第606話:未来に種を蒔くように

「『能率が悪い』って理由で、女の子に売春を斡旋する! 働く男たちに、かつての同僚の女の子に性欲を吐き出させる形で賃金を使わせる! そんな、家畜を飼うようなやり方はもうやめろと、ひとの尊厳を食い物にするなと、そう言ってるんだよ!」


 俺の言葉に、ゲシュツァー氏は引きつった笑みを浮かべながら答えた。


「何を言うかと思えば……理想だけなら何とでも言える! 考えてもみたまえ、これは事業なのだよ。私は慈善家ではない、事業家なのだ!」


 彼は拳を握りしめて俺をにらみつけた。


「さっきも言っただろう! 父の放漫な経営が仇となってどうしようもない状態だったのを、私が軌道に乗せたのだ! もし軌道に乗せることができなかったなら、救児院の子供たちは放り出されて飢え死にしていたかもしれんのだぞ!」

「それでもだ」


 俺は、まっすぐにゲシュツァー氏を見据えた。ここで引き下がるわけにはいかない!


「あんたが親父さんから継いだ孤児院から、元々いた子供たちがいなくなったあとも、あんたは子供たちを受け入れ続けたんだろう? 捨てられた、あるいは託された子供たちの未来を考えて」

「……だからなんだというのだね」

「救児院──『子供たちを救うための場所』と、そう名付けたんだろう? 始まりは不本意だったかもしれないが、それでもあんたは子供たちを救いたいと考えたんだろう? そのために子供たちの手に職を付けてやろうと考えたんじゃないのか!」


 俺は、自分の耳につけた耳飾りに触れながら、高ぶる気持ちを抑えるために一度、言葉を切る。


「……最終的に引き取り手のなかった子供たちを、あんたが経営する工場に受け入れた際に、能力の高さに応じて賃金を変えるのは、雇用主として理解できる。だがな、売春婦にするなんてありえないだろう!」

「それが最も効率がいいからだよ」


 ゲシュツァー氏は、乗り出していた体を深く椅子に沈めると、冷笑を浮かべながら首を振ってみせた。


「結局、ひとは欲望から逃れられないのだ。神の愛のもとでどれほど清廉に育てたとしてもだ! 分かるかね? 手塩にかけて育てた子供たちが、小金こがねを手にした途端、酒場で、賭場で、娼館で散財し、良からぬ遊びを吹き込まれ、堕落し、暴力沙汰を引き起こし、そして無益に死ぬ姿を見せつけられた時の私の気持ちが!」


 言いながら、だんだん、氏の目が吊り上がってゆく。声を震わせながら、彼は吐き出すように叫んだ。


「ならばこちらで管理する方が、ずっとマシというものだ! 目の届くところで管理しておけば、彼らは道をそれることもないッ!」

「売春婦に堕とすことのどこが『道をそれていない』っていうんだ!」

「それも生きる道の一つではないのかね! 貴様とて酒場で、あるいは娼館で、女で遊んだことの一つや二つ、覚えがあろう! 無いとは言わせんぞ! 誰だって──」

「ねえよ! 俺の童貞も何もかも二十七の時に妻に捧げたんだ! そのあとだって女遊びなんかしようとも思わないね、リトリィは俺にとってもったいないくらい最高の女なんだよッ!」


 おもいっきり惚気のろけてやったよ。叩きつけるように。

 ゲシュツァー氏は、あっけにとられたような顔をしていた。


「……なん、だと? 二十七まで、童貞……? ありえん! 貴様、まさか神官崩れなのか……⁉」

「ありえんってなんだよ、事実だよ! それに神官崩れってなんだ、俺は建築士だって言ったろう!」

「……建築……本当に大工なのか? ……いや! ますますありえん! 大工のような荒れた人間が、女遊びの一つも経験せずに妻をめとるなど……!」

「だから事実だって言ってるだろう!」

「ありえん! ありえてたまるか! 二十七まで女を知らぬ大工など、天地がひっくり返ってもあり得るものか! しかもそのうえで妻しか女を知らんだと⁉ どこの聖人君子のつもりなのかね、貴様は! 男として──いや人としてありえん!」

