第629話:すべてはきみのために

「それにしても、変わった屋根の構造を考えましたね」

「変わっているかい?」


 バーザルトに問われて、俺は笑った。


「ええ、ずいぶん変わってると思います。片流れの屋根に、やたらと多い母屋に垂木。必要以上に、重量に耐える構造をしています。監督の家を作った際の屋根とは対照的ですね」

「いいことに気づいたな。じゃあどうして、バーザルトのいう『変わった構造』にしたんだと思う?」

「それは……」


 首をひねるバーザルトの下で、エイホルが「何か重いものを載せるからじゃないんですか?」と聞いてきた。あっさりと正解してしまった。


「重いもの? 浴室の屋根にですか?」

「ああ、屋根で湯を沸かそうと思ってな」

「屋根で、お湯を?」


 全員の手が止まる。


「……屋根の上に、お風呂を設置するんですか?」

「馬鹿、だったら小屋の中は何のためにあるんだよ」


 レルフェンがエイホルの頭をはたく。

 まあ、レルフェンの反応ももっともだけどな。

 もうしばらく考えさせよう、種明かしは食事の後だな。




 神への感謝の祈りをささげ終わり、「さあいただこうか」と言った瞬間、ヒヨッコどもの手が一斉にテーブルに伸びる。


「さすが監督の奥さん! 美味いっす!」


 レルフェンが、涙を流さんばかりに煮芋をかき込みながら叫ぶ。いや、そこまでしなくても、とは思うが、実際に美味いのだ。


 見習いの賃金は少ない。

 マレットさんが俺の現場にヒヨッコばかり回してきたのは、それほど難しい作業は必要ないことと、彼らの懐事情を少しでも温めてやりたいという親心だろう。

 俺も、大学時代は親に負担を掛けないようにするためにバイトでいろいろやりくりしてたから、腹いっぱい食える幸せってのは、理解できるんだ。


 だから、リトリィには申し訳なかったが、彼らのぶんの食事も準備するようにお願いした。すべては、将来の街の大工仕事を担うこいつらのためだ。

 頭を下げた俺の頼みに、リトリィは微笑んでうなずいてくれた。そして、すべてを一人でこしらえてくれた。大変だっただろうが、それでも実に楽しそうにしていた。


「だって、いつものことですから。それに、あなたがわたしにおねがいしてくださったんです。あなたのためなら、リトリィはなんだってできます」


 彼女はそう言って、本当にくるくるとよく動いた。

 言われてみれば確かにそうだ。彼女は、『幸せの鐘塔しょうとう』の飯場にやってくる作業員たちの胃袋を満たすために、いつも大量の食事を用意しているのだから。


 とはいえ、それはリトリィだけでなく、多くの手によるものだ。煮芋、焼いた鯉、鯉の煮つけ、鯉のスープ。菜物のおひたし、木の実ときのこと菜野菜の炒め物。そして、いつものナンのようなもちもちパン。


 肉はないが、こればっかりは手に入る機会が限られているから仕方がない。冷蔵庫のない世界なのだ、新鮮な肉というのは貴重品なんだ。もちろん、それは十分承知の上だから、何の不満もない。それよりも、「おひたし」という概念がなかったリトリィが、俺の話を聞いて作ってくれるようになった、それだけでも幸せだ。


 ……幸せのはずなんだが、目の前の料理がものすごい勢いで消えていく。

 お前ら、少しは遠慮しろ!

 ……と言いたいが、そんなことをしたら俺の器量が疑われる。

 にっこり笑って「もっと食え」としか言えないのが辛い。

 やばい、俺、このままじゃ本当に自分の分のパンとスープしか食えないぞ?




 食後にリトリィが淹れてくれたお茶をいただきながら、俺はヒヨッコたちと話をしていた。


「湯を張った風呂、ですか? 蒸し風呂ならたまに行きますけど……」


 この前、色々とあった三番大路は、街道に向けて開けたメインストリートだから、旅人向けに、公衆浴場としてのサウナが結構あるらしい。

 俺は毎朝、リノと水浴びをしているからわざわざそういった施設に行こうとは思わないけれど、リトリィやマイセル、フェルミ、そしてヒッグスとニューは、食事の際に使ったオーブンの予熱で温めておいたぬるま湯を使って、体をふいている。


 でも、マイセルに言わせれば、お湯を使えるだけでもありがたいんだそうだ。マレットさんの家では冷水に浸した手ぬぐいで体をふいていたらしいし、それが庶民の一般的な姿なのだという。


 この街に初めて来たときに利用した宿は、希望すれば桶一杯分の湯を、たらいと共に貸してくれた。でも、それってかなりの高級サービスだったんだ。湯の値段は別料金だとすれば、それなりに高かったんじゃないだろうか。


