第612話:容赦のない指摘こそが
「シャワー……ですか?」
マイセルが首をかしげた。
「ああ。俺とリノは冬の間の水浴びで慣れたけど、赤ん坊が生まれたら、やっぱりいろいろ温かいお湯があったほうがいいだろ? それを浴びることができる部屋があるといいと思ってさ」
「それは……ありがたいですけれど」
リトリィがどこか無理にひねり出したような微笑みを浮かべるが、残りの皆は首をかしげた。
「あの……お湯は、どうやって?」
マイセルが、おそるおそるといった様子で聞いてきた。
「オーブンを使ったときに、その予熱を使ってできないかと思っているけど」
「ご主人、そしたらオーブンを使わなかったらお湯はないってことでいいスか?」
フェルミが、半目で聞いてくる。おい、その目、まるっきり信じてないだろ。
「家では基本的に朝食で火を使うから、それで行けると思うんだが」
「ご主人、そのお湯ってのは、つまり食事の準備をしたあとのしばらくだけしか使えないってことスか?」
「湯は、しばらく保温できる容器に入れておくことでなんとかなるだろう」
「ご主人、湯を沸かすってこと、ナメてるでしょ」
フェルミの言葉に目が点になる。ナメてるってどういうことだ?
「ご主人、湯を沸かすって大変なことなんスよ?」
「ああ、それは知ってる。だから……」
「知ってるなら、釜をもう一つ用意してわざわざ別にお湯を沸かさなきゃならない、そんな手間がかかることを、どうして簡単そうに言えちゃうんスか?」
まだ言いたいことがありそうなフェルミだったが、それ以上は言わなかった。納得したからじゃない。リトリィが制したからだ。
「だんなさまには、だんなさまのお考えがあります。わたしたちには思いもつかないことを、だんなさまはいつも考えてくださいますから」
リトリィの言葉に、フェルミが苦笑いを浮かべてみせる。
「でも、ご主人。使いたい時にお湯がある。それは確かにいいんスけど、そのためには、その分の湯を沸かさなきゃならないんですよ? ただでさえ忙しい朝に、余計な水汲み、火起こしを付け足すんスか?」
言われてやっと気がついた。つまりフェルミは、食事の準備のついでにお湯をもう一つ沸かせ、と俺が言っていると判断したのだろう。
「いや、そうじゃないんだ」
俺は、フェルミの誤解を解くためにあえて微笑みながら話した。
「今、オーブンの余熱を利用する保温庫が下についているだろう? あの保温庫に、水の通る金属管をつけるんだよ。正確にはオーブンの炉に水を通す管をつけて、その管を温めることでお湯を沸かすのさ」
つまり、火力のメインは当然オーブンを温めるのに使うけれど、その熱の一部をお湯の過熱に使うことで、新しく湯を沸かすための火を起こす必要が無いようにするのだ。パイプを通る水は温められたあと、どこか別の場所、それこそ保温庫の中でいいと思うんだが、それをためておき、いつでも使えるようにする。
熱い状態を夜まで維持することが目的でもないから、保温用の断熱材は綿でもなんでもいい。圧縮空気を利用したポンプでも作れば、手動シャワーだって作れるだろう。
マイセルもフェルミも、そしてリトリィも全く理解できないという顔をしているけれど、実現すれば、いつでもお湯がたくさん使える環境を作れるようになるわけだ。水汲みだけはどうにもならないけれど、いつでもお湯が使えるというのは絶対に大きなメリットのはず。
首尾よく実現できて、ついでに汎用性をつけることができたら、温水シャワー機能付きオーブンとかいって売り出したら面白いかもしれない、などと夢が膨らむ。 こういう機械的な仕組みは口で言っていても分かりづらいだろうから、あとで図で書いて説明することにしよう。これは絶対にいけるぞ!
これは絶対にいけるぞ!
