閑話24:【新年企画】うさぎの願い

※【新春企画】卯年なので、兎属人ハーゼリングの彼女たちに登場していただきます!


※彼女たちのツーショットはこちら。

https://kakuyomu.jp/users/kitunetuki_youran/news/16817330651376189758




 ノックもなしに突然、扉が乱暴に開けられた。

 ひやりとした空気が、空間を切り裂くように侵入してくる。

 ドアから見える向こうの世界は、黒々とした森、そしてその木々を、山々を覆う一面の銀世界。

 その銀世界を背景に、冬だというのに黒々と日焼けした上半身を晒すスキンヘッドの男が、ずかずかと侵入してくる。


 キッチンで鍋を掻き回していた、亜麻色の髪に同じ色の垂れ耳ウサギロップイヤー風の耳をもつ獣人の女性は、はっと顔を上げた。

 そばで母親の手伝いをしていた少女も顔を上げる。母親と同じ、ふわふわの毛におおわれた長い垂れ耳が、ふわりとゆれた。


 スキンヘッドの男は、二人の姿を目にすると、にぃっと口の端を上げる。


 少女が、おたまを手にしたまま、男に駆け寄った。


「モーナ、だめ! 待ちなさい!」


 悲鳴に似た声を上げる女性。

 スキンヘッドの男は、おたまを振り上げるようにして駆けてくる少女を、難なく受け止めた。


「はっはっは、どうした?」

「モーナ!」


 今度こそ女性から悲鳴が上がった。


「だめ、放して!」

「いいだろ、けち臭いこと言うなって」


 スキンヘッドの日焼け男は、少女を抱き抱えると、首にかけた手ぬぐいで汗をぬぐった。

 もともと薄汚れていた手ぬぐいが、さらに黒々と染まる。


「父ちゃん、おかえり!」

「おう、モーナ。母ちゃんのお手伝い、頑張ってたか?」

「うん!」

「そうかそうか! モーナは偉いな!」


 スキンヘッドの男が頬ずりをすると、モーナと呼ばれた五、六歳と思しき少女は、「父ちゃん、おひげじょりじょりーっ!」と可愛らしい悲鳴を上げる。


 少女の頬に黒いすすがべったりとつく。それを見て、女性はため息をついた。

 工房で鉄を打つ夫は、一仕事を終えると、いつも飛び散った鉄粉やすすまみれになって工房から出てくる。だから、娘が不用意に飛びついたりすると、娘まで真っ黒になってしまう。


 いつも水浴びをしてから家に戻ってくるように言うのだが、何度言っても男は、大抵はまっすぐ家に戻ってきてしまうのだ。

 曰く、『早くお前らの顔が見てぇから』。


「……もう! だから待ってって言ったのに……フラフィーあなた! また水浴びせずに戻ってきて!」

「悪い悪い、メイレン、腹減って待ちきれなくてよ! 今夜のメシはなんだ?」


 スキンヘッドの日焼け男──フラフィーは、愛娘モーナを肩車しながら、愛妻メイレンに無邪気な笑みを見せた。




 ここはバーシット山の中腹にある、鍛冶師ジルンディールの工房。

 歳に似合わぬごつい筋肉の塊の親方ジルンディールは、卓抜したその技能から、王都におわす王より直々に『貢献者ディール』の接尾名をたまわった鍛冶師である。


 偏屈な男としても有名だったその男は、養子であり、また有能な弟子を、三人抱えていた。


 一人は末っ子のリトリィ。極めて珍しい金色をした、ふわふわの長い毛並み、三角の耳、豊かなしっぽを持つ犬属人ドーグリングの娘で、鉄の申し子のような目利きの力を持つ。


 一人は真ん中のアイネ。顔中に刀傷と思しき傷跡をもつ凶相の持ち主。いかつい顔をしているが、こう見えても手先は器用で、三人の中では最も繊細な金属加工を得意としている。


 そしてもう一人は長兄のフラフィー。年中真っ黒に日焼けしている、スキンヘッドの陽気な男。長兄にしてジルンディールの一番弟子を自負する、三人の弟子の中で最も鍛造の技術に優れた男。


 末っ子のリトリィは、『ニホン』という、どこにあるかも分からない謎の国から転がり込んできた、「ムラタ」と名乗る男のもとに嫁いでいってしまった。だからこの山の館にはもう、いない。

 少し前に、全ての家事を取り仕切っていたリトリィを失った野郎三人は、この山の中で飢え死にするかしないかというありさまだった。


 畑のカブを掘り出しては洗ってそのままかじるだのなんだの、およそ人間らしくない食事をしていて、しかしそれでもだれも家事らしい家事をしないという末期的な世界を救った女性、それがメイレンだった。