 ──だからこそ、風呂を作ってやりたいんだ。手軽に汗を流せる風呂を。


「でも、人ひとり分のお湯を沸かすだけでも、かなりのたきぎだいが必要じゃないですか?」

「水を運ぶのも、大変すよ?」


 バーザルトもレルフェンも、不思議そうに首をかしげる。

 他の新人たちも、湯を張った風呂に入ることがいかに贅沢なことか、よく分かる反応を示す。


「……あれ? そういえば、今回の小屋に、そんな湯を沸かす場所なんてありましたっけ?」

「無いな」


 俺の言葉に、エイホルが手を叩いた。


「そうか、家で沸かしたお湯をもって行くんですね。だからあんな廊下を──」

「そんなことやってられるわけないだろ? 小屋の隣にでも、湯を沸かすための暖炉みたいな奴をつけるんだよ、きっと」


 エイホルの答えを即座にレルフェンが却下する。


「残念だがどちらも外れだ。火は使わない。太陽の光で温めるんだ」

「太陽の光で……⁉」


 ヒヨッコたちが目を丸くした。


「え……、でも、そんなうまくいきますか?」


 バーザルトが、おそるおそる聞いてくる。


「なに、うまくいったら熱々の風呂に入れて、うまくいかなくてもたきぎなしでぬるい湯が手に入るんだ。こんなにいいことはない」

「は、はあ……」

「どうせこれから夏だ。お前たちも、外に置きっぱなしにしてしまった道具が、やけに熱くなっていた、って経験はないか?」


 それに対しては、全員がうなずく。


「それを利用するのさ。鉄の管に水を通して、それを置いておく。そうすると、管ごと中の水が温まる、というわけだ。暑い夏なら、間違いなく十分に加熱された湯が手に入るだろう。一日の汗を流すにちょうどいいはずだ」


 ヒヨッコたちは顔を見合わせた。やはり、いまいちピンとこないようだ。


「……鉄の管を置くのは分かりましたけど、あそこまで屋根裏を補強しなきゃならないんですか?」


 バーザルトが、首をかしげながら聞いてきた。


「そうだな。鉄の管は重いし、なにより水自体も重いしな。水汲みの大変さ、知らない奴はいないだろう?」


 これまた全員が神妙にうなずいてみせるが、本当に分かっているのか?

 俺はまだ山の鍛冶師ファミリーの家にいたころ、谷川から水を汲んで往復していたが、あれほど過酷な労働はなかなかないと思っている。

 本来、その労働はリトリィの仕事だった。だから彼女の負担を減らしたくて、井戸のポンプやら揚水ようすい風車を考案したんだ。


 それを、もう一度ここで作るってだけだ。

 すべては君のために──リトリィ。


「……混乱させたみたいだけど、この仕組みを、俺は太陽熱温水器と呼ぶことにした。これは、きっとこの街を──世界を変える、第一歩になると思っている。それくらいの衝撃力がある道具になるはずだ。まあ、見ていてくれ」


 ヒヨッコたちは笑ったものの、その顔はみんな、どこか引きつっていた。

 ──お前ら、自分の上司を少しは信じろよ!




 ヒヨッコたちを送り出し、しばらく後片付けをしていたリトリィが、エプロンで手をふきながらこちらにやってきた。


「あの子たち、いっぱい食べましたね」

「おかげで俺が食ったのは、自分のパンとスープと、あとは焼いた鯉くらいだぞ」

「ふふ、そんなことを言って……。あなたの目、リノちゃんやニューちゃん、ヒッグスくんを見る目と同じでしたよ?」


 リトリィは微笑みながら隣に座る。

 俺の目が、要するにチビたちを見る目と同じだってことだ。

 我先にと食べ物を口に突っ込む連中を見ていると、そういう気持ちになってしまうんだ。仕方がないだろう?


「……まあ、年下には腹いっぱい食わせる──ビジネスパーソンの心得って奴だ」

「びじねす……、なんですか?」

「……なんでもない。気にしないでくれ」

「よくわかりませんが、ニホンのお言葉なんですね?」


 そう言って微笑むと、彼女は隣に座り、俺の体を抱き寄せるようにして、膝枕をしてくれた。


「リトリィだけだよ、掛け値なしに信じてくれるのは」

「だって、あなたがかんがえてくださったことですから」


 微笑むリトリィの頬に手を伸ばしすと、その手が触れる前に察した彼女は、身をかがめると、そっと唇を重ねてきた。


 ああ、リトリィ。

 そうやって、俺を信じてくれる君が愛おしい。

 彼女の長い舌のぬくもりを味わいながら、心の底からそう思った。



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