第621話:買いましょう、あなたの未来を

「──よくわかりました。たしかに、いろいろと面白そうな話ではありますわね」


 ナリクァン夫人は、満足そうにうなずいた。


「結局のところ、自分たちがお風呂を楽しみたいけれど、それを作るだけの資金が足りないことに気がついた──そこでわたくしに、新規商品の研究資金を得るという名目で、売り込みに来たというわけですか」


 そうやって並べ立てられると、俺が自分の欲望を実現させるためにいち商人を騙そうとしているとんでもない外道に見えるんですが。

 ……否定できないけど。


「それにしても、本当になんといいますか……もうすこし勉強してからここに来なさい。井戸水は、無料ではありませんよ?」

「……え? そうなんですか?」


 そんなこと、初耳だ。井戸の使用料なんて払ったこと、ないぞ?


「当たり前でしょう? 誰の土地だと思っているのですか」


 言われて、はっとする。

 ……まさか。


「その、まさかですよ。わたくしたちが炊き出しをするあの家の管理人として、あなたがたに土地を貸して住んでもらっているだけなのですよ」


 名目上はね、とナリクァン夫人。

 そ、そんな話だったっけ⁉

 ……そういえば、そんなような話だったような気もする……。


「だから、土地、井戸の税金は、誰が払っているのかしらね?」


 薄く笑みを浮かべる夫人の顔が、ひどく恐ろしいものに見えてくる。

 夫人お気に入りのリトリィがこの街で幸せに暮らせるように、夫人は俺が建てた家に、俺たちで住むように言った。


 ところがそのリトリィを託したはずの俺はというと、慎ましく暮らすどころかマイセル、フェルミと複数の女性に手を出して妊娠させ、あまつさえ相手が望んだこととはいえ、まだ十代前半の少女まで囲っているように見える、というわけだ。

 しかも肝心のリトリィは、まだ妊娠の兆候すらないときたもんだ。


 リトリィのために貸した土地、資金を出した家で、好き勝手をやっている異邦人。いろんな機会にナリクァン夫人を怒らせてきた俺だけど、そりゃ確かに怒らない方がおかしい……かもしれない。


「まあ、そんなことはどうでもいいのですよ」


 あれだけすごんでおいて「どうでもいい」は酷い。俺が感じた恐怖の分だけでも慰謝料ください。

 だけど、どうでもいいと言ってもらえたことはひとまず感謝するしかない! とりあえずこれ以上触れないでおこう……触れませんよね?


「今話した通り、個人所有の井戸には税金がかかりますから、その水が無料とは言えません。けれど、汲み出す量にまで税がかかっているわけでもありませんから、使わないというのはもったいない話ですわね。ただ……」


 言葉を一旦切って、夫人は不思議そうに指差した。揚水用風車だ。


「この、風車の付いた物見ものみやぐら。これはいったい、なんですか?」


 物見ものみやぐら──そう、物見ものみやぐら

 どう見ても見張り台のような、張り出し付きの風車。おそらく食いついてくると思ったよ。


「はい、物見ものみやぐらです。なにせ、門外街防衛戦は大変でしたから」

「……その真意は?」


 やはり誤魔化されなかった。さすがは夫人。


「これが、今回もう一つの目玉となる、揚水ようすい風車ふうしゃです。これで、井戸から水を汲み上げます」

風車ふうしゃで水を汲み上げる?」

「はい。正確には、風車ふうしゃの力でポンプを動かし、水を汲み上げます。風が吹き続ける限り、風車ふうしゃは水を組み上げ続けます。その水を高いところに貯めておき、そこにくだを通せば……」

