閑話⑱:今は猫の手でも

※【KAC20229】掲載作品に、一部加筆修正しました。




 猫のような三角の耳をぴこぴことさせ、しっぽを振り回し、縦長の瞳孔の目を大きく見開くようにして、獣人――猫属人カーツェリングの少女であるリノは、よく俺にまとわりついてくる。


 猫の獣人といっても、猫らしさは耳と、しっぽと、瞳孔だけだ。あとはほぼ、人と変わらない少女だ。十代前半らしいが、その言動はやや幼い。


 「ボク、お役に立つよ!」が口癖の彼女からは、必要とされたい、褒められたいという思いがよく伝わってくる。自分の居場所を確保したいという願いが、痛いほど伝わってくる。


 ただ、いかんせんストリートの孤児として、ヒッグスとニューとリノの、子供三人だけで生きてきただけあって、家庭的な技能も壊滅的で……。


「ひゃうっ!」


 何につまずいたのか、盛大に転んだ彼女と、ぶちまけられた皿。

 彼女に持たせていたのが木皿でよかった、陶器や磁器の器だったら間違いなく木っ端みじんだっただろう。うむ、仕事はその達成率に応じた負荷をかけてやらないとな。


 孤児として生きてきたせいで栄養状態が悪かったためか、リノは成長が早いはずの獣人族ベスティリングなのに、同じ年頃のヒトの子であるニューと、大して背格好が変わらなかった。


 話によれば、年上の少年であるヒッグスと同等かそれ以上の背になっていてもおかしくないそうだが、そう考えると、同世代の獣人族ベスティリングと比較すると、かなり小さいと言えるのではないだろうか。


 ところが、今や保護したころのガリガリの姿に比べてずいぶんと血色も良くなり、年相応に──いや、それ以上にふっくらとしてきたように思う。獣人族ベスティリングの成長の早さが、やっと発揮され始めたのかもしれない。


 ……だが、うん、だからこそ、頼むからいい加減に下着をはいてくれ。


 しっぽのじゃまになる、付け根に違和感があると言って、本人は下着もズボンも嫌がる。だからワンピースかスカートを好むのだが、走るたびに尻が丸出しになる。彼女の癖なのか、しっぽを水平より高く持ち上げて走るからだ。

 まして今のように転んだりしたら、目も当てられない。


「……大丈夫か?」


 手を差し伸べてやると、本当にうれしそうににっこりとして、「えへへ! だんなさまの手、あったかい!」と、俺の手を握って立ち上がった。……まさか、これをして欲しくてわざと転んだんじゃないだろうな?




「だんなさま!」

「師匠と呼べ」

「はい、ししょー! ボクも釘、打っていい?」

「……いいけど、この前みたいに指を打ち付けないようにな?」

「うん、がんばる!」


 嬉しそうに金槌を手にして、俺の隣で真似するように釘を打ち始める。


「おっ、嬢ちゃん、今日も監督といっしょに釘打ちかい?」

「うん! ボク、お役に立つよ!」

「監督、こりゃ将来が楽しみだな! ワハハハ!」


 将来は俺と同じ建築士になるのだと、楽しそうに現場をちょろちょろしている彼女は、だが危なっかしくてしょうがない。

 以前まではその高い身体能力を生かして、『遠耳の耳飾り』を付け、それによって伝令の仕事をやってもらっていた。だが、大工の仕事をやりたがるようになったのだ。


 危なっかしくて仕方がないからそばに置いていると、こうして冷やかし半分に周りの大工たちに声を掛けられる。


 だが。


「ふみゅぅぅうううう!」

「だから、ちゃんとひじを固定するように打てと言っているだろう」

「だ、だってだんなさま、上手く当たらないんだもん……!」


 金槌を打ち付けてしまった左の親指。可哀想に、釘に挟まれたせいで少し切ってしまったようで、血がにじんでしまっていた。


 男なら「舐めときゃ治る!」で済ませたかもしれないが、リノは女の子だ。男なら多少の傷痕が残ってもむしろ勲章みたいなものだが、女の子はそういうわけにもいかないだろう。日本の絆創膏のような便利なものは、この異世界には存在しない。大げさかもしれないが、包帯を巻いてやる。


