


 ヒヨッコたちが、互いに顔を見合わせる。


「え……? いいんすか?」

「いい。お前たちのおかげだからな。……ただしうまくいかなくてぬるま湯だったとしても、許してくれよ?」


 再び歓声が上がる。マレットさんたちも頬が緩んでいるようだ。


 まだあいにく浴槽は完成していないから、風呂に入ることはできない。

 それは残念だが、いずれは湯と水を混ぜて丁度良い温度にするための混合水栓蛇口カランを取り付けるための、温水槽からの配管と第二貯水槽からの水を引き込む配管はすでに整っている。


 だから、湯を浴びるだけなら今夜からだってできる。ソーラーパワーを使っての、贅沢に湯を楽しむ生活が今日から始まるのだ!



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