第624話:事故

「さあ、続きを始めるぞ。みんな、持ち場につけ」

「あ、あの、監督!」


 地震で中断していた作業を再開しようとすると、エイホルが、切羽詰まったような声を上げた。


「どうした?」

「家に……家に戻っていいですか!」

「家に? なぜだ」

「え、ええと、コルンが……んと、妻と子供が気になるからで……!」

「妻?」


 ……言われて思い出した。そう言えばエイホルの奴、まだ成人──十五になってもいないのに、もう子供がいるんだった。たしか、まだ首も座っていなかった気もするけれど。


「この程度なら特に問題もないだろう?」

「で、でも心配で……!」


 さかんに身振り手振りで訴える彼に、俺は苦笑しながらうなずいた。


「分かった分かった。じゃあお前たち、気になるひとのところにひとっ走り、行ってこい。様子を見て無事を確認したら、また戻って来いよ?」


 ヒヨッコたちは顔を見合わせ、一斉にうなずく。


「監督はどうされるんですか?」

「俺はここにいるさ。お前たちが戻ってきたら、作業を再開しなきゃならないからな」


 俺の言葉に、レルフェンが目を丸くする。有能ではあるが、いつも軽口を叩いていた男が。


「すげえ……。さすが監督、全然動じてない……!」

「なんでもいいから、とっとと無事を確認しに行け。お互いの無事を確かめ合ったら戻ってくるんだぞ。そうだな……一刻(約一時間)後に作業再開だ」


 ヒヨッコたちは返事もそこそこに、てんでに駆け出していった。


「……監督は、いいんですか?」

「なにが」


 最後に歩き出した少年──マレットさんのお気に入りの弟子のひとりであるバーザルトが、こちらを振り向いて言った。


「だって、マイセル──奥さん、妊娠中で、しかも働いているんでしょう? 大丈夫かなって……」


 ……大丈夫じゃない!

 マイセルはもちろん、フェルミだっているじゃないか!

 すまん、俺、ちょっと鐘塔しょうとう飯場はんばを見てくる!


 苦笑するバーザルトに見送られるように、俺は全力で走りだした。




 騎鳥シェーンを借りて駆け付けた塔の現場は、いまだ地震の恐怖冷めやらぬといった様子だった。

 たかが震度三程度の地震だ、建物にも被害らしい被害はない。むしろ逃げ惑うときに押し合いへし合いした結果、転倒しただの、道具で怪我をしただのといった、人災ともいうべき混乱が見られた程度だった。


 いずれにしても、大したことがなくて幸いだった。俺は騎鳥シェーンから降りると、恐怖を語り合う作業員たちをかき分けるようにして飯場はんばに向かって走った。


 飯場はんばでは、何人かの女性が固まっていた。見慣れた女中服に、「ミネッタの女中」が手伝いに入った、というリトリィの話を思い出す。


「みんな無事か? 怪我した者はいないか?」


 声をかけると、しゃがみこんでいた女性の一人が、弾かれたように立ち上がった。


「怖かった……怖かったですムラタさん!」


 俺の姿を見るなり飛びついてきたのは、マイセルだった。


「遅くなったな、ごめん」

「いいえ……いいえ! ムラタさん、来てくれただけで本当にうれしいです……!」


 胸に顔をすりつけるようにしている頭を撫でながら無事を確認すると、準備中の木皿の山が崩れたくらいで、特に被害らしい被害があったわけではないらしい。たまたま調理台の上に置かれていた包丁が落ちて、怖い思いをしたくらいだという。


 フェルミの姿を確認するために見回すと、ちょうどマイセルが立ち上がった隣の場所に、フェルミはいた。


「みんな大袈裟なんスよ。あれくらいで……」


 そう言ってみせたフェルミは、しかし座り込んだまま、立とうとしない。抱き寄せようとしたが、立ち上がりきれずに、再び石畳にへたりこんでしまった。


「フェルミ、体調が悪いのか?」


 慌てて声をかけたが、バツが悪そうな顔で首を横に振るばかり。

 そこに、マイセルがそっと耳打ちしてくれた。

 フェルミは、地震の最中、マイセルをしっかりと抱きしめて、「大丈夫、大丈夫だから」と、励ましてくれていたそうだ。


「もうすぐムラタさんが来てくれるからって。あの人は必ずここに来てくれるからって。こんなこと言うの、恥ずかしいんですけど……怖くて泣いちゃってた私を、ずっと励まし続けてくれたんです」


 そう言っていた本人も腰が抜けて立てなくなっていたようだが、それでも年齢的に妹分であるマイセルの前で、虚勢ではあっても頑張ってくれたわけだ。


 普段は飄々ひょうひょうとしているフェルミだけど、本当はもろくて、けれど優しい女性だってのは分かってはいたよ。分かってはいたけれど、こうやって見せつけられると、その健気さにあらためて胸打たれる。


