第609話:自慢話は嬉し恥ずかし
「ほんとうに、これで、よかったのですか?」
「ゲシュツァー氏にも最終的には分かってもらえたし、今後の様子見、といったところだな」
ゲシュツァー氏宅からの帰り道、俺は外した『遠耳の耳飾り』をいじりながら答えた。
今回の話も、この耳飾りを付けたリノを通じて、ナリクァン夫人に伝わるようにしてある。「救児院を学校化」計画は事前に夫人に通してあるが、ゲシュツァー氏が同意した、という事実が重要なのだ。
「……披露宴のときやゴーティアス夫人とのお話のときに、あなたがとってもはずかしがっていた理由が、よくわかりました」
リトリィがいまだ頬を赤く染めながら、ぽつりと言った。
「のろけ話を聞かされるって、こんなにもはずかしいことだったんですね……」
「恥ずかしくなんかないだろ! 俺たちの愛の軌跡を、ゲシュツァー氏に理解してもらっただけじゃないか。大切なことだったんだぞ?」
俺が反論すると、リトリィはそのときのことを思い出したようで、また顔が耳の先まで真っ赤になってうつむいてしまった。
「だ……だって! その……よ、夜の生活まで、あんな……!」
「売春を斡旋して性欲を満たさせるより、結婚を推奨してまっとうな子作りも推奨することのほうが、街の発展になるんだから。むしろ言わなきゃだめだろ?」
「わ、わたしの……その、おっぱいのすばらしさなんて、あんなにもうったえる必要があったんですか……?」
「最高じゃないか。リトリィの魅力の大事な一部だ。リトリィだって、俺との夜の夫婦生活がいかに素晴らしいか、ゴーティアス夫人に延々と語りまくってただろ?」
リトリィはびくりと体を震わせ、俺の左腕にぎゅっとしがみつくようにして立ち止まってしまった。
「わ……わたし、そんなこと、そんなに、言ってましたか……?」
「だから毎回、俺が隣で悶絶してたんだろう? まあ今回、自分の宝物の話は、しゃべってて楽しいのは分かった」
「ひう……!」
首筋まで真っ赤に染めて、リトリィが体を縮める。
というか俺自身も、今まで散々リファルに酒の席で聞かせてたことを思い出した。まあいいや。
「……毎回毎回、あなたには驚かされてばかりですわね」
ナリクァン夫人にあきれられながら、俺たちは中庭でリノたちが遊ぶ様子を眺めていた。
「あなたにとっては、敵、味方という線引きがあいまいなのですね」
「いや、家族を傷つける奴はみんな敵です」
「その割には、ずいぶんと寛大な措置ばかりを思いつくこと」
……俺、そんなに寛大だろうか?
首をかしげた俺に、夫人は扇子で口元を隠しながら俺を上目遣いで答えた。
「あなたと敵対して生き残っていないのは、奴隷商人くらいでなくて?」
……夫人の、その何かを企んでいそうな微笑が、本当に怖いんですがッ!
