第605話:ひとの尊厳を

「貴様は実に恐ろしい男だ。調べただけでも片手に余る。獣人奴隷の隊商を殲滅、それに関わる地下組織を粉砕、大工ギルドのギルド長を更迭、フェクトール公の屋敷を大工どもを引きつれて破壊。木造の家やレンガ造りの家を素手で破壊したとも聞いているぞ。さらに──」


 ──もうやめて、俺のライフはゼロよ……!

 ゲシュツァー氏が列挙する俺のやらかし列伝に、もう顔から火炎放射できそうな勢いだ。


「お、俺のことはいいんだ! 今後、今後のあんたのことを話に来た!」

「話だと? いまさら何を話すというのだね。私の商会を買い取るための交渉をしに来たとでも言うのかね?」


 おどけてみせたゲシュツァー氏。なんだ、分かっていたのか。それなら話は早い。


「さすがは腕利きの事業主。まあそんなようなものだ。そっちがその気なら、こちらとしても事を進めやすくて助かる」


 向こうがこちらの手の内を読んでいたというのなら、あとはビジネスの話だ。リノが頬を殴られたことをはじめ、俺もゲシュツァー氏というより、その周りや彼がやってきたこと自体にいろいろ言いたいことはあるけれど、まずはにこやかに挨拶だろう。


 俺は笑顔で手のひらを向けてみせると、ゲシュツァー氏も苦笑いで手のひらを向けた。


「はっはっは、冗談も規模が違いますな。まったく、冗談でも笑えないものがあると知るべきですな」

「はっはっは、いや、たしかに冗談じみた話だとは思いますよ。あなたが話の分かる人でよかった、もっと難航すると思ってましたからね」

「……ん?」

「……え?」


 二人で、互いの視線を探り合う。


「……冗談、ですな?」

「……もちろん、本気ですよ?」


「……私を腕利きと評価したことが、本気だということですな?」

「……そちらの事業を買い取ることに、本気だってことですよ?」


 お互いに視線を交わし合う。

 親愛の印、手の内をさらすという意味の、手のひらを向ける挨拶の手のひらを、互いに見合う。

 そしてまた、互いに視線を交わし合う。


 にっこりと、ゲシュツァー氏が微笑んだ。

 よかった、話は通じているようだ。俺もにっこりと微笑みを返す。


「ふぅざぁけぇるぅなぁぁぁあああっ!」


 今度こそ立ち上がって俺の胸倉をつかみ上げたゲシュツァー氏。さすがに見張り兵が止めに入りに来たが。




「ここまで真正面からけんかを売りに来た買収交渉は始めてだよ。実に度胸のあることだな」

「いや、参ったな。度胸と言われるほどのものでは」

「褒めているわけではないッ!」


 ゲシュツァー氏はテーブルを叩こうとしたようだったが、顔をしかめて、振り上げた腕を力なく下ろした。


「……貴様が乗り込んできて以来、調子が狂いっぱなしだ。本当に恐ろしい男だ」

「ものすごく誤解されている気がするけど、俺は自分と嫁さんと子供たちで平和に過ごせたら、それで十分な男だからな?」

「そのために邪魔者は焼き払うというわけか。私の三十年の事業の歴史と誇りに少しも敬意を払わぬ、人の尊厳を平然と踏みにじる恐るべき男よ」


 どうしても俺をそーいう人間にしたいんだな……。もはや何も言うまい。


「……もうそれでいいよ。今日の話は、さっきの買収の件だ。俺は、あんたが続けてきた『子供たちを資源と見立て、将来に活きる技能を身に着けさせる』という事業自体は、価値があると思っている」

「なんだね、突然」


 薄気味悪そうに俺をにらみつけるゲシュツァー氏に、俺はあえてうなずいてみせた。


「親の縁がない子供たちには、後ろ盾になるものがない。腕一本で生きていかなきゃならない。学校があればいいが、この街にはそれがないからな」

「……『学校』?」


 ゲシュツァー氏は不思議そうに首をかしげた。


「学校なぞ、神学者か官僚になる紳士・貴族階級以外には無縁だろう。私もそんなことなどやらせていない」


 ああ、なるほど。学校はあるにはあるが、庶民には縁遠いシステムということだったのか。


「いや、この街に学校は無い。王都──とまでは行かないが、近くだとアンジーブルグの神学校が有名だがな」


 なるほど、分からん。新しい地名だ。まあいい、別に坊さんを育てたいわけじゃないから、今はスルーしよう。


「……とにかく、学校のないこの街でやってきたあんたの事業自体は、親のない子供たちを三十年に渡って支えてきた。それ自体は間違い無いんだ。それを継続していくことは、あんたが以前、自分で言っていたとおり、この街を支えていく人材を育てることにつながる」


 彼が自分で言っていたことだ。

 その時の誇らしげな姿を思えば、その自負もあったはず。


「俺はあんたがやってきた成果自体は、意義あるものだったと思う。あんたが費やしてきた三十年間の成果のおかげで、うちの嫁さんたちも安いレース生地を買えるんだし、それでおしゃれを楽しむことができてきたんだしな」


