第601話:ひとの価値と尊厳と

「ムラタ。お前、お前が拾ったチビどもといい、孤児院の連中といい、なんで子供のことになるとムキになるんだ? 言っちゃなんだが、他人だろ?」

「いつも言ってるけど、俺にだってもうすぐ子供が生まれるんだ。他人事とは思えないんだよ」

「そこが分からねえ。自分の子供ならともかく」


 首をひねりながらそう言ったリファルは、「他人のことばっかり構ってると、そのうち肝心な時に足元をすくわれるぞ」と笑う。

 彼の言いたいことは分かる。リファルだって、悪意で言ってるわけじゃない。今回のことだって、きっかけは俺が首を突っ込んだことだった。


『あなたという人間が私の前に現れてしまった、それが神の采配だったのでしょうね』


 数日前、俺に面会を求めたゲシュツァー氏は、自嘲気味に笑った。自信と誇りに満ちた事業家の姿は、そこにはなかった。


 俺は自分にできる仕事をこつこつと続けている。今だって、「幸せの鐘塔」の仕事を終えたあと、リファルに付き合って孤児院「恩寵おんちょうの家」に顔を出し、そしていま、家に帰る途中だ。


『私はね、愛ゆえにあの事業を立ち上げたのですよ。あなたには理解できないでしょうが、あなたが獣人娘を愛するようにね。もっとも私も、ケダモノを愛するあなたを理解することができないでいますが』


 愛ゆえにあの事業を立ち上げた──そう、ゲシュツァー氏も、彼なりの理想に燃えて事業に打ち込んでいた時があったのだ。


 なぜ、こうなってしまったのか。

 俺との違いはどこにあったのか。



  ▲ △ ▲ △ ▲



「やあ、おひさしぶり……というほどでもないですがね」


 ゲシュツァー氏は、取り調べを受けている人間には見えないほど、ゆったりとしたソファーに腰掛けていた。身なりも、豪華とは言わないが上等なものだというのが分かる。


 彼の扱いは、多額の保証金によるものらしい。そういえば木村設計事務所の同期だった、漫画・アニメオタクの島津が言っていた気がする。

 昔のヨーロッパでは、戦争で捕虜になったら、多額の身代金を支払うと約束することで、客人待遇をしてもらえたらしい。

 つまりゲシュツァー氏の今の待遇のよさは、そういうことなんだろう。


 しかし、彼の笑みはどこか虚ろだった。若干、やつれているようにも見える。

 工場や孤児院の経営を「事業」と呼び、誇らしげにしていた以前の彼とはずいぶん違う印象を受けた。


「いや、まさかこのようなことになるとは。君という人間に出会ったときには、予想もしていませんでしたよ」

「……俺も、あんたが『事業』と呼んでいたことの実態がああだったなんて、あの時はかけらも想像していなかった。ひとの尊厳を踏みにじることができるひとだったなんてね」


 俺が失望を剥き出しにすると、彼は肩をすくめてみせた。


「尊厳──ですか。これは見解の相違でしょうね」


 見解の相違──そんな言葉で簡単に済ませてしまえるようなことじゃなかったはずなのに。価値観の相違に、俺はため息をつく。


「……あのときは、リノたちのいい友達ができたと思ったんだがな。びしょぬれになった俺やリノだけじゃなくて、俺たち家族全員に上等な服を貸し出してくれたりもした」


 あの美しいドレスに身を包んだリトリィたちの姿が、ありありと浮かんでくる。


「俺は本当に、あんたのことを素晴らしい紳士だと思って感心したんだ。……今思えば、どうして俺たちは出会ってしまったんだろうって思うよ」


 俺の言葉に、彼は目を床に向けた。

 小さくため息をつき、そして、苦笑いをしてみせる。


「本当にその通りだ。全てはあなたという人間が私の前に現れたこと、それが神の采配だったのでしょうね」



  ▼ ▽ ▼ ▽ ▼



「しかし、信じられねぇな。あのクソ野郎のことをかばうヤツらが多かったって話なんだろ? オレなら、あることないこと言って、確実に檻の中行きにしてやってただろうにな」


 そうだ。リファルの言う通り、ゲシュツァー氏は結局、大した罰もなく釈放されるだろうということだった。


 新聞でも、こういうときはおどろおどろしい飛ばし記事があれこれ紙面を飾りそうなものだが、それもほとんどない。

 これまでに多額の献金をしてきたことが効いているのか、などと邪推したくもなるくらいに。


 だが、それは違った。

 確かに、労働者の環境は良くなかった。

 特に孤児院から工場に送られた子供たちについては、衣食住が保障されているだけで、賃金は無いに等しかったし、外に出る自由もなかった。


 けれど、それでも、工場内の孤児院出身者たちの中でゲシュツァー氏に対して憎悪を向ける者が、それほど多くなかったのだ。

 また新聞でも、確かに労働者の待遇の改善が必要だと書き立てる記事は多かったが、だからゲシュツァー氏は悪である、と断ずる記事はほとんどなかった。


 何より驚いたのは、一時的に操業を停止した工場の前で叫ぶ従業員たちの姿があったということだった。


「我々にパンを、ゲシュツァー氏に解放を!」


 そう叫びながら拳を振り上げていたのだという。


 現代の日本人は、なんだかんだ言いながら自由を重視している。高い高いと言いながらスマートフォンを手放さないなど、その象徴だったかもしれない。


 けれどこの街の人は違った。

 たとえ外出する自由がなかったとしても、日々を生きる糧を得ることができ、雨露をしのぐ温かな寝床が提供されるのなら、その施しには十分な価値があると感じ、それでよしとしてしまうらしいのだ。


