第619話:ムラタの野望・自宅版
「ムラタさん。シャワーを作って下さるのはとってもうれしいんですけど、私たち、一人ひとりで浴びるんですか?」
「いや、子供と一緒に浴びればいいんじゃないかな」
「……ムラタさんと一緒は、だめですか?」
どこか遠慮するように上目がちに聞いてきたマイセルに、胸がどきりと跳ねる。
「い、いや、そんなことはないよ? そう言ってもらえるのはうれしいな」
「じゃあ、二人以上で水浴びできるくらいの広さがあると、うれしいですね?」
リトリィが微笑む。
「ご主人、じゃあ二人ずつ、交代しながら入るってことっすか?」
「そう、なる……な?」
「じゃあ、たとえばまずご主人、次にチビたち、最後に私として、誰がご主人とご一緒するんスか? それも順番?」
「……ええと」
「そうすると、入れ替わり立ち替わりってことになるんで、入浴の時間も長くなりそうですし、その分、お湯も必要になりそうなんスけど?」
……ほんとだ。
シャワーを浴びるのが二、三人だけなら、湯の量は入浴に費やすよりも少なく済むだろう。
うちは違うんだ。
今この時点だけでも女性が三人いて、チビが三人いて、おまけで俺。夏には子供が二人産まれて、さらに今後も続く予定。相当な大家族になってゆくはずなんだ。
そんな我が家で一人ひとりがシャワーを浴びてたら、そっちの方が湯を使うに決まってるじゃないか! しかも、入浴するよりも温まることができない! 入浴よりもお湯を使うくせに生活の質が下がるなんて、全く意味がないじゃないか!
「え? いまさら気づいたんスか?」
うっ、フェルミの容赦のないツッコミに、胸が痛い。
「い、いや、水道がない世界だから、少しでも負担を減らしたいと思って……」
「水道のない、『世界』……スか?」
首をかしげるフェルミに、俺は慌てて言葉を足した。
「ほ、ほら、うちは井戸だろう? 風呂を作っても、お湯をたくさん作らなきゃならないなら、とても頻繁には使えないなあと……」
「でも、だんなさま? 山で作ったあの仕組みをこちらでも作れば……」
そう。
リトリィが思い出させてくれたこと。
それが、あの山の家で作った
それらを作った、山の鍛治師集団。
親方にして俺の義父となった、職人としての生き方を誇る頑固一徹の男、ジルンディール。
三きょうだいのうち最も鉄を叩くのが上手い、年中日焼けしている陽気な男、フラフィー。
妹への過保護な愛情が玉に瑕だが、傷だらけのいかつい顔に似合わぬ手先の器用さが自慢のアイネ。
そして今や俺の妻となった、金の毛並みが美しい
彼らが、俺の拙い案を実現にこぎつけてくれた。彼らのおかげで、井戸周りの設備を作ることができたんだ。
ただ、彼らは歯車などの機械部品の製作や加工については不得手だった。ダイスやタップのような、ネジを作る道具もなかった。鉄板を作る道具もあるにはあったが、彼らはあくまでも
それに対して、ここは街だ。鉄工ギルドもあり、おそらく金属部品を加工するための道具や設備も整っているだろう。実際、リトリィが鋼管を作るためにいま、頑張ってくれている。
リトリィも山の鍛治師の一員だから、「鉄」といえば「叩いて鍛える」ひとだ。
それも鉄を扱う職人の一つの姿だけれど、街、それも鉄工ギルドならば、多種多様な金属加工職人がいるはず。
型に流し込んで作る「
そう、一気に野望達成が現実味を帯びてきたのだ。
水代は井戸水だから無料!
お湯を沸かすのは太陽熱だから無料!
水を汲み上げるのは風力だからこれも無料!
これなら毎日風呂に入っても、家計の負担にならない!
ビバ科学技術、科学的知識!
科学の力で女体の神秘を楽しむ──もとい! 毎日風呂に入る──この世界では極めて難しい贅沢が、簡単にできるようになる!
