第625話:鉄火場の惨劇

 白子アルビノに近いリトリィは、だからこの世界では珍しい、淡い金色の毛並みをもつ。髪も体毛も、もちろんしっぽも。


 だがその体は、いまやアカギツネといってよかった。赤茶色に染まった体は、決して赤熱している溶けた鉄にあぶり出されているからではない。錆の色だ。なだれ落ちてきたてつくずの山から、仲間を引っ張り出してきたからだ。


「リトリィ、無事か!」

「それよりあなた、どうしてこんな……!」

「探しに来たんだよ! 君が無事かどうか、心配で──」


 言いかけて、けれどそれ以上、口に出せなくなる。

 全身がふかふかの彼女が、てつくずの中に潜り込んだらどうなるか。

 彼女が這い出してきた穴には、金色の毛の塊がいくつも見える。頭に巻いている不燃布の隙間からこぼれた金の髪は、ひどく不揃いだ。

 ちりちりと毛先が跳ね飛んでいるのは、てつくずに絡まった髪を無理に引きちぎったからか、それとも焼けた鉄に触れて焦げてしまったのか。


「わたしはだいじょうぶです! それより、このひとがたぶん、さいごのけが人で……!」

「大して揺れなかっただろう? なんで、こんな──」

「あなた、今はそんな話をしているときではありません! すぐにここをはなれてください! このかたをおねがいします!」

「お願いしますって……リトリィ、君は!」

「隣の一番炉の石炭庫から崩れてきた石炭に、火が付き始めているんです! はやくなんとかしないと、工房が燃えちゃう!」


 リトリィはそう言って、背負っていた男を俺に押し付けて奥に走り出した。


「リトリィ、待て! どこへ行くんだ!」

「砂を取ってきます! 火を消さなきゃ! あなた、そのかた、ひどいけがを負っていますから、お手当てのためにも外へ! それから、応援も!」




 俺なんかよりもずっと筋肉質で重量のある男を背負いながら、必死で俺はもと来た通路を引き返していた。

 本当はリトリィのそばにいたかったさ! 一緒に手伝いたかった。けれど、彼女が言ったんだ。応援を呼んで欲しいと。だったら、俺にできることはひとつだ。


 半分ほど引き返したあたりだったろうか。黒い煙の向こうから男たちと鉢合わせた。


「ゴッス! おめぇゴッスじゃねえか! とっくに死んだと思ってたぞ! おい、アンタ! こりゃあいったい……!」


 ……助かった!

 俺は、声をかけてきた男に無我夢中ですがり付いた。


「二番炉で……てつくずの山に埋まっていた……! 怪我人は、これで最後だって……。死んではいないが、酷い怪我をしている! 手当てをしてやってくれ!」

「もうこっちに怪我人はいないんだな? 分かった。……おい、シュミード! こんなヒョロガリじゃ無理だ、お前がゴッスをかついで、ついでにそいつも出口まで連れてってやれ!」


 シュミードと呼ばれた半裸の男が、俺に代わってゴッスと呼ばれた男を担ぐ。


「……見ない顔だが、礼を言うぞ。さあ、こっちだ」

「待ってくれ!」


 男たちは、そのままどこかへ行こうとする。

 冗談じゃない。俺は男たちに向かってとりすがった。


「石炭に火がつき始めてるんだ! 消火に人手が足りない! 応援に……!」

「なに言ってんだ、これだけ派手な煙だ、それくらい分かっている! だからみんなで逃げてんだろうが! アンタが誰だか知らんが、とっとと逃げるんだよ!」

「違うんだ! リトリィが、消火のために残ってるんだ! 頼む、応援に行ってやってくれ!」

「馬鹿か!」


 突き飛ばされ、しりもちをつく。そんな俺に、男はあきれたように叫んだ。


「この煙だぞ! 火が付き始めてるなんて話じゃねえ! 下手すりゃ火柱だ! もう消火どころじゃねえ、間に合わねえんだよ! 死にたくなけりゃ、とっとと逃げやがれ! こっちは逃げ遅れがいねえか、命かけて探してるってのに!」

「そ、そんな……!」


 確かに真っ黒な煙がもうもうとたちこめ、目が痛くて仕方がない。

 だけど……だけど、その発生源に、まだリトリィがいるんだ!

 応援が来ることを信じて!


「あっ……待ちがやれ! 死にてぇのかヒョロガリ!」

「死ぬ気なんてない! でも妻が一人で残っているんだ! 工房を守ろうとして!」

 

 止める声なんて聞いていられない!

