閑話⑳:明日を刻むために

※【KAC20229】掲載作品に、一部加筆修正しました。




 日記はいい。

 そのまま自分史になる。

 日々の出来事、思ったことや考えたこと、移ろう季節――そういったものを記録していくことが、自分の生きた証になる。


 今日も一日のことを書き記して、棚に戻そうとした時だった。

 ふとある一冊の日記帳が目に留まった。


「……もう一年になるのか」


 もう一年。娘がムラタ――あのヒョロガリ男の元に嫁いでから。


「あんなヒョロガリ男の、いったいぜんたいどこが良かったんだか」


 水桶一つ持つだけでフラフラしていたあの男。

 娘はあの男の一体どこを気に入ってしまったのだろうか。婿を取るにせよ、嫁に出すにせよ、まだまだ先のことだと思っていたのに。


「……いや、あれが最後の機会だったのかもしれん。あのヒョロガリには、癪だが感謝しねえとならねえのかもな」


 フラフィが言っていた。

 ――あの子ももう十九だったのだと。

 すっかり失念していた。

 ――あの子はケモノの特徴が特に濃い獣人族ベスティリングであり、二十歳を超えると、極端に子供ができにくくなる、とされていることを。


 事実、結婚してから一年経つというのに子供ができたという話を聞かない。

 娘の夫ムラタの、もう一人の妻となった娘は、夏には子供を産むだろうというのに。


 さっさと祝言を挙げさせてやっていれば、もしかしたらリトリィにも子供が出来ていたかもしれない。


「……すまんかったなァ、リトリィ。お前も、子供の顔が見たかっただろうに」


 つい、娘の結婚式の頃の日記を手にとってしまう。

 ありありと蘇る記憶。

 娘は本当に幸せそうだった。あんな男のどこがよかったのか。娘に振り回されるようにしながらダンスを踊っていた男の、情けない姿が思い出される。


「将来はいい鍛冶屋になると思ったんだが……鉄よりも男を選びやがって」


 毒づいてみせるが結局は負け惜しみだ。


「このわしが、孫ができるのを期待するようになるとは」


 だからこそ、もっと早く嫁がせてやるべきだったと苦悩もしてしまう。

 人里離れた山の中に住んでいると、よそと比べることもない。結局、親として気づかねばならないことに気づいてやれていなかった。亡き妻にくれぐれも子供たちを頼む、と言われていたのに、情けない限りだ。


「おじーちゃん!」


 不意に声をかけられて顔を上げた。

 ふわふわの亜麻色の毛に包まれた、長い垂れ耳――兎属人ハーゼリングの少女。

 息子のフラフィーが、なんの相談もなく突然連れて来た嫁の、連れ子だ。


 あのときはさすがに驚いた。

 しかも息子自身、こっそりと重ねてきた交際の果てに結婚を決意した、というわけではなく、妹の結婚式の夜、たまたま出会った兎属人ハーゼリングの女性が元夫とトラブルになったのを助けて、そのまま自分の嫁にしてしまったという。

 その成り行きを聞いた時、我が息子ながら呆れた。


 人生を託す伴侶なのだ、もっと考えてからにしろと脳天に拳骨を食らわせたが、息子ときたら平然とそれを受けて、答えやがった。


『親父、親父はオレを拾ったとき、何日もかけて熟慮とやらをしたのか? 俺は親父がそんなことをしていた記憶なんざねぇぞ?』


 まったく、本当にあきれた奴だ。正しくわしの「息子」をやっていやがる。


「おじーちゃん? モーナ、おやすみを言いに来たの!」

「……おお、そうか。ちゃんと挨拶に来て、偉いなモーナは」

「おじーちゃん、なにを読んでるの? 絵本?」


 首をかしげるモーナに、おもわず笑みがこぼれてしまう。


「おじーちゃんのな、思い出なんだよ」


 突然できた「孫」には、最初は本当に戸惑った。拾った頃のリトリィよりもさらに幼い少女は、髭面の自分の顔を見て、最初は母親の後ろに隠れてしまった。


 けれど今はこうして、自分からおやすみを言いに来る。その愛らしい仕草に目を細めると、長男フラフィーにも、次男アイネにも、そしてリトリィにも見せたことのないはずの笑顔を向けた。幼いモーナは、夜着のすそをつまんでお辞儀をしてみせる。


 ――ああ、愛らしい。


 そう思うのと同時に、ほぼ鉄一筋に生きてきた自分が、突然できた孫に目を細めている――その事実に、内心で苦笑する。


 ――これが、年をとるってことか。自分には一生、縁のない感情だと思っていたんだがな。


 モーナがぴょこんと頭を上げる。まだまだ子供だ、優雅さには程遠い。

 だが、そういった仕草こそがまた子供らしさを感じさせて、自分の目が横に糸のように伸びることを自覚する。




 孫が部屋を去ってから、一度書き終えた日記を、もう一度開いた。

 思ったことを、追記する。


 孫が可愛いと思えたこと。

 年老いたと実感したこと。


 また数年して、もしこれを開くことがあったら、きっとその時はまた、別の感慨をもってこの短い書きつけを読むのだろう。


『日記はいいわよ? そのまま自分史になるんだから!』

『そのときの自分に立ち返ることができるの。私たちの愛だって、日記を開けばいつだって思い出せるのよ? 素敵だと思わない?』


 亡き妻が続けていた習慣に感化されて始めた日記。

 もう二十年になるだろうか。


 妻との間に子供はできなかったが、拾った孤児三人は、それぞれに立派に成長した。技術を身に着け、今ではもう、助言こそすれ、教えることなどなにもない。


 ――とはいえ。


「リトリィに全部を叩き込んでから、もういつ死んでもいいと思ったが……あいつが産んだ孫を抱くまでは、死ぬわけにはいかんなあ……」


 まだまだだ。

 妻の待つ世界には、いつでも旅立てると思っていたが、まだ、もう少し待っていてもらわねばならぬ目標ができてしまったのだ。


 ずらりと棚に並ぶ日記帳の背表紙を見回したあと、手の日記を、棚に戻す。

 また明日を、刻むために。

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