「いつでもくだを通して、貯めておいた水を使うことができるというわけですね?」


 ようやく納得できたといった様子で、夫人は笑った。


「そして、先ほどの黒いくだに水を詰めて屋根にでも並べておけば、確かにあなたの言うとおり、女が井戸から水を汲む必要も、湯を沸かす必要もありませんわね」


 やっと分かってもらえたらしい。でも、実物を見てもいないのに納得してくれるなんて、さすがはナリクァン夫人。本当に聡い人だ。

 だが、一つだけ訂正がある。


「いえ、水を詰める作業も必要ありません。貯水槽から直接、湯を貯めるそうにつなぎます。これで、水に触ることもなく湯が出来上がります」

「まあ……!」


 仕組み自体はごく単純だ。

 最上部には水のタンク、下には櫛のようにずらりと縦に並ぶ鋼管がつながっていて、中の水はタンクと鋼管を循環するようになっている。


 黒く染めた鋼管の中で温まった水は軽くなるから、パイプの中を上昇し、自然に上部のタンクに流れ込む。代わりに、湯が流れ込んだ分だけ、タンク内のまだ冷たい水は自然に下の鋼管に流れ込んでいく。

 タンクと鋼管でこの循環を繰り返し、最終的にタンク内が湯で満たされるという仕組みだ。


 循環のための動力源もいらない、完全な「ソーラーパワー」のみで完結する仕組み。電気のないこの世界でこそ生きるエコシステムだ!


「私はこの仕組みを、『太陽熱温水器』と名付けました。水は温まると、冷たい水よりも軽くなります。それを利用し、勝手に温水器内の水が循環して温まる仕組みです。機械の点検のとき以外は、触る必要もありません」

「本当に、女が水に触らなくとも、火をたかなくとも、湯が手に入るのですね?」

「太陽が出ていない雨や雪などの日はさすがに厳しいですが、冬でも太陽さえ出ていれば、氷のように冷たい水ではない水が手に入ることはお約束しましょう」


 夫人の目が、かつてないほどに輝いている。

 純度の高いアルコールで消毒すれば、産褥さんじょく熱を防げるかもしれない、と持ち掛けたときよりも、さらに。


「当然でしょう? 水回りは女の城とはいえ、やはり日々、大変ですからね。それが少しでも楽になるなら、これほどうれしいことはありませんわ」


 夫人は、お茶を口に含み落ち着きを取り戻すと、ソファーにゆったりと身を沈めた。


「いいでしょう。あなたのその提案、買いましょう。カラビナや消毒用アルコールのときと同様、わたくしどもが商取引を一手に引き受けることができるという条件をつけてくださるならば、その……ええと、太陽熱温水器といいましたか? その研究開発費用も、なんなら人も付けましょう」

「あ、ありがとうございます!」

「どうせ、子供が生まれるとなって急に思いついたのではなくて? あなたも大工の端くれなら、もう少し見通しというものを持った方がよろしくてよ?」


 ぐうの音も出ない。

 何も言えない俺の隣で、リトリィがあらためて席を立ち、ドレスの裾をつまむとひざまずくようにして、正式な礼を述べた。俺も慌てて立ち上がって頭を下げる。


「今後は、我がナリクァン商会に開発費の全てを回してくださって結構です。リトリィさん、旦那様が無駄遣いをしないように、しっかりと見張ってあげてくださいね」


 リトリィが、さらに深く頭を下げる。う、俺は信用があるようで、やっぱり信用がなさそうだ。


「何をおっしゃっているのかしら。信用はしていますよ? 少なくともあなたは、過去にいくつも実績を、このわたくしに示してきたのですから。だからこそです。過去の実績のもとに買いましょう、あなたの未来を。あなたの提案する、このオシュトブルグの街の将来の姿を」


 夫人は、優しく微笑んでみせながら続けた。

 

「──それにあなたは、わたくしの孫とも思うリトリィさんが、添い遂げる覚悟を示してみせた相手です。たやすく沈没してもらっては困るのですよ」


 あーやっぱりそうですよね! 俺の成功がリトリィのためになるからですよね!

 けれど、これで開発のめどが立った! リトリィにも、鉄を節約しながら打つような、肩身の狭い思いをさせずに済むぞ!



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る