 俺は咳き込みながら、煙が襲い来る方に向かって走り出した。




「あなた……どうして! どうしてもどってきたんですか!」

「君がここにいるからだろう!」


 隣の一番炉の大きな石炭庫から溢れるようにして小山を作っている石炭は、雪崩れたてつくずに押し倒されるようにして倒れた二番炉からこぼれた鉄によって、今や火柱に代わろうとしていた。


 炎は高く燃え上がり、真っ黒な煙が工房の高い屋根をすっかり覆い尽くしている。

 屋根にたくさんの換気口があるうえに基本的に壁がないせいなのか、火柱は邪魔されるものなど無く燃え上がっている。


 このまま燃え広がっていけば、ほどなく一番炉の石炭庫まで燃え移るだろう。そうしたら、火柱は屋根を焼くほどのものになるに違いない。

 そうなったらもうおしまいだ、屋根は木製だから、それを伝って火が燃え広がってしまう! やがて屋根が焼け落ちれば工房一帯はめちゃくちゃになって、復旧までにさらに時間がかかってしまうだろう。


 リトリィは持っている鉄のシャベルのようなもので、石炭を少しでも除去しようとしている。だが、とてもそれでは間に合いそうにない。


「あなた、応援のかたは……?」

「来ない! もう間に合わないって……!」

「そんな……それじゃ、工房は……!」

「もうだめだ、あきらめるんだ!」


 俺が彼女を抱きしめ、脱出を促そうとした時だった。


「いやです!」


 思わぬ力で、腕を振り払われる。


「わたしはジルンディールが娘、オシュトブルグ鉄工ギルド所属の鍛冶職人、リトリィです! お世話になった工房が焼けてしまうのを、見てなんていられません!」

「その職人達があきらめるって言ってるんだ! もう無理なんだよ!」

「むりじゃありません! なんとかなります! してみせます!」


 なぜこうも意固地になるんだ、リトリィは!

 ああもう、仕方がない!

 俺は壁に立てかけてあったシャベルを手に取ると、燃え盛る石炭まで走った。動かないならもう、やるしかないじゃないか!


「なにしてるんですか! あなたはにげて!」

「世界一大事な人を残して、俺だけ逃げるなんてできるわけないだろ!」


 火柱のそばの石炭をすくうと、リトリィがやっていたように、遠くに放り投げ──ようとして、それがとてつもなく大変なことだと気づいてしまった。


 石炭、結構重い!

 そりゃそうだ。地球と同じ生成方法なら、太古の植物の化石だもんな。重いに決まってる! だが、やると決めたんだ。泣き言なんて言っていられない!


 熱と石炭の重量に悪態をつきながら、それでもリトリィと共に石炭の小山を切り崩し、放り投げていたときだった。


 炎の中で、石炭の一部が爆ぜたようだった。火の粉が飛び散ってくる!


「あなた!」

「俺は大丈夫!」

「だいじょうぶじゃありません! あなたはもう、にげて!」

「リトリィがいる限り、俺が逃げるわけないだろ!」

「なにをいってるんですか! あなたは不燃布の服じゃないんですよ! そんな、そでのみじかい服で……!」


 更に複数の破裂音。

 むき出しの腕に、ズボンを貫通して脚に、そして髪の中に、汗の流れる額に、火の粉が飛び散る。

 肉の焼ける感触。

 鋭い痛み。

 声を漏らすまいと、必死に歯を食いしばる。

 目に入らなかったのが幸いだ。


「あなたっ⁉」


 ついにリトリィの声が悲鳴となった。


「もういいです、もういいですから! おねがい、にげて!」

「よくない!」


 俺は石炭に、シャベルを突き立てる。


「俺は君と添い遂げることを誓ったんだ、君の居場所が俺の居場所! 君の居場所は俺が作るんだよ!」


 シャベルを持ち上げ、石炭を放り出す。額に流れる汗をぬぐい、さらにかき出すために石炭にシャベルを突き立てた時だった。


 なんということだろう、足元の石炭のようなものを踏んでしまった俺は、思いっきり転倒してしまったのだ。てつくずや石炭が散らばる床に。


 右半身を襲う、息も止まる衝撃とともに、ざくりと、腕や脇腹をえぐり骨に響く、何かの感触。

 熱さのせいか、転倒のショックのせいか。

 食い込んでくる何かがある、ということしか分からない。ただ、奇妙な違和感だけが、そこを刺激する。


 リトリィの悲痛な叫び声が、妙に遠くに感じられる。

 くそっ……! リトリィのために引き返してきたってのに、彼女の邪魔をするようなことになるなんて……!


 リトリィの泣き叫ぶ声がどんどん遠ざかる。

 リトリィ……? どこだ?

 どこにいる、どこに行くんだ……?


 リトリィ、俺は、ここに……。


 何か、遠くで、複数の怒鳴り声が聞こえた気がしたけれど、俺はそれっきり、何も分からなくなった。



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