第604話:恐ろしい男
「……君に何が分かるというのかね?」
斜陽が差し込む部屋は相変わらず豪華で、牢とはとても呼べそうにない。その中央にある椅子に腰かけながら、ゲシュツァー氏は薄い笑みを浮かべた。
だが、いろいろと心労が重なっているのだろう、以前よりもやつれて見えた。
「私はね、ずっとあの事業の発展に尽くしてきたのだよ。それがどうだ、このありさまだ……!」
以前はまだ、多少やつれたとはいえ理性的だったゲシュツァー氏だったが、今日の彼はどこか自暴自棄のように見える。
「自暴自棄? ほう、君はなかなか、面白いことを言うじゃないか。君が仕掛けてきたのだろうに、今回の件は」
「そうかもしれないが、いずれにしてもあんなやり方、そう長くは続かなかったように思うんだけどな」
「三十年だぞ、三十年! 父の遺した負の遺産を、ここまで育て上げてきたのは私なのだ!」
ゲシュツァー氏はテーブルを叩いた。
以前までの彼が、決して見せなかった激しい感情。確かに彼には、余裕がなくなっているらしい。
「私の父の放漫な経営で、何もかもが傾いていた! 世間体を気にして孤児院なんぞ開き、事業全体の収益を、あの建物に費やしてしまった!」
歯を食いしばるようにして吐き捨てたゲシュツァー氏は、もはやいらだちを隠そうともしない。
「私だって、
「だからといってあんな、ほとんど無休かつ無給で働かせるなんて、いいわけがないだろ」
「知ったふうなことを!」
「……だが、それももう、おしまいだ。私もすぐ釈放されるとはいえ、事業は停止されている。しばらくは何もできまい」
そう言ってゲシュツァー氏は肩をすくめた。
「すべて、君が私を追い詰めた結果だ。三十年の積み上げが、君という存在のせいで全て崩壊してしまった。恐ろしい男だよ、君は」
それを言うなら、子供たちを家畜か何かのように育て、売り出し、売れ残りは自分の工場で利用し続けてきたゲシュツァー氏こそ、恐ろしい男ではないだろうか。
『教育です』──そう言い切った彼は、孤児院の子供たちを確かになんとかしようとしたのかもしれないが、それはあくまでも「家畜への愛」のようなものではなかったか。
「家畜……。君にはそう見えたのだね。誰かが手を差し伸べねば死んでいた子供たちを救ったのは誰か、頭を冷やして考えてみればいい。そして我が救児院が閉鎖されたあと、収容していた子供たちがどうなるかをね」
「閉鎖? やめるのか?」
「やめるもなにも、貴様がそのように仕向けたのだろうが」
ゲシュツァー氏は、腕を広げて冷笑を浮かべてみせる。
「そうそう、君の背後にはナリクァン商会があったね? 私の積み上げてきた事業のほとんどは、救児院のような儲けの出ないもの以外は、すぐに吸収されるのだろう。かの女狐はますます肥え太り、君は素晴らしい成果を手にして、商会内でさらに地位を上げるのだろうな」
広げた両手を握りテーブルに叩きつけ、そして高らかに笑ってみせた。
「君の望み通りだ! さぞや満足だろう!」
「……また勘違いしているみたいだけどな、俺はあの商会とは無縁だぞ? 今回だって、俺は商会の力を使っているわけじゃない。あくまで俺の個人的な行動だ」
「何を馬鹿なことを。冒険者や巡回衛士、ナリクァン商会の私兵まで動員しておきながら個人的な行動? ありえん!」
うん、言われてみれば確かにそう見えるかもしれない。でも、俺は今回、本当に、ナリクァン商会というか、ナリクァン夫人には「機会をうかがう」以外には頼っていないんだ。
瀧井さんは、俺の個人的な関係から。
大工のみんなはマレットさんから。
劣悪な労働環境の証拠は門衛騎士のフロインドから。
そして、
