第620話:『というわけで』の企み

「というわけでお風呂を作りませんか、夫人」

「何が『というわけで』なのかさっぱり分かりませんが、あなたのそういう人を食ったような唐突なもの言いは、嫌いではありませんよ」


 嫌いではないと言いながら、視線が冷え切った酷薄な笑みというのは、実に腹の底が冷える思いがする。


「わたくしは、そこの可愛らしいお嬢さんから、美容と健康を推進する非常に強力な商品があると聞いたのですけれど?」


 リトリィをあえて「お嬢さん」と呼びますか!

 つまりくだらないことを言っていると、リトリィを取り上げるぞと。

 すみませんナリクァンさん、もう二度とやりません。


 俺は冷や汗をぬぐいながら、努めて笑顔を作る。


「お風呂は美容と健康のために最適なリラクゼーションスポットです」

「りらく……なんですって?」

「癒しの場ということです、夫人」


 首をかしげる夫人に、俺は営業用スマイルを作りながら、必死に説明を続ける。


「私が住んでいた日本では、毎日お風呂に入るというのが、美容と健康の秘訣の一つでした。日本人のほとんどの人たちが、毎日、体がすっぽりと入る桶の中に湯をためてその中に入り、日々の疲れを癒していたのです」

「あらあら、ニホンという国は、本当にお金持ちの多いこと」


 ナリクァン夫人は、どこか醒めた笑みを浮かべてみせた。


「毎日、湯を沸かすですって? 生活費の半分はたきぎ代だったとでもいうのかしら。そうでなければ、みな一様に、暇と金を持て余す大金持ちだったと?」

「いいえ、金持ちではありませんが、水代も燃料代も、とても安かったのです」

「燃料代が、安かった?」

「はい。火や、火に代わる燃料代がとても安かったため、朝から温かいものを食べるのはごく普通のことでした」

「なるほど……」


 夫人の表情が、一気に冷めてゆく。


「つまり、ニホンでは当たり前のことでも、こちらでは到底実現できない案を持ってきたというわけですか」


 そしてテーブルの呼び鈴を鳴らすと、夫人はこれまた冷たい口調で言い放った。


「お客さまがお帰りになります。丁重に送り出して差し上げなさい。間違っても二度と来ることのないように」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 まったく冗談に聞こえない、その問答無用の態度に、慌てて本題に入る。


「ニホンのように、湯をたっぷりと使うことができる方法を提案しに来たんです!」

「ニホンとやらではたきぎ代が途方もなく安かったとしても、こちらはそうではないのです。実に残念な提案でしたわね」

「ですから! 燃料代がかからない方法を提案しに来たんですよ!」

「燃料の代わりに法術を使うとでも? レディアント銀の結晶がいかに高価なものか、ご存じのはずでしょう?」


 かつてこの地は、レディアント銀の鉱脈があるということで、それを徹底的に採掘しまくったという。で、魔素マナを蓄える性質を持つその鉱石が枯渇した結果、この土地は法術──いわゆる「魔法」を起動させるための不可思議な力が得られなくなってしまい、結果として法術の使えない土地になってしまったのだそうだ。


 こうした土地は、じつはここだけでなくあちこちにあるそうだが、そういう話を知ると、人間が自然を破壊した結果、人間自身が暮らしにくくなるというのは、どこの世界でもあることなのだなと、人間のごうというものについて考えてしまう。


「法術も使いません! そのうえで、毎日湯をたっぷり使える方法を提案いたします! お風呂に使ってもよいですし、洗い物にだって使えます!」

「水汲みがいかに大変な労働か、分かっていらっしゃらないようね。──そうですわね、そちらには働き手となる女性がたくさんいらっしゃいますから。あなたは水汲みの苦労など知らなくてもよい……」

「水汲みからも解放されるんですっ! ぜひこの話、乗っていただきたい!」

「水を汲まず、たきぎも使わず、それでいて湯水が使いたい放題ですって?」


 夫人が手をパンパンと叩いたと思ったら、夫人の真後ろのが開いて黒服たちがわらわらと現れる!


