第603話:やってみるしかない(2/2)

「……フェルミさんって、その……不思議な考え方をする人なんですね」


 マイセルが、暖炉の前のソファーで丸まっているチビ三人の毛布を掛け直しながら、ぽつりと言った。


「私なら絶対に許せません。女の子を息抜きや報酬がわりに慰み者に、だなんて。神の罰を受けて、あの人のお屋敷も工房も、なにもかも燃えてしまえばいいんです!」


 フェルミがしてくれた話を、帰宅してから妻二人に話してからずっと、マイセルはぷりぷり怒っている。

 まあ、そうだろうな。女の子なら普通、そう言うと思う。

 リトリィは、お茶を淹れたポットを持ってきて、マイセルが並べたカップにお茶を注ぎながら答えた。


「……わたしも孤児でしたし、姉たちがからだを売っていましたから、食べられるだけでしあわせ、という気持ちは分かります。フェルミさんのようには思っていませんでしたけれど、でも、言われれば、そうかもしれないって、思ってしまいますね」

「でも、でも……! お姉さまは、その、……男のひとにからだを好きにされる役を押し付けられて、平気でいられるんですか?」

「もちろん、いやですよ?」


 俺のねぎらいの言葉にうなずきながら、リトリィが複雑そうに微笑む。


「でも、すくなくとも、家事以外のおしごとを教えてもらえるわけでしょう? たとえどこに引き取ってもらえなくても、ちゃんとお食事も、寝床もあたえられて、日々を暮らすには不安のないようにはしてくださるんですから……」

「わ、私は嫌ですよ! そんな、好きでもない人となんて……!」

「マイセルちゃん、その、好きでもないひとにからだをまかせて、日々を暮らす女のひとだっているんですよ? たとえそういうことが好きでなくても、食べて生きるために」


 ストリートチルドレンとして、幼いころ、純潔以外の手段で男性の欲望に接してきたリトリィに言われると、さすがにマイセルもそれ以上言えなかったようだ。


「じゃあ、リトリィはどう考えてるんだ、今回のことを」

「わたしは……」


 俺の問いに、彼女は一旦言葉を切って考え込んだあと、また、困ったような微笑みを浮かべた。


「……マイセルちゃんの言うとおり、リノちゃんを傷つけたあのかたたちを、ゆるしたくはありません。でも……フェルミさんのお考えを聞いて、それとこれとは、ちがうような気がしてきてしまったんです」

「違うっていうのは?」

「だんなさまは、ほかの殿方のことをわたしのことを、どうして受け入れてくださったんですか?」


 唐突にそんなことを問われて、一瞬、言葉を失う。

 彼女の「他の男を知っている・・・・・」とは、間違いなく、「性的に」という意味だろう。彼女が、生きるためにしてきたこと。


 そんなもの、受け入れて当然だろう。俺はこの世界に落っこちてきてから、ずっと彼女の愛に支えられてきた。何度も助けられた。彼女と巡り会えたから、俺は一人の人間として、男性として、少しは自信が持てるようになったんだ。


 彼女の過去がなんだというのだ。むしろ、俺に出会って、そして俺に愛を見出してくれた、それだけでも感謝しかないというのに。


「そういってくださるって、信じていました」


 リトリィはそう言って微笑むと、俺の左隣──彼女の定位置に座る。


「フェルミさんのお話を聞いて、おなじだって思ったんです。マイセルちゃんが言いたいこともよく分かりますけど、『だからそのひとのぜんぶをゆるさない』と言ってしまったら、きっとわたしは、だんなさまに愛していただくことなんてできない女ですから」


 リトリィの言葉に、マイセルが目を丸くして慌て始めた。両手をぶんぶん振って「そんなこと、あるわけないです!」と訴える。


「お姉さまがダメだなんて話になっちゃったら、お姉さまっていう婚約者がいるって分かってたのに、無理をお願いして結婚した私なんて、もっとダメで……!」

「ふふ、だからですよ」


 リトリィはにっこりとマイセルに笑いかけると、俺を見上げた。


ゆるせないところがある、だからすべて許さない……それでは、うまくいかないことってあると思うんです。だってだんなさまは、フェクトールさまをおゆるしになったじゃないですか」