……ということを説明したら、ゲシュツァー氏は、かくんと顎を落とした。
「き、貴族を動かした、だと……? 馬鹿な……そんなことが……!」
「あれ? あんた、俺がフェクトール……様とつながりがあるって、知ってたんじゃないのか?」
思わず呼び捨てにしかけて、慌てて「様」を付けたが、ゲシュツァー氏にとってはそれどころじゃなかったらしい。
「ば、馬鹿な! 出自も分からぬような人間に、貴族が力を貸すだと⁉」
「まあ、俺もあいつも、同レベルの『獣人娘ラブ勢』だから」
「ふ、ふ、ふざけるなっ!」
茶化してみたら、ものすごい勢いで机をぶん殴った。
「私がこの三十年、どれほど苦労してきたと思っている! どれほど献金し、出たくもない夜会に出て、作りたくもない縁に腐心してきたと思っているのだ! 貴様、やはり他国の密偵か何かだろう!」
「共に心を滾らせる何かを共有できる奴は、庶民から天皇までみな同胞だ」
俺に漫画やアニメのいろんなどうでもいい(当時は)知識を伝授した、同期の島津の言葉だ。妙に心にひっかかる言葉だった。
まさかそれを現実で使うことになるとは夢にも思わなかった。
……ゲシュツァー氏が、ついに手首を痛める原因の一言になったけどな。
「……それで、結局何をしに来たのだ貴様は」
右の手首に膏薬を貼り、包帯でぐるぐる巻きにしているゲシュツァー氏が、顔をしかめながらつぶやいた。牢番の兵もご苦労さんなことだ。
「あらかじめ言っておくが、これはナリクァン夫人に話を通してある」
俺の言葉に、彼はさらに顔を歪めた。
今日の俺の訪問が昼過ぎになったのは、それが理由だ。
この話は、リファルの言葉、フェルミの思い、そしてリトリィの賛意を受けて、俺が考えたこと。
「ゲシュツァーさん。俺が孤児を拾ったり嫁さんを二度も寝取られかけたりしてることからだいたいわかると思うけど、俺は八方美人でかっこつけで自分からトラブルに首を突っ込んでは自爆するヘタレ男だ」
「……まさか、それが誰かの密命を受けてではなく、素の性情だったとは思わなかった。本当に信じられん男だ。今でも信じがたい」
「……俺が密偵だと思った理由が、『泳げるから』だったっけ?」
この世界の人びとは、海の船乗りですら、ほとんどは泳ぐということをしないのだと聞いた時は驚いたものだ。泳ぎを学ぶのは、海で素潜りで魚介を獲る漁師か、あるいは一部の特殊な軍人くらいらしい。
だから普通の人は水を恐れる。なのに俺は全く躊躇せず水に飛び込み、水に潜って子供たちを助け出した。
そして、翻訳首輪を通した言葉と二重で聞こえてくる、俺の本来の言葉──まったく聞き慣れない不思議な言葉。
で、その二つが組み合わさって、出自不明の流れ者=どこかの地方からきた工作員、などという発想に至ったのだとか。いや、飛躍しすぎじゃないか?
「飛躍しすぎ、だと?」
ゲシュツァー氏は肩眉を上げ、大真面目に続けた。
「貴様のことをひとを使って調べさせたら、わけの分からない問題ばかりを起こし、そのたびに何かの組織を破壊している。おまけに、接触してきたと思ったら今度はまっすぐ我が救児院にやって来た。次は私が狙いか、と勘繰るのも当然だろう」
「いや、破壊って」
「貴様は実に恐ろしい男だ。調べただけでも片手に余る。獣人奴隷の隊商を殲滅、それに関わる地下組織を粉砕、大工ギルドのギルド長を更迭、フェクトール公の屋敷を大工どもを引きつれて破壊。木造の家やレンガ造りの家を素手で破壊したとも聞いているぞ。さらに──」
──もうやめて、俺のライフはゼロよ……!
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