──などと考えていたのは朝食時。リトリィの言葉によって、目論見は実にあっさりと撃沈した。
一日の仕事を終えて、書斎にこもってあれこれアイデアを書き留めていたら、リトリィが夜食とお茶を持ってきてくれて、そして聞いてきたんだ。
「だんなさま。金属の管を火であぶって、そこに通した水をあたためる──そんなおはなしでしたよね?」
「ああ、そうだけど」
「やめたほうがよいと思います」
カップにお茶を注いで寄こしてきたリトリィは、まっすぐ俺を見つめて答えた。
「金属ですから、
「ああ、そうやって一石二鳥を狙うんだ。便利だろう?」
「そんなことをしたら温度が下がってしまって、なかなか温まらなくなってしまいませんか?」
「それは……」
……調理時間の延長は考えていなかった。
「それに、鉄の管を火で
リトリィは、真剣な表情で聞いてくる。
彼女が俺をやり込めるためだけの、枝葉末節の「質問のための質問」をすることなんて絶対にない。つまり、彼女は、自身の経験から、俺の考えの実現は簡単にはいかないと考えたんだろう。
彼女なりの愛、それが、この厳しい質問なんだ。
「……そうか。じゃあ、直接加熱することは避けて温まったレンガで加熱するっていうのはどうだ? 俺が考案したレンガは、耐震補強用の芯を通せるように、中に二つの穴が開いているのは、リトリィも知ってるよな?」
うなずくリトリィに、俺は内心ほっとして続けた。
「この穴に、補強剤の代わりに管を通してモルタルですき間を埋めるんだ。そうすれば、レンガの余熱で水を温めることができるし、レンガの余熱のおかげで、火を消したあとも長い間温めることができるぞ!」
「だんなさま。オーブンの壁に冷たい水を通すということは、壁が早く冷えるということですよ? そうなってしまったら、やっぱり熱が足りなくなって、物を焼くのが難しくなってしまいませんか?」
うぐっ!
リトリィの的確なツッコミが痛い、痛いぞ!
「それに、鉄の管だって
轟沈。
ぐうの音も出ない。
だめだ。俺はあくまでも建築士、家の設計バカなんだ。
長いこと鉄を叩き、鉄と暮らしてきたリトリィにとって、素人意見なんて穴だらけで見ていられなかったんだろう。
なんてこった。朝はできるなんて言ってしまったのに。考えが甘すぎたことを自覚し、すっかり打ちのめされてしまった。
机に突っ伏した俺に、リトリィがそばに寄って、耳にそっと舌を這わしてきた。
ぞわりときて思わず跳ね起きる。脇や脇腹はくすぐりに強くても、こうやって不意打ちで耳を舐められるのには弱いんだよ。
リトリィはもちろんそれを知っている。知っているからだろう、いたずらっぽく微笑みながら、体を寄せてきた。
「わたしは、あなたのお考え、とてもすばらしいと思うんです。いつでもお湯が使えたら、やっぱり赤ちゃんの体を洗ったりするのにも便利ですし」
そう言って、リトリィはアイデアを書きつけたメモを取り上げた。
「わたしには、この図面の意味が、よくわかりません。けれど、だんなさまのお
リトリィにそう言われてしまっては、今さら引き下がることもできない。俺ならできる──彼女はそう考えているのだ。そのキラキラとした目と、ばっさばっさと振られている尻尾が、俺への期待度の高さを物語っている。
リトリィにはあれこれ指摘を受けたけど、つまりそうした改善点が現状ではあるってことを教えてくれたんだ。それを乗り越える環境を整えた先に、シャワールームの設計に取り掛かれるってわけだ。
リトリィは、できないとは言っていない。問題があると教えてくれたんだ。
だったらやるしかない。俺はこの家の女たちを束ねる主なんだから。
「ありがとう、リトリィ。いつも君に教えられてばかりだな」
俺の言葉に、リトリィがスカートの裾をつまんで腰を落とす礼をしてみせる。
主人への敬意を示す礼。
ああ、本当に君というひとは。
彼女を立たせると、俺は改めて、彼女の体を抱きしめた。
ふかふかな、柔らかい金の体毛は、彼女の香りでいっぱいだ。
この世界に落ちてきてから、ずっと彼女のこのふわふわに支えられてきた。
──さあ、もうひと踏ん張り、考えてみよう。
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