「それは……」


 俺は首を振った。

 それはリトリィ自身が、クスリを盛られても必死に耐えて、最後まで奴に体の関係を許さなかったからだ。フェクトールの奴も、リトリィにクスリを盛ったとはいえ、彼女が自分から求めてくるまで待つつもりだったらしいから、最終的にはリトリィの貞節は守られた。


 けれどゲシュツァーは違う。

 自分は手を出していないだろうが、部下への報酬代わりに少女たちを与えていた。孤児院上がりの従業員たちには、食事と寝床を与える代わりに賃金はほとんど与えず、外出の機会も与えなかった。

 子供たちや従業員への虐待でしかないだろう。そんなことが許されるはずがない。


「ムラタさんの言う通りです。そりゃ、少しはいいところもあったかもしれませんけど、でも、それで赤ちゃんを産まされた女の子だっているんでしょう? そんなの絶対、ゆるせません」


 俺の言葉に同意し、うなずくマイセル。

 だが、リトリィは少し考える様子を見せてから、真剣な顔で聞いてきた。


「ではゲシュツァーさまが、女の子たちにちゃんと謝って、できた赤ちゃんのめんどうをきちんとみることができるお部屋を用意して、そして働く人たちにおかねを払って、外にお買い物やお散歩にでかけたりすることをみとめたら、だんなさまはゲシュツァーさまをおゆるしになるのですね?」

「そりゃ……」


 そうだけど、と続けそうになって、俺は慌てて言葉を飲み込む。

 いいや、駄目だろう。工場の地下に隠されていた人たちの中には、三十代くらいの人もいた。つまり、最低でも十五年くらいは、孤児院の子供をあの工場に送り込み続けていたことになる。

 そんなことが許されていいわけがない。


「でも、たすけだされたはずのひとたちが、ゲシュツァーさまをすぐに許すようにって、声をあげてらっしゃるのでしょう?」

「そ、それは……もう、それ以外に食っていく方法を知らないからじゃないのか?」

「でしたら」


 リトリィは、ふわりと微笑んだ。


「そのかたたちが、だんなさまの考える幸せな生活ができるように、ゲシュツァーさまにお話をして、それをのんでもらえばいいんです」




「俺の考える、幸せ……ね」


 窓から見上げる夜空に、月は見えない。

 ただ、夜明けが近いことを示す浅い角度で、青白い光が明かり取りの窓から差し込んできている。

 リトリィもマイセルも眠っている。俺だけふと、目が覚めたのだ。


『あなたはいつも、だれかのしあわせばかりかんがえていらっしゃるかたですから。あなたがかんがえることなら、きっとみんな、しあわせになれると思うんです』


 俺の腰の上でお腹をなでながら、リトリィはそう言った。俺は、そんな大層な人間じゃない──そう答えると、リトリィは微笑みながら首を振った。


『いいえ。あなたは、わたしたちみんなをしあわせにしようってがんばってくれています。わたしは、そんなあなたをお慕いしているんです。わたしはあなたを信じています。ずっとずっと、だれよりも、なによりも、あなたを』


 そんなことを言われたら、もう、上手くいくかどうかはともかくやってみるしかないだろう。俺のことを無邪気に信じてくれているリトリィに応えずに、どうするっていうんだ。


 ──などともっともらしく堅苦しいことについて考えを巡らせてみたが、一向に収まる気配がない。

 何がって、……目覚めのナニのことだ。


「……あなた、お目覚めですか?」


 ほらみろ。リトリィが目を覚ましちゃったよ。

 おまけに、俺はいつもリトリィを背後から横抱きにして、彼女の中に挿入しいれたまま寝る習慣なんだが、起きると自動的にち上がる愚息を可愛がってくれる彼女が、いつも通りに腰を動かし始めちゃったじゃないか。


「ふふ、いつもよりちょっぴり早い目覚めですけれど、仕込みの時間があるということですから、いつもより朝餉あさげを奮発いたします。楽しみにしていてくださいね?」

「い、いや、夜が明けるまで寝直そう。無理に……」

「今日はあなたが、昨夜お話し合ったことをがんばってくださる日ですよね? わたしも腕によりをかけて、いつもより美味しい朝餉あさげを作ってみせます。ですから、そのぶん──」


 そう言ってリトリィは微笑むと、その大きなお尻を押し付けふかふかのしっぽを絡めてきて、そしてきゅっと、胎内の愚息を締め付けてみせる。


「──朝のおなさけ、いっぱい、いっぱいくださいね?」

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