はやる気持ちを押さえて、俺はリトリィに笑顔を向けた。
「リトリィの技術と、この街の職人の加工技術を使えば、さらにいいものが作れると思う。やってみなくちゃ分からないけど、今度、鉄工ギルドに、製品製造の交渉を兼ねた見学をしに行きたいんだ。……できるかな?」
「へーっ! スパイラルベベルギア⁉ たいしたもんだ!」
見学者という自分の立場も忘れて、鉄の削り屑にまみれた男の手にある円盤状のものを見つめる。
「……うるさい。何の変哲もないただの
顔をしかめたスキンヘッドの老人は、しかしまんざらでもない、といった表情を浮かべている。
「まったく、ガキみてぇにはしゃぐヤツだな。そんなにおもしれぇか?」
「面白いっていうか、すごい! こういうのを職人芸って言うんですかねえ!」
「芸じゃねぇ、ただのメシの種だ」
たった今削り出されたばかりのスパイラルベベルギアの、美しいらせん状の歯をみながら、俺は改めて嘆息する。
ベベルギアは、日本語で「傘歯車」という。真横から見たら台形の形をしていて、回転運動を直角方向に向きを変えて伝える仕組みの歯車だ。山の鍛冶屋ではそれが作れなかったから、ピン歯車で代用したのだけれど。
そしてスパイラルベベルギアとは、単純な台形の歯車というだけではない。ベベルギアの歯が、中心から渦を描くように見える歯車だ。これによって、高耐久性と、滑らかな動きによる静粛性を得る歯車である。
もちろん、直線的で単純な構造の歯車よりも高い技術力が必要だ。歯の大きさに狂いがあれば、当然、高耐久・静粛性なんて得られない。それを、指先の感覚で削り出す。まさに「職人芸」と呼ぶにふさわしい。
「それにしても、なかなか大きいな。直径は……
「あ? ウチの
そう言って指で示した先には、大きな機械があった。ずいぶんくたびれた感じの加工機械がある。
「先々代がこしらえたものらしいんだがな、えらく精度の高い、うちの工房の自慢の
そう言って、親方は胸を張る。
「で? このわしに何の用だ」
「この歯車を見て確信しました。力を貸してください」
なんとかして
「ふふ、それでだんなさまったら、こどもみたいに」
家に帰ったら、リトリィが実に楽しそうに語る。語りまくる。
「本当に、ムラタさんって子供みたいな人なんですね」
マイセルが微笑みながら、真ん中を割いたパンの間に潰した芋のペーストを塗って、甘辛く味付けたこま切れ肉をはさんでいく。
それを、しっぽを垂直に高々と立てて、身を乗り出しながら待つリノ。
「はい、リノちゃん。次はニューちゃんだから、少し待っていてね」
「わあい!」
今日は新鮮な肉がお手頃価格で手に入ったらしく、珍しく生肉を焼いた肉料理。もちろんお手頃価格とはいっても、肉そのものがそもそも高価なので、量はそれほど多くはない。
だからこそ肉はごちそうだし、ちゃんと大人が分配して、子供たちに平等になるように取り分ける。
「だんなさまったら、わたしが鉄をたたくところもじーっと見ていらしたんですけれど、
リトリィはリトリィで、ふっかふかのしっぽをふわふわ揺らしながら、シチューを盛りつけて回っている。
それはそうとやめてお願い、これでももうすぐ三十代のおっさんなんです。可愛いという評価は身悶えするほど気恥ずかしいのですやめてくださいたのむから。
「ご主人ってか、オトコのひとってのは、やっぱり子供なんスねえ。そんなにオシゴトが楽しいんスか?」
「なんだよ、フェルミはそういうの、わくわくしないのか? 専門は違っても、職人だろう?」
「自分にとってシゴトってのは飯のタネでしかないスから。ご主人が養ってくれるっていうんなら、すぐやめるっスよ」
「この根性無しめ」
「なに言ってんスか。オトコなら女の二人や三人、養えるだけの甲斐性をもってくださいよ。こっちは子供を産んで育てるんスからね?」
ぐっ……言い返せない! 確かにそうだ、命を懸けて俺の子を産んでくれる女性に、外で働けなんて言いづらい! むう、卑怯者め!
「でもムラタさん。お姉さまも鋼管を何本かこしらえることができたっておっしゃっていましたし、ずいぶんと話が進みましたね。私も、お風呂小屋の増築工事については、お父さんにお手伝いを頼んでおきます」
「そうだな。
マイセルの父親のマレットさんは、俺の義父にしてこの街の「
マイセルも、そのマレットさん──ジンメルマン家に代々伝わる大工の
ああ、色々な人の力を借りて、一時はどうなるかと思ったことが、着々と進行していく。ありがたいことだ。ぜひとも野望の達成──水道・太陽光温水器・個人宅浴室を完成させて、それこそ毎日リトリィたちと風呂でイチャイチャ──もとい! 風呂に入る贅沢を手に入れてやる!
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