第六部 異世界建築士とよろこびのうた
第611話:新しい家族を迎えるために
それは、いつもの水浴び。
相も変わらず、一糸まとわぬ姿で朝っぱらから水浴びを楽しむ少女は、実に楽しげに、手桶の水を俺の顔面にぶちまけてくる。
「……やったな? リノ、いたずら娘にはお仕置きだぞ?」
「えへへー、だんなさま、こっちこっちーっ!」
少女が飛び跳ねながら逃げる。
ところどころに金色が混じる明るい茶色の髪、頭の上に突き出た三角の耳、同じ色の短い毛をまとう猫のようなしなやかなしっぽ。
顔を出したばかりの朝日のもと、いかにも十代半ばといった健康的な裸身を、一糸まとわぬ姿で惜しげもなくさらしながら、しかしその言動はどこか幼く、愛らしい。
「リノ、そろそろ朝食だ。こっちにおいで、着替えよう」
「だんなさま、そんなこと言ってお水、かけるんでしょ!」
「そんなことしないよ」
苦笑いをしながらタオルを投げてやると、リノはちょっとだけ不満そうに口をとがらせ、けれどそれに飛びついてから、こちらに駆け寄ってきた。そのまま俺に飛びついてくる。もう少し恥じらいというものを覚えてくれるとありがたいのだが。
「だんなさま! 今日の朝ごはん、なにかな!」
「リトリィに聞いてくれ」
「えへへ、楽しみ!」
「ほら、リノちゃん。ちゃんと拭いて」
背中まで伸ばした栗色の髪に栗色の瞳、淡い桃色のフリルエプロンを身に着けた女性──マイセルがあきれたようにやって来て、手ぬぐいで髪からしたたる水滴を拭きにかかる。
「もう寒い季節でもないんだし……」
「そうやってムラタさんが甘やかすから」
マイセルが頬を膨らませた。大きなお腹を抱えるマイセルは、いいというのに家事をしたがる。少しは休んでいいと言っても、「ムラタさんのために働くのは好きだから」と言って聞かない。今だって、リトリィが動くよりも早くマイセルに駆け寄った。
もっとも、マイセルによるといずれ自分の後輩として三人目の妻になるリノの躾は自分の仕事、という自負があるようで、リノのことは妹のように可愛がっている。
リトリィが自分のことを妹分として大事にしてくれているから、自分もリノを大事にする、という考え方らしい。リトリィの穏やかな人格が、我が家の婦人たちの相互扶助精神を培ったのだなあと、感謝しかない。
「あなた、マイセルちゃんの言う通りですよ?」
腰まであるややくせっけのある長い金の髪、透き通るような青紫の瞳、頭にある大きな三角の耳、全身を覆うふかふかの金の体毛にふわふわの長い尻尾、そして犬のような顔をした女性──誰がどこからどう見ても獣人の彼女は、表向きは
もちろん第二夫人のマイセルも心から愛しているが、やはり俺に対して男性として最初に愛を見出してくれた彼女は、俺にとって特別の女性だ。
「女の子はお腹を冷やしてはいけませんし、ちゃんとそれを自分で考えてすごせるように教えないと」
リトリィの言葉に、マイセルが何度もうなずく。妻二人にそう言われては、「もう寒いなんて季節じゃないんだし」なんて、いい加減なことは言えないのだろう。
「分かった、ごめん」
素直に謝ると、奥からさらにもう一人の女性が顔を出した。
こちらはボブカットの青い髪に家の中だけれど毛織りの帽子を乗せ、やや切れ長の目にいたずらっぽい微笑みを浮かべている。マイセルもリトリィもレースのフリル満載の可愛らしいエプロンを身に着けているが、こちらは実用一辺倒のシンプルなエプロン。
「ご主人、まーた奥様二人からお叱りですか? 懲りませんねえ」
からかうように笑った、マイセルと同じく大きなお腹のこの女性は、まだ正式に結婚したわけじゃないけれど、いずれ妻に迎える予定のフェルミ。命を張った戦場で、たまたまお互いに思うところあって肌を重ねてしまった結果という、俺にとっても、何より彼女自身にとっても予想外の妊娠だった。もうじき臨月を迎えるということで、うちに来させている。
本人は「外の女」を貫くつもりだったらしく、子供も一人で産んで育てると言い張っていたが、もうすぐ臨月ということで、俺が無理やり連れてきた。出産と子育てを機に、うちに入ってもらう予定だ。
「いいんだよ。二人とも俺のことを心から愛してくれてるからこそ、ちゃんと指摘してくれるんだから」
「ご主人、そうやって妻の愛情にあぐらをかいているオトコは、そのうちあきれられて捨てられますよ?」
「なんだ、俺はフェルミにも捨てられるのか?」
「奥様があきれ果てたところで、拾ってあげましょうか?」
こんなことを、妻二人の前で堂々と言ってみせる。
もちろん、それが本心ではないから言えることだ。フェルミがいかにリトリィに負い目を感じているかは、いまだに「外の女」を貫こうとしている点からも分かる。日々の生活費どころか、生まれてくる子供の養育費すらいらないと言うのだから。