「当たり前だろ? まずは食えなきゃ生きていけねぇし、住処すみかの問題も大事なことなんだからよ。それにお前、朝から温かいモノ食ってるんだろ? 飯と住処すみかに人一倍こだわってるヤツが何言ってんだ」


 そう言われてしまうと反論できない。一般的な家庭では、朝食は夕食の残りで、冷たいのが当たり前なのだそうだ。

 でも日本で御飯と味噌汁が当たり前だった俺にとって、温かい食事は譲れない最低ラインなんだ。だからリトリィは、いつも温かい食事を用意してくれる。


『それがだんなさまのおのぞみなのですから、わたしはだんなさまのために、あたたかいお食事をこしらえます。それが、わたしのしあわせなんです』


 朝、火を起こすところから始まる彼女の大変さを理解して、温かい食事を諦めようとしたとき、彼女が言った言葉だ。リトリィの深い愛を感じざるを得ない。


 そういえば、俺がこの世界に来て最初に建てた小屋を設計するときも、電灯のないこの世界だからこそ、自然光を取り入れられる窓の配置には気を使った。可能な限り簡素で、かつ使い勝手のいい集会所というコンセプトで。

 それが今は俺の家になっているんだから、いい加減な仕事をしなくて本当によかったと思う。家を建てるなら、やはり住み心地も譲れない。


 家といえば、火災に遭った集合住宅の再建を担当したとき、窓は大きく広げ、二階以降の部屋には洗濯物の乾燥スペースとしてベランダを設置するなどしたっけ。


 元の家は古い区画ゆえに、元の家は、戦争時に耐え得るように壁は厚く窓は小さく、という設計だった。昼間のうちから既に暗く、洗濯物も乾きにくい家だった。


 それを、再建に当たって「元のままでいい」というオーナーを説得して、変えたんだ。住処すみかは大事だから、少しでも環境を良くすれば、きっと顧客は周りより多少家賃が高くても住みよい家を選ぶはずだと。


 食べること、寝床を確保すること。

 やっぱり、生きること自体が日本よりずっと大変なこの世界で、その二つが確保されるっていうのは、確かに重要な要素なのかもしれない。


 そう考えると、それらを確実に提供してくれるゲシュツァー氏のやり方は、孤児院出身者たちにはそう悪いように思えなかったのかもしれない。


 風呂もなく、衛生的にはあまり良いとは言えない環境だったが、それは「恩寵おんちょうの家」も大差なかった。この世界、この街を基準にすれば、ベストではなかっただろうが、悪い、とまでは言えない環境だったのかもしれない。


 ただ、ゲシュツァー氏が指示・命令してきたことの中で、唯一これだけは許されない、とされたのが、少女を性的な「報酬」として男性労働者にあてがっていたことだ。この点をもって、彼は収監されている。


 だが、実はそれにしたって、「正式に登録されている売春婦を活用すべし」という意味で問題になっただけで、「少女を性的に搾取した」こと自体には、何のお咎めもなかった。孤児だった少女たちの純潔には、大した価値を見出されなかったのだ。


 それを知ったとき、ひとの価値とその尊厳の「価値の低さ」に、俺は愕然とした。

 人権というものの発想が、まだ未熟なんだ、この世界は。

 そんな世界で、俺は今後も生きていかなければならない。

 妻を、生まれてくる子供たちを、守らねばならないのだ。


「だからムラタ、そう深刻そうな顔すんなって。今日も一日よく働いて、稼いだ。そのカネで家族に美味いもんを食わせる。オレたちはそうやって暮らしていきゃいいんだよ。もっと肩の力を抜けって」


 背中をばしばし叩きながら笑ったリファルの背中を、俺も叩き返す。

 そうだ、悩んでばかりもいられない。

 まずは家族を守らなければ。

 俺にできることなんて、限られているのだから。


「おいムラタ! あの屋台を見ろよ、ウナギのから揚げみたいだぜ? なかなかうまそうだな、二人で買って、半分ずつ分けねえか?」


 リファルに誘われて、俺は苦笑する。

 家族に美味いものを食わせてやるのも、一家の主の大事な仕事。

 深刻な顔で家族に対面するよりも、よっぽど価値の高い「仕事」だろう。


 俺は財布を取り出すと、リファルと共に屋台に向かった。リファルとシェアするためじゃない、家族のために。

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