「……俺はただ、俺にできることをやってきただけです」
「そうやって敵味方に分けることなく、玉虫色の決着に収めるように仕向けることができる──その考え方自体が、商人に向いていると思いませんか?」
「冗談でしょう。腹芸の出来ない俺に、商人なんかできませんよ」
日本で建築士として働いていた時も、「馬鹿正直」と所長からあきれられ怒鳴られるくらい、客とやりあった。
建材から始まって動線や収納の重要性、将来的な家具の移動まで見据えたコンセントの配置まで、俺はメリットもデメリットも、利益度外視で全部説明した。極端な話、自分の事務所と直接取引のないものまで引っ張ってきて、ギリギリの交渉もした。
その代わり、不正な値引きは絶対にしなかった。どこかで無理をすれば、どこかにしわ寄せがくる。お客さんもきっと分かってくれると信じて。
それで、何件か客をのがした、という自覚もあるけれど。
でもそれが、最終的な顧客満足度につながると信じていた。
……商売人として向いてないのは、俺自身が一番よくわかってることさ。
「そうなのですか? やってみなければ分かりませんことよ?」
「勘弁してください。俺は誠実が売りの建築士なんです。笑顔の裏で腹を探り合う、胃をすり減らすような交渉事はごめんです」
俺はそうかわすと、あらためて中庭を見た。
ナリクァン夫人の屋敷の中庭で遊んでいるのは、ヒッグス、ニューとリノ、そして、ゲシュツァー氏の双子の娘たち──フェルとヴァイシィ。
我が子とそっくりの名前を持つヴァシィを、遠慮なく男どもの慰み者にできてしまえたゲシュツァー氏の効率主義が、あらためて空恐ろしく思える。だが、その効率主義を断行してしまえる彼も、自分が捕らわれることになったとき、真っ先に彼女たちをナリクァン夫人に任せた。
何者にも代えがたい二人をあえて敵対組織に公然と差し出すことで、彼女たちの身の安全を確保するつもりだったのだろう、とは夫人の言葉だ。
人質のごとく堂々と差し出された彼女たちを粗略に扱ったら、ナリクァン商会の信用に大きな傷がつく。商会の度量を見せつけるためには、彼女たちを適切に扱わねばならない──そんな狙いがあるのだろうと。
『本当に、食えない御仁ですこと』──それが、ナリクァン夫人の評価だった。
「彼は、彼の悪評を娘たちにあることないこと吹き込まれて、娘に離反されるおそれがあることを考えなかったんですかね?」
「それよりも、娘の無事をこそ、第一に考えたのではなくて? ひと様の娘は平気で蹂躙するくせに、我が子となると……よくある話ですわ」
そう言いながら、しかし双子の少女たちを見守る目は優しい。夫人は本当に子供好きなんだろうな、と思う。……かつて子供だったはずの俺にも、優しくしていただけると大変うれしいのですが。
「女ごころをちらとも理解しない
ひきつる俺に、隣で苦笑いをしているリトリィ。ごめんなさいもう言いません。
「そうそう、フェクトールぼっちゃんですけれど」
まるで近所の子供のように呼んだけど、多分この街でフェクトール公をぼっちゃん呼ばわりできるの、あんただけだと思う。
ひきつった顔を向けると、夫人はニヤリと笑ってみせた。
「どうしてああもぬるい処分で済ませようとするのか、ですって。ご自身もムラタさんから、ずいぶんとぬるい処置に留め置かれたというのに。ひとは、自分の痛みすらもすぐに忘れてしまえるものね」
……いや、屋敷ぶっ壊されて、そのうえで『幸せの鐘塔』の修復作業をしているわけだから、相当な出費をしているはずだ。おまけに、屋敷や鐘塔の修復に使う建材はそのほとんどがナリクァン商会の息のかかった店から調達するしかないわけで。
自分の野望や屋敷をぶっ潰した勢力を相手に、莫大なカネを支払い続けなければならないんだ。全然ぬるくないと思うんだけどなあ。
「……なんにせよ、あなたに逆らった勢力がどうなるか、また一つ見本ができましたわね。実に楽しいことだわ、これはぜひ宣伝しないと」
「……ちょっと! それ、俺が危険人物ってことじゃないですか!」
「わたくしの
勘弁してくださいよ! 俺は楽しくないですって! いやほんとに!
リトリィも笑ってないで、釘を刺してくれよ!
「ふふ、わたしのだんなさまがおしばいの主役になるなら、わたし、大賛成です! ナリクァンさま、じつはあのとき──」
ちょっと! そこで一緒になって話に乗らないでくれよ!
いくら楽しそうに盛り上がってるからって、そこは奥さん、ステイ! 頼むから止まって! 俺の夜の絶倫ぶりだなんて、いらないだろ!
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