「そんなに慌てなくても、食べ物は逃げていかないですよ」


 野郎三人が奪い合うように手を伸ばし合う姿に、彼女は微笑みながら追加のシチューの鍋をテーブルに乗せる。

 たちまち野郎どもの手が伸びるのを手で払いながら、まずは親方──ジルンディールの皿を手に取って、シチューをよそう。


「肉! 肉くれ姉さん!」


 アイネが皿を差し出しながら声を上げるのに対して、フラフィーがげんこつを食らわし、隣に座る少女──モーナの皿を手に取った。


 メイレンが苦笑しながらその皿を受け取ると、小さな少女にふさわしいだけ、盛り付ける。


「はい、モーナ。どうぞ」

「うん! モーナもお母ちゃんの料理、大好き!」


 メイレンの言葉にモーナは満面の笑みを返すと、さっそくシチューの中にさじを突っ込む。


 メイレンと同じふわふわの亜麻色の髪、その髪と同じ色のふかふかの毛に覆われた長いうさぎの耳が、頭のてっぺんから両側に垂れているモーナの頭を撫でながら、フラフィーは笑った。


「たくさん食って、大きくなれよ!」

「うん!」


 よく煮えて柔らかくなったカブを、熱かったのだろう、目を白黒させながらはふはふと頬張る愛娘に、フラフィーは笑いながらコップの水をすすめる。

 モーナはコップを両手で抱えるようにすると、その水を飲み干してようやく落ち着いたようだった。


「母ちゃんのメシは美味いから慌てるのは分かるけどな、もう少し落ち着いて食え」

「あなたの食べる様子を見ていたら、この子が落ち着いて食べるなんて、とてもできないですよ」

「そうか?」

「自覚がないのが困りものね」


 メイレンの言葉に、フラフィーが毛のない頭をかいた。

 そして、そんな自分たちを尻目に次々とシチューをおかわりしていく父と弟を見たフラフィーは、慌てて自分もかき込み始める。


「落ち着いて食ってたら、オレの分がなくなっちまうぜ!」


 そんな父親に負けまいとするようにモーナも急いでさじを動かしはじめ、そんな娘と夫を見比べながら、メイレンは苦笑いをして、自分も席に着いた。


 アイネが言ったような肉は、シチューの中にはほとんど無い。

 雪に覆われた冬のバーシット山で、肉は貴重だ。先日、ふもとの街に降りたときに買ってきた塩漬け肉を細かく刻んで、風味だけはなんとか入れた、程度だ。

 カブや菜野菜は雪の下から掘り出せばいいが、肉はなかなか手に入らない。

 さらに言うと、街ならば、お金さえ出せば手に入る肉だが、山では獣を狩らねば手に入らない。


 モーナの皿を見ながら、いつだったか、雪の下のカブの葉をかじっていたウサギの姿を思い出す。

 ──あれを獲ることができたら。


 娘の向こう隣で、アイネと奪い合うようにシチューをおかわりしている夫を見ながら、メイレンはふと考えていた。




 三つの月──最も大きな青い月、中間の銀の月、そして小さな赤い月が、それぞれの中天に差し掛かる夜は、獣人族ベスティリングにとって特別な意味を持つ。

 藍月らんげつの夜──それは、愛を深める夜。

 その夜が近づいてくると、獣人族ベスティリングの女性は、どうしても落ち着かなくなる。数日前から、体が火照り、疼くようになる。


 その夜を明後日に控えて、メイレンは夫に愛を求めていた。


 普段は繊細さのかけらも感じさせないフラフィーだが、夜だけは、時に壊れ物を扱うように優しく、時に突き壊さんばかりの勢いで、メイレンを翻弄する。初めて結ばれた夜は豪快な勢いだけだったはずなのに、その技術は一体どこで身に着けたのかと聞いたことがある。


『昔、街に降りたときによ。親父に娼館に放り込まれてな。そこでお袋より年上くらいの女に、「女の扱い方」ってやつを一から十まで教えてもらった』


 義父によって娼館に放り込まれ、そこの娼婦に教えてもらったというなら仕方がない──メイレンは苦笑いをしながら、その話を聞いた。


 メイレンにとって、フラフィーは二人目の夫だ。モーナはぜんの娘だが、フラフィーは『惚れた女の娘ならオレの娘だ』と言い切り、可愛がっている。

 結婚してから身を持ち崩したぜんと、断腸の思いで縁を切ったというのに、メイレンはずるずると関係を続けていた。そんなぜんから自分を奪い、さらうように山に連れてきてくれたフラフィー。