もちろん、俺の子供を産んでくれる女性を放置するような真似なんて、できるはずがない。だから本人の主張を無視して、家に置いている。
「とぼけたご主人のことはさておき、リトリィ姉さま。食卓の用意ができましたよ」
「あ、フェルミさん、ごくろうさまです。マイセルちゃん、そろそろ準備に入りましょうか」
「はい、お姉さま」
三人の女性が、それぞれ鍋やら何やらの準備を始める。部屋の奥から、チビ二人もキッチンにやってきた。
「なぁねーちゃんねーちゃん! 今日の朝ご飯は⁉」
赤毛に青い瞳の少年、ヒッグス。その後ろにくっついている、紺の髪に深い青の瞳の少女がニュー。どちらも、リノと同じ孤児だった少年少女だ。最初こそ口も悪く、感謝の一つもできなかった子供たちだが、うちで働き、一緒に寝起きする中で、徐々に子供らしい姿を取り戻していったように思う。
「おっさん! ねーちゃんたちの邪魔」
ニューがバスケットを手にそう言って俺を押しのけ、オーブンから鉄板を引っ張り出すマイセルから、朝の焼き立てのパンを受け取る。
……相変わらず二人とも口調が荒い。特に、ニュー。リノなどは俺の嫁になる、と息巻いている関係か、言葉遣いにそれなりに気を配ろうと努力はしているみたいだが、ニューに至ってはまるでその気がないようだ。裏道で聞かれるような荒い言葉遣いのころから、あまり変わっていない。
リトリィたちは絶対に俺にキッチンの仕事をさせてくれないから、俺も皿を並べたりすることくらいしか仕事がない。しかも最近はフェルミがそれをやってしまうから、ますます準備中にすることがない。
で、ニューから「おっさんって、食ってばっかだな。少しは手伝えよ」などと言われるわけだ。おい、女の子! 言葉遣いに少しは気を配れって!
「それで、今日のご予定は?」
「ああ、『幸せの鐘塔』の内部補強工事が思った以上に調子よく進んでいるから、今日は点検と進捗の確認をすることになってる。そっちは?」
「いつもと同じ、現場のみなさんへのお給食の準備と配膳、後片付けを」
「ああ、いつもありがとう」
こうして、朝は食卓を囲んでいつも一日の予定の確認。本当はもうじき臨月ということで、マイセルやフェルミには安静にして過ごしてほしいんだけど、二人に言わせれば「何もしないより何かをして過ごしていた方が気分がいい」とのことだった。
夏も近い季節、体を冷やすこともないだろうし、体調にはくれぐれも気を付けるように念を押しつつ、好きなようにさせている。
無理のない範囲内で日々が充実し、それが人様の役に立つのであれば、言うことはない。
そんな、楽しい食卓だったのだが。
「あっ……!」
ヒッグスの肘がニューのスープ皿に当たったのだ。お代わりをもらったばかり、熱々のスープで満たされた皿の中身は、隣に座っていたニューの胸から膝までに飛び散る!
ニューの悲鳴、素早く立ち上がって拭こうとするマイセル。リトリィがキッチンに走る。
「マイセル! 拭かなくていい!」
ニューの悲鳴を聞いた時点で、俺はどこか自分でも不思議なほど冷静に、ニューのそばに駆け寄っていた。
すぐさまニューの服に手をかけると、そのワンピースを一気にまくり上げる!
「む、ムラタさん⁉」
驚くマイセルだが、服を着たままやけどしかねないものを浴びたら、まずは服を引き剥がすか服の上から水をぶっかける! 悠長に拭いていたら、やけどが進行しかねないからだ。
すぐに水を汲んできてくれたリトリィがあとを引き継ぎ、水を浸した手ぬぐいでニューの体を冷やす。
ニューはしばらくべそをかいていたものの、幸い大したことがなくてよかった。多少、ヒリヒリするところはあるようだが、赤くなったところもほとんどない。
原因はヒッグスの不注意によるものだが、わざとではないし、まして兄と慕うヒッグスを責めることもできず、ニューは鼻を鳴らしながらも、我慢してみせた。普段は口の悪い娘だが、こういういじらしいところを見せると、愛らしくも思う。
冷たい水でスープの汚れを拭き取られながら、「冷たい……!」と悲鳴を上げるさまを見て、俺はふと思った。
子供が生まれたら、色んな意味で汚れをふく機会が増えるだろう。そのとき、冷たい水でふくより、ぬるま湯でもいいから温かな湯でふいてやれたら。
「……よし、決めた!」
「どうされましたか?」
「新しい家族を迎える準備だよ」
リトリィが微笑みながら首をかしげてみせる。
「ずっと作ろうと思ってるうちに、もう夏が来ちゃうけどさ。子供が生まれる前に、シャワー室を作ろう!」
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