「この詐欺師を今すぐ叩き出してちょうだい」

「ちょ……黒服さん! 俺が夫人相手に詐欺ができるほど肝っ玉が太くないヘタレ野郎だってことぐらい、知ってるでしょう!」

「……知っているが、主人の命令だ。悪く思うな」

「ですからっ! 話を聞いてくださいって!」


 悲鳴を上げた俺に、ナリクァン夫人はようやく微笑んでみせる。


「……というわけで・・・・・・あなたの提案です、ただお風呂の話をしたかったわけではないのでしょう? その企みについて、改めて聞こうかしら」


 俺の両脇を数人がかりで抱えて外に引きずり出そうとしていた黒服たちは、あらかじめ打ち合わせをしていたかのように瞬時に俺を放り出すと、音もなく、夫人の後ろの壁から外に出て行く。


 いったいなんなんだ! リトリィはなぜかお茶を飲みながらずっと落ち着いてたけど、ひょっとしてこうなること、分かってたのか⁉


「だって、だんなさまのことを大のひいきにしていらっしゃる夫人が、本気でだんなさまをほうりだそうとするはずがありませんもの」


 贔屓って。そんな振る舞い、かけらも見られないって!


「ふふ、だってだんなさまが最初に、夫人に対して『というわけで』なんてじょうだんのような前置きから始めたものですから。それで、夫人のいたずら心に火が点いたのだと思いますよ?」


 なんだよ全部俺のせいだってのかよごめんなさい!

 ていうかナリクァン夫人! あなたのドッキリはシャレにならないんですよっ!




「……それで、ニホンという国は、金持ちも貧しいものも、ほとんど毎日、湯を浴びるなり、湯につかるなりして、一日の汚れと疲れを落としていると?」

「そう思っていただければ結構です。また、自然の中に沸き出す湯というものもありますので、時にはそういったところに旅に出かけ、そこの湯につかるということも、娯楽の一つとしておこなっております。それくらい、湯を浴びるのが好きな民族なのです」

「なるほど……それを、この街で実現するのが、この黒い筒なのですね?」


 夫人は、リトリィが箱から取り出してテーブルの上に置いた、黒光りする鋼鉄製のパイプを指差した。

 この鋼管には、夫人に今しがた触ってもらった。少々熱い、ということは理解してもらっている。


「沸かした湯を中に詰めて使うということですか?」

「いいえ、これで湯を沸かすのです」

「……これを、火の中に入れるということかしら?」

「いいえ、火は使いません。先ほども申しました通り、燃料は使いません」

「……では、湯を沸かすための何か仕掛けがあるのかしら?」

「いいえ、何の仕掛けもありません。ただの鋼鉄の管です。これが勝手に温まることで、中に詰めた水も温まる、そういう仕組みです」

「……勝手に、温まる?」


 夫人は、また首をかしげた。


「詳しく聞かせてちょうだい。法術で温めるというわけでもないのよね?」

「もちろんです」


 俺は持ってきた図面を広げた。小屋の屋根に設置された、一見すると黒いホースがくしの歯のように並んでいるだけにしか見えない、それ。


「なるほど、分かりました」


 夫人は、しばらく図面を眺めていたあと、微笑んだ。


「もしこれが本当ならば、確かにたきぎは不要だわ。夏の日に、石畳が熱くなるのと同じで、鉄の管を外に放置しておけば温まる。その中に水を詰めておけば、水も温まってお湯を作ることができる──そういうわけですね」

「さすが夫人、その通りです」

「なるほどね……」


 夫人は、苦笑しながら首を横に振る。


「また変わったことを考えついたものね。でも、どうして完成もしていないものを持ち込んだのですか?」

「 単純な話です。夫人の力を借りたいんですよ」

「わたくしの? あなたのことです、ニホンで使っていたものを、こちらでも作ろうというのでしょう? 成功が分かっているものなのに、どうしてわたくしの力を借りようと?」


 笑顔のまま首をかしげてみせる夫人に、俺は胸を張って答えた。


「正直に言います。お金がないんです」

「みなさん、詐欺師を叩き出してちょうだい」


 妙に楽しそうな夫人の言葉に、夫人の後ろの壁がまた開いて、やっぱりわらわらと黒服たちが現れる。


「ちょっ――いや、あの! 冗談でもなんでもなくてですね……なんで黒服の皆さん、わざわざ壁からわいて出てくるんですか! 普通にドアから入って来てくださいよ! ていうか皆さん、なんだか楽しそうなんですけどっ⁉」

というわけで・・・・・・、ムラタさん。あなたのことです、あえてわたくしのところに来た以上、この街をひっくり返すような何かを企んでいるのでしょう? もったいぶらずに、はやく教えてくださらないかしら?」


 カネがないのは本当なんですって!



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