 ゲシュツァー氏は、ぽかんとしていた。

 俺が氏を認めることを、想定していなかったのだろうか。


「工場が受け皿になること自体も、悪い話じゃない。確実な食べていく道が保証されているのは院を出る子供たちにとって安心につながってきただろうし、身につけた技能も無駄にならないからな。あんたの事業は、行き場のない子供たちを救い、街の発展に寄与してきた。それは確実なんだ。俺はその点に関しては、評価したい」

「……なにを、言いたいのかね?」


 さっきまで顔を真っ赤にして怒鳴っていた彼とは思えない、かすれた声だった。

 視線も定まらない。どこを見ていいのか迷っている、そんな表情だ。


「あんたの事業は、不幸にも愛を失った子供たちを、確かに救ってきた。その点を認めたいと言ってるんだ。『我々にパンを、ゲシュツァー氏に解放を』と叫ぶ救児院出身者は、一時閉鎖されている工場の前で、今日も叫んでいるそうじゃないか。ずいぶんと慕われてるな、あんた」


 実のところ、本当に慕われているかどうかは分からない。だが、工場を拠り所にしてきた元孤児たちが、ゲシュツァー氏の工場再開を願い、要求を行動に移している。それは紛れもない事実なんだ。


「そういう意味で、あんたが三十年かけて築き上げてきたものが信用となり、支持者の信頼となって表れているんだろう」

「信頼……。彼らが、信頼……」


 悔しいが、そういうことだ。彼らは、自由のない暮らしを強いられながらも、それでもゲシュツァー氏のやってきたことを支持している。

 二十一世紀の日本で生きていた俺にはなかなか受け入れがたい話だが、それでも衣食住をきちんと保証していたゲシュツァー氏のやり方は、俺の感覚では十分ではなかったかもしれないが彼らには必要だった、ということなのだろう。


「……だったら」


 ゲシュツァー氏の目が、俺をまっすぐに見返してきた。

 だったら、もう、問題はないだろう──そう言いたげな目。


 だが、俺にはどうしても許せないことがあるんだ。


「ただ、やはり俺が許せないのは、衣食住を保証しているとはいえ、賃金をほとんど払わないというやり口と、そして──」


 そして、最も許せないこと。


「──女の子を、性のはけ口の道具にしてきたことだ」


 彼の目が険しくなる。

 彼の孤児院では、一部の少女たちが尊厳を奪われ、そこで働く男たちの報酬がわりに当てられていた。

 ヴァシィは出産までしていた。

 今、そういった少女たちは、ナリクァン夫人がまとめて屋敷で面倒を見ている。


 それは、各工場でも同じだった。いや、よりシステマチックに運用されていた。


 作業の能率の悪い女性は、待遇の向上を条件に、「男性従業員の相手をする仕事」を斡旋されるのだという。要は、施設内の売春婦にされるわけだ。


 この「待遇の向上」についてだが、食事内容や給与の向上に加えて、個室の割り当てや定期的な外出、浴室の優先的な利用など、明らかな優遇がなされるのだという。


 さらに、相手からの現金収入を得ることもでき、たとえ妊娠しても「仕事」をいつまで受けるか、いつから再開するかについての裁量権も本人にあるのだとか。なんなら、子供を自分で育てるか、ゲシュツァー氏の運営する孤児院に任せてしまうかも選ぶことができるとのことだ。


 こうした高待遇(?)と、繰り返される斡旋もあって、対象にされた女性は、最終的には受け入れてしまうそうだ。

 作業の能率の悪さを指摘され続け、ただでさえ乏しい給与が一層減らされているなかでの誘いだ。あきらめて、あるいはそこに活路を見出してすがってしまうのも、仕方がないのかもしれない。


 俺に言わせれば明らかに「貧困ビジネス」のたぐいだが、そもそも生活保護などの社会保障制度が一切無いのが、この世界、この街の現状なのだ。貧困者への支援は、あくまでも「力ある者」による「寄付、施し」によって成り立っている。

 俺自身、ナリクァン夫人が私費を投じて「俺の家」でおこなっている貧困者への定期的な炊き出しに、いまだに家族で参加している(させられている)くらいだ。


 つまりゲシュツァー氏がおこなってきた「事業」は、孤児を中心にしたセーフティネットとして、十分に機能してしまっているのだ。


 だけど──それでもだ。


「俺は、それだけは絶対に認められない。たとえ女の子に、拒否権があったとしてもだ」


 俺は言い切った。

 ゲシュツァー氏の目は、相変わらず険しい。


「……全ての女性が、こちらの示した選択肢を、自ら選んでいるというのに?」

「それは選択肢がほかにないからだ」


 人は誰でも、自分の思い通りに生きることができるわけじゃない。

 少なくともリトリィは、自らの意志で孤児になったわけではないし、幼い身の上で春を売りたくて売ったわけじゃない。

 人は置かれた環境で死に物狂いになるしかなく、自分の生き方の全てを自由に出来るわけじゃない──そんなことは分かっている。


 ……それでもだ!


「『能率が悪い』って理由で、女の子に売春を斡旋する! 働く男たちに、かつての同僚の女の子に性欲を吐き出させる形で賃金を使わせる! そんな、家畜を飼うようなやり方はもうやめろと、ひとの尊厳を食い物にするなと、そう言ってるんだよ!」

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