 そんな夫に対し、メイレンは深く感謝しているし、娘を、そして自分を可愛がってくれるフラフィーに、一生添い遂げたいと思っている。

 できることなら彼の仔を産みたいとも思っているが、すでに彼女は二十四歳。その望みは、おそらく叶わないだろうと、彼女は思っている。


 なぜなら、獣人族ベスティリングの女性は、二十歳を過ぎると極端に子供ができにくくなると言われているからだ。実際、二十歳を過ぎて仔を成す女性は、非常に少ないという。


「おめぇの耳は、ホントに可愛いな。しっぽも、いつもふわふわだ」


 ハンマーを振るってばかりの無骨な指が、耳をそっと撫でてゆく感触に、メイレンの背筋がぞくぞくし、下腹部が熱くなる。


 藍月らんげつの夜、どうしようもなく体が火照って求めてしまう自分、そのたびにフラフィーは何度も愛してくれる。だからこそ、その愛に応えたい──メイレンは、必死だった。

 子作りには球根状の強壮野菜クノーブがいいと聞けばそれを買い求め、肉がいいと聞けば肉を買い求め、体を温めればよいと聞けば明々と燃える暖炉の前で営みを求め……そして何度、嘆息してきたことだろう。


「……子供はいずれできるさ。オレたちにはモーナだっている。焦るこたぁねぇ」


 その優しい言葉に、また胸がいっぱいになる。

 ああ、無骨で不器用なその優しい夫のために、夫の仔が欲しいのだ。


 髪を、耳を撫でながら腕に力を込めて強く抱きしめてきた夫に、その愛を受け取る瞬間が近いことを感じながら、メイレンは脚を、彼の腰に絡める。


 神様、どうか……どうか今度こそ、夫の仔を身籠りますように……!




「……あそこです。見えますか?」

「……ああ、いた。分かった。すげぇな、その耳。やっぱりメイレン、おめぇは最高の女だぜ」


 メイレンが両手で耳を持ち、普段は垂れている耳を立てている。

 雪に覆われた畑の奥で、ノウサギが雪の下のカブをかじっている。

 メイレンの鋭敏な聴覚が、その足音、葉やカブをかじる音を捉えたのだ。


「あの奥に続く足跡は分かります?」

「……いや、分からねぇ。だが、あの奥から来てるってことだな?」

「ええ。罠を仕掛けるなら、あのあたりに」


 アイネに「肉が食いたいか?」と聞いたフラフィーは、「食いたい!」という言質を取って、罠を作らせることに成功した。

 試行錯誤の末に完成した罠は、踏んだときにバネの力で挟み込むものと、跳ね上げ式の首くくり罠の二種類が準備できている。


 罠の案そのものは、「……たしか、この辺りに、タキイから聞いたウサギ獲り用の罠があったはずだ」と、親方のジルンディールが毎日つけていた日記の中から拝借。

 親方の雑な挿絵から、ああでもないこうでもないと議論を交わして作り上げた。肉を食いたいアイネの一心は、抽象的な挿絵に具体的な像への天啓ひらめきを与え、翌日には罠が出来上がった。


「じゃあ、今日のところは見逃して、帰ったあとで罠を仕掛けるってことだな」

「私たちの足跡があると警戒して、回り道をするかもしれません。罠の前に餌を置いて釣りましょう」


 肉が食いたいのはアイネばかりではない。

 夫に精を付け、今度こそと願うメイレンも、ウサギの肉を求めていた。




「肉! 肉をくれ姉さん!」

「わあい、お肉! お肉!」


 アイネも、そして愛娘モーナも、テーブルにやってきた鍋をのぞき込みながら歓声を上げるのを見て、メイレンは微笑んだ。


 思いのほか上手くいった罠作戦。獲れたノウサギはなかなかの大物で、フラフィーをして一抱えもあるものだった。上等な毛皮も手に入る。毛皮にするのは大変だが、親方はその心得があるとのことなので、心強い。


 相変わらずフラフィーのげんこつを食らって沈黙するアイネ。だが、メイレンは微笑みながら、大きめの肉の塊を取り分けてやる。

 なにせこのウサギを得ることができたのは、アイネの罠あってのことだからだ。大物ゆえに解体は大変だったが、それは得られるものも多かったということだ。


「また罠を仕掛けて、肉を食おうぜ!」

「兄貴、ウサギどもだってバカじゃねえよ。一度こういうことがあったんだから、しばらくは警戒して、来ねえって」

「じゃあ、シカなんかどうだ!」


 わいわいと盛り上がる夫たちを見ながら、メイレンは夫の皿に、多めにシチューを盛りつける。もちろん、藍月の夜たる今夜のために、たっぷりと肉を入れて。


 ウサギは、繁殖の象徴だ。今日仕留めたウサギから力をもらって、今夜こそ、愛する人の仔を授かることができれば。


 今夜も戦場の食卓を眺めながら、メイレンはまだ見ぬ新たな家族に、想いを馳せていた。

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