「ありがとう。二人で支え合いながら待ってくれていたんだな。うれしいよ」

「ううん、ご主人……ご主人さまが来てくれるって、信じてましたから」


 しおらしく微笑んでみせる珍しいフェルミに、俺はさらに胸がドキッとする。


「ふふん、ご主人、今ちょっとときめいたっスね? ホントにチョロいっスねえ、ご主人って」


 おい、今の俺の感動を返せよ。

 ──などとは言わないさ。君がそうやって軽口を叩いている裏で、どれほどの恐怖と戦っていたか、いまだに立ち上がれないのを見ればよく分かる。


「大丈夫か? 今日はもう、一緒に帰ろうか?」


 そう声をかけたが、フェルミは微笑みながらかぶりを振った。


「こっちはもう、大丈夫スから。お姉さまのところに行ってあげてくださいよ」

「でも、君は──」


 まだ恐怖が抜けきっていないだろう彼女をそのままにして、この場を離れていいものだろうか──そうためらってしまったが、フェルミはもう一度微笑んで言った。


「大丈夫っスよ。マイセルもいますし、それにここは、みんな見知った顔っスから。でも、お姉さまのほうは違うんじゃないスか? 行ってあげてください」




 フェルミに、そしてマイセルにも促された俺は、騎鳥シェーンって鉄工ギルドの工房に向かった。

 ──そして、背筋が凍り付いた。


「煙……工房が燃えているのか……⁉ な、なんでだ……!」


 そう言っている今この瞬間にも、工房の屋根から煙が噴き上げている。

 あの程度の揺れで、何があったっていうんだ?


「どいてくれ、道を開けてくれ!」


 工房への道は、野次馬が集まりつつあって、騎鳥シェーンに乗ったままではなかなか前進できそうにない。


「道を開けてくれ、頼むから道を……!」


 しかし、野次馬は減るどころか増える一方だ。だからと言って騎鳥シェーンから降りれば走れるかというと、そうでもなさそうなのが腹が立つ! ああ、ちくしょう!


「どいてくれ……どけぇぇえええええッ!」


 ついにキレて叫ぶと、まるで俺の心を読み取ったように、騎鳥シェーンまでもが「ケェェエエエエエッ!」と叫んだ。

 騎鳥シェーンが鳴くなんてあまりない。俺はもはや誰かを蹴り飛ばしてもいいとすら思いながら騎鳥シェーンを走らせる!


「うわっ!」

「だ、誰だトリなんか走らせるバカは!」


 逃げ惑う野次馬どもを蹴散らさんばかりの勢いで、しかし一人も蹴飛ばさずに賢く走り抜ける鳥の背に捕まりながら、俺は工房に飛び込んだ。


「リトリィっ! どこだ、無事か!」


 騎鳥シェーンから飛び降りると、俺は悲鳴と怒号が飛び交う工房の中で、妻の姿を探した。


 工房の中はすでに煙が充満していて、ひどく鉄臭いにおいに加えて、得体のしれないにおいが鼻を刺激する。腰のポーチから手ぬぐいを引っ張り出すと、マスクがわりに口元に巻いた。


「リトリィ、リトリィ!」


 リトリィに割り当てられた炉は、三番炉か四番炉だったはず!

 俺は煙で見づらい中を、逃げる人間とぶつかりそうになりながら必死で走った。


「っと、危ねぇ! なんだてめぇは! こっちは危険だ、さっさと逃げろ!」

「リトリィが……妻がここにいるはずなんだ! 三番炉か、四番炉にいると──」

「馬鹿野郎! 三番炉と四番炉っつったらここからすぐ奥だが、燃えてんのはその隣の二番炉だ! 危ねぇからとっとと逃げやがれ!」


 急いで向かおうとしたところを通りがかりの男に羽交い絞めにされ、引きずり出されかける!


「あッ……てめぇ! 何しやがる、人の手をかみやがって!」


 親切心はありがたいが、俺はリトリィのもとに行かなきゃならないんだ!

 男の指をかんだ際の、鉄錆のざらざらを唾とともに吐き捨てながら、俺はさらに奥に向かう。


「馬鹿野郎! 死ぬぞてめぇ!」


 背後から聞こえてきた声を無視し、俺は三番炉、四番炉のある区画までやってきた。部屋で区切られているわけではなく、腰ほどもない高さのレンガの壁で、それぞれの炉の周りが区切られているだけの作業スペースといった感じの場所だから、三番炉、四番炉の周りに、誰もいないことが見て取れた。

 そしてその向こう──赤々と燃える火が、煙をまとって広がっていた。


 普通の火事とは違っていた。

 床に広がる赤い光。

 ちろちろとなめるように燃え上がる炎。

 縦に燃え上がるのではなく、床を徐々に広がってゆく赤い舌のようなそれは、おそらく融けた鉄なのだろう。

 すさまじい勢いで音を立てながら、水が蒸発してゆく。これは、打った鉄を冷却するための水だったのだろうか。割れた樽が燃え上がり、中の水が弾けるように白煙と化していく。


 ──やばい。


 焼け石に水、そんな状況をまさにいま、目にしている──その時だった。


「あなた⁉ どうしてここに──!」


 赤毛・・犬属人ドーグリングの女性が、乱雑に積み上がった──というより崩れ落ちたらしい鉄の塊やら石の塊やらの中から、何かを引きずり出すようにしてい出してきたのだ。


 赤毛の犬属人ドーグリングの女性に、知り合いなどない。

 だが、すぐに分かった。

 その顔立ち、ふかふかの毛並み、豊かなしっぽ。

 彼女の何がどうあろうと、見間違えるものか!


 錆の色を全身にまとい、これまた全身が錆で真っ赤になった男を、瓦礫の山から引きずり出してきたのは、最愛の妻──リトリィだった!



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