「そっ、そこまで言うか!」

「こんな……こんな輩に、私はしてやられたというのか! こんな輩に……‼」


 ゲシュツァー氏は、最終的に頭を抱えて「ありえん!」とうめき続けるに至った。


 その隣で、俺も頭を抱えて果てしなく沈んでいた。

 そーだよ、二十七まで経験できなかったほど女心の一つも分からない奴だったから、リトリィを何度も泣かせたんだよ、俺って奴は。


 二人揃って、しばらく頭を抱えていた。




 俺のことを色々調べた彼だが、そもそも俺、氏と出会ったときには、リトリィとマイセル、ヒッグスとニューとリノ、そしてフェルミという、家族総出で散歩していたんだよ。その時ゲシュツァー氏は、マイセルを俺の妻、リトリィがその侍女だと思っていたわけだ。


 ところが、実際には妻が二人で、さらに妻を妊娠させておきながらもう一人妊婦を連れて、おまけに「孤児を引き取った」などとうそぶきながら、獣人の幼い少女を囲っている──囲ってるんじゃない、マジで責任をもって引き取っただけだ──などとわけの分からないことをやっていると知った時から、彼は俺のことをそういう目で見ていたらしいんだ。


 ──女を弄ぶゲスな技術に長けた、諜報系の軍属らしい謎のクズ野郎と。


 まあ、うん……彼の並べた情報だけを見ると……確かに俺、人間の屑っぽい。

 ……って、俺のことはどうでもいいんだよ!


 とにかく、彼がヒッグスとニューの教育をすると名乗り出たのは、そんないかにも怪しい俺という人間を探りたかったらしい。リノを外したのは、単純に獣人など眼中になかったからだそうだが。


「話を戻すぞ。あんた、子供は管理された方がましだっていうけどな、あんたは子供たちの未来のために動こうとした人間なんだ。そのあんたが、子供の自由を奪い、未来を狭めるようなことは間違っていると思わないか?」

「正しいか正しくないか、ではない。あくまでも効率の問題だよ」


 ゲシュツァー氏は、そう言って口を歪ませた。


「確かに貴様の言う通りだ。いかに収入が高いといっても、好きこのんで売春婦を選ぶ女などそうそういないだろう。だが、考えてもみたまえ。娼館の高級娼婦だろうと路地に立つ辻売春であろうと、自ら望んでそこにいるのか?」

「そんなわけが……!」

「ああ、もちろんだ。多くはやむにやまれぬ事情でカネが必要となり、そうならざるを得なかったのだろう。だが裏を返せば、収入を得る手段としては容易かつ高収益だからこそ、その道を選ぶということだ」


 彼は首を振りながら、けれどよどみなく続ける。


「そして、男というものは若ければ若いほど、女を抱かずにはいられぬもの。だが貴様自身が言っていたように……信じがたい話だが、二十七になるまで女性と縁がなかったのだろう? 全ての男性が女性とめあわせることができるとは限らぬ。つまり……」

「……つまり?」

「私は、きわめて合理的に、それを結び付けていただけにすぎない。これはあくまでも取引なのだ。欲する者がいて、提供する者がいる。私はね、契約を通してその仲立ちをしてきただけなのだよ」


 取引──つまりあくまでもビジネスだと、そう言いたいのか。


 俺は憤りを覚えつつ、しかし一旦大きく息を吐いた。

 冷静になれ、呑まれるな──自分に言い聞かせる。


「孤児院上がりの従業員を工場内に閉じ込めるのも、女の子に売春を強いるのも、あくまでいち契約、いち取引に過ぎないというんだな、あんたは」

「その通りだ。この三番街に身を置いていれば嫌でも目にするだろう。人の欲望というものが、本人の力だけではどうすることもできないものだということを」


 髪を撫でつけながら、ゲシュツァー氏はため息をつく。


「ならば、せめて身内の中で片付けられるようにするのが、結局は一番よいのだ」

「そのために皆を工場に閉じ込めて、一部の女の子を犠牲にするというのか?」

「犠牲ではない」


 俺の言葉に、彼は心外だといった様子で首を傾け、両腕を広げてみせた。


「食事も上等なものを提供し、個室を割り当て、休養も多く、外出も許可している。収入だって他の者たちの何倍も多い。他の者より、ずっといい待遇を与えている」


 そして、彼は口の端を歪めてみせた。勝ち誇るように。


「合理性と能率を追求した私の事業の、どこに問題があるというのだね。先ほど貴様は言ったな、我が工場で働く者たちが、工場の再開と、そして私の復帰を要求していると。それが答えではないかね? 」