「師匠と呼べ。……ほら、これでよし。もう今日はやめておけ」

「やだ! ボク、がんばるって言ったもん! やるもん!」


 ……とはいっても、すでに片手の数では足りないほど、釘を曲げている。まともに打ち付けることができた釘の方が少ない。


 ……以前、自宅となった小屋を建てたとき、他の「大工のひよっこ」たちの倍は釘を消費した半人前を思い出して、苦笑する。

 困ったものだと思いつつ、ついつい、「分かった、じゃあ怪我だけはしないようにな?」と許してしまう自分を発見する。

 あの半人前を派遣した親方さんの気持ちが、今になって少し理解できたような気がした。




「ボク今日もね! だんなさまのお手伝い、がんばったんだよ!」


 口の周りをベタベタにしながら、不器用にスプーンでシチューを食べるリノ。


「どんなことをお手伝いしたんですか?」


 金色の毛並みが美しい、犬そっくりの顔をした獣人族ベスティリングのリトリィが、優しく微笑みながら尋ねた。


「あのね! ボク、釘、いっぱい打ったの! だんなさまにも、他の大工さんにも、上手って褒めてもらえたんだ!」

「……以前のこいつと比較しての相対的評価だ」


 リトリィは満面の笑顔でリノを褒め、リノもうれしそうに笑った。

 顔が引きつっているのは、本職の大工であるマイセルのほうだ。今はふくらみが目立つようになったお腹を抱えているから現場には立っていないが、俺の言葉で、どんな状況かはおおよそ理解できたようだ。


 ……実際問題、大工見習としては使い物にならないレベルだ。必要な釘の倍近くを消費して、ガタガタな代物が出来上がった。人目に触れる場所のものではないから、大した問題にはならないだけで。


「お、おれだってバリオンさんに褒めてもらえたもんね!」

「ヒッグスは石組み長のバリオンさんに褒められたのか。それはすごいじゃないか、あの人は街でも有数の石組み職人だ。あの人に認められたなら、才能があるぞ」

「へ、へへっ! そう? おれ、大工の中でも石組み職人になろうかな?」

「ああ、いいと思うぞ。ただそれだけじゃなくて色々なことを経験して、自分に合った技能を身に付ければいいさ。将来は親方マイステルか?」


 ヒッグスは鼻をこすりながら笑顔になる。

 ――まあ、石組み長のバリオンにヒッグスの面倒を見てくれるように頼んだのは俺なんだけどな。上手におだてながら育ててくれているようで助かる。


「お、オレも今日、芋の切り方、マイセル姉ちゃんに褒められたし!」

「そうですよ、ムラタさん。この子、包丁の扱いが上手になって」


 マイセルの援護射撃を受けて、ドヤ顔で鼻息荒く胸を張るニュー。

 相変わらず口調の荒いニューだが、その興味は徐々に家事のスキルを磨くことに向かっている。どうやら将来の夢として「お嫁さん」というのが出てきたらしい。マイセルに言わせると、可愛らしい恋をしているようだ。


 ……だったら口調をまず変えたらどうかと思うが。リノはボーイッシュながら、出会った頃よりだいぶ柔らかくはなったのに、ニューは全然変わらない。俺のことも「おっさん」で通しているままだ。

 リトリィの真似をして、俺のことを「だんなさま」と呼ぶリノはもちろん、ヒッグスだって現場では「監督」と呼ぶようになったのに。


 でも、かつてはストリートチルドレンとして明日をも知れぬ生き方をしてきて、大人に対して不信感を持っていた三人の孤児たちが、それぞれ自分なりの目標をもち、大人についてスキルを磨こうと日々努力しているというのは、とても喜ばしいことだ。


 まだまだ「猫の手」の域を脱することのない三人だが、誰でも最初は新米だ。そこから、自分のスキルを磨いて一人前になってゆく。


 出会いは最悪だった俺と子供たちだが、引き取った以上、彼らが無事巣立って行けるように育てるのが、俺の使命だ。家を設計することくらいしかできない俺だが、幸い、俺には鍛冶師リトリィ大工マイセル――二人の妻がいる。そして俺を支えてくれる、街の人々がいる。


 日本からこの世界に「落ちて」きてから、もうすっかりこちらになじんだ。

 俺にとっての異世界とは、こちらではなく、日本だ。

 もう、日本に帰るつもりはない。たとえ帰るチャンスを得られたとしてもだ。

 俺はこの世界に根差して、そして、これからもこの世界で、生きていく。

 俺を必要としてくれる人々と共に。

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