「合理性と能率だけが全てじゃないだろう。俺が願っているのは、子供たちが幸せになる生き方をつかめる──そういった場をつくることだ」

「何を言い出し始めるかと思えば。ずいぶんと感傷的なことだな?」


 ゲシュツァー氏は、皮肉げに笑ってみせた。


「そうやって何もかもを引き受け、受け入れ、そして破滅すればよいとでも?」

「違う! 親の縁を失った子供たちだからこそ、男の子も女の子も、みんなそれぞれが大事にしあって、共に幸せになれる、そんな場を作るべきなんだ!」

「夢物語だな。ありえんよ」

「夢物語にしないのが大人の仕事だろう!」

「私は慈善家では……」

「その力を持っているのがあんただろう!」


 俺は思わず拳をテーブルに叩きつける。


「あんたは三十年来の経営経験を持っている、できないはずがない!」

「一時的にはできよう。だが人件費が大幅に上がって、従来通りの利益は上げられなくなるのもまた、目に見えている」


 ゲシュツァー氏はまっすぐに俺をにらみつけた。


「そうなれば、赤字の事業は閉鎖だ。結局は──」

「考えてもみろ」


 俺は、自分を落ち着かせるためにも、耳飾りに触れる。

 この先につながるひとに、改めて俺の考えを聞かせるつもりで。


「あんたのもとで育った子供たちが真っ当に独立すれば、やがて結婚し、家庭を作り子供を作り、そして街を支えていくことになるだろう」

「だからどうしたというのだね」

「となれば、あんたに恩義を感じる人間はずっと増えることになる。もちろん、あんたの事業に関わる製品を買うひとも、それだけ増えるはずだ。なんたって、自分の仲間たちが、後輩が、なにより自分自身が作った製品だからな。似たような製品があっても、自分たちが育った救児院由来の製品を手に取ろうとするだろう」

「……そうとは限らないのではないかね?」

「いいや! 間違いない。あんたが製品の質にも、子供たちへの教育にも手を抜かなければな」


 メイドインジャパンへの日本人の信頼、日本が誇る機械製品への信頼。ものづくり産業が斜陽を迎えている日本だけど、それでも日本人は、「日本製」に信頼を置いてきた。それは、日本の企業がこつこつと信頼を築いてきた証。

 それを考えれば。


「三十年にわたって孤児院と工場とを連携させてきたあんただ。子供を工場に囲い込むやり方自体は俺は賛同できないが、従業員として働くかつての孤児院の子供たちが、工場の再開を願っているのは事実。そのひとたちが真っ当に家族を持つようになれば、未来に向けて蒔かれた種を回収するように、いずれ間違いなく事業のすそ野を支える人間が増えるはずだ。」


 俺の言葉に、氏はしばらく、何も言わずに黙っていた。

 そして、ぽつりとつぶやいた。


「……救児院から独立した子供たちが家族をもてば、いずれは事業のすそ野を支える人間が増える……か。確かに、そうなのかもしれんな」

「考えておいてくれ。俺は別にあんたの事業を潰したいんじゃない。真っ当な事業に立て直して、あんたが育てた子供たちが幸せになる、そんな街にしたいだけだ」


 俺は言うべきことはもう、全て言った。

 俺の耳につけている『遠耳の耳飾り』、その先にはリノがいて、リノがずっと、俺たちの会話をナリクァンさんに伝えていた。


 実は途中で何度も夫人にはあきれられていたが、それでも、夫人はリノの先で、あくまでも聴衆に専念してくれていた。


 部屋を出るときも、ゲシュツァー氏はまだ、テーブルをじっと見つめ、何かを考えているようだった。

 あとは彼が、俺の言葉を受け入れて事業を再出発してくれることを願うしかない。


「……リノ、終わったよ。長い間、ありがとう」

『えへへ! ボク、お役に立てた?』

「ああ。ものすごく役に立てくれた。本当に、おつかれさん」

『えへへへ! だんなさま、ボク、ごほうび楽しみにしてるから!』

「……ああ。分かってる、今夜は添い寝だ」


 耳をつんざくリノの歓喜の声に、俺は頭がくらくらする思いで、しかしなんとか足を踏みしめて歩く。


 すぐに何かを変えることができたわけじゃない。

 法的にはあまり問題にされなかった今回の騒動だけれど、フェクトール公まで動いたのだ。「法的な問題」は軽微だったが、少なくとも「倫理的な問題」について投げかけることができたのだ。


 いち市民にできることなんてたかが知れている。

 けれど、未来に種を蒔くことはできたはずだ。

 その成果を、俺はただ、信じるだけだ。 

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