第600話:愛ゆえに(3)
「あなたは、衝突を呼び起こしてこの街の弱体化を狙う、間者でしょう。推測に憶測を重ねるならば、おそらくはハイタティ森林伯──キドカーラ・ポンパ卿あたりの
目が点になったのを自覚した。
は? なに?
俺がスパイで、聞いたこともない貴族からこの街に派遣された?
周りを見ると、全員がハニワ顔になってる。
瀧井さんまでぽかんとした顔になってるよ。これはある意味、貴重なショットだ。
一時の衝撃が薄れてくると、今度は変な笑いが込み上げてきた。
「ふっ、笑うしかない、というところですか? ですが私は、あなたを評価してもいるのですよ」
「……評価?」
「ええ。あなたが誰にも悟られず──私があなたに興味を持たなければ、今もその活動を続けていたであろう、この街の分断工作を進めてきた手際をね?」
こいつは本当に、何を言っているんだ?
本気で、俺を破壊工作員か何かだと思い込んでいる?
それとも、俺を悪の首領にでも仕立て上げてこちらの動揺を誘い、立場の逆転を狙うつもりなのか?
「何を根拠に、そんなくだらないことを。駆け引きに応じるつもりはない。リノを返し、孤児院の子供たちを解放しろ。こちらの要求は、それ以外には無い」
「私はあくまでも実業家、これは取引ですよ。あなたの手腕を高く買いたいと申し上げているのですが……」
「ムラタァ! いつまでもこんな奴に構ってる必要なんかないんだよォ!」
アムティが怒鳴る。「やるのかい⁉ やんないのかい⁉ アタシはグダグダすんのが嫌いなんだよォ!」
「僕もアムと同意見です。それともムラタ君。君は本当に、森林伯とやらの回し者なんですか?」
「そんなわけがあるか! だいたいなんだ、森林伯なんてド田舎そうな称号は!」
思わず叫ぶと、瀧井さんが小さく笑った。
「だったら、遠慮はいらんな」
直後──耳をつんざく銃声と同時に、用心棒の一人が手にしていたクロスボウが弾かれる!
「ヒッ……⁉」
間髪入れず次弾を装填した瀧井さん。チーン、という
それを合図にしたかのように、用心棒たちはパニックに陥った。
「ひ、ひひ、火の法術か⁉ こ、この街で⁉」
「あ、あのジジィ、なんで法術なんて使えるんだ⁉」
「この前来た軍隊だって、使えなかったってのに!」
手にしたクロスボウを放り出し、数人が逃げてゆく。
逃げなかった男が矢を放とうとしたが、一足早く滑り込むように懐に潜り込んだアムティが、クロスボウを天井に向けて蹴り上げた。矢はうなりを上げて、天井の板に突き刺さる。そこに、短剣を構えたヴェフタールが用心棒の腕を肩の下あたりにするりと滑り込ませた。
そのまま、引き抜いた短剣をゲシュツァーの喉元に短剣を突きつける。
悲鳴を上げ、刺されたところを押さえてしゃがみこんだ用心棒の、その横っ面をアムティが容赦なく蹴り飛ばす!
「わ、私を殺すのか……⁉ さ、先ほどまで、手も足も出ないありさまだった貴様らが、なぜ、こんな……!」
壁に押し付けられたゲシュツァーが口をパクパクさせているその喉に、さらにナイフを押し付けながら、ヴェフタールは朗らかに笑った。
「なに、殺しはしませんよ。冒険者が致死性の刃を向ける相手は、基本的には命の脅威となる輩ですからね。君たちなど、僕たちの時間稼ぎが終わればこんなものです」
「何言ってんだい、まったく。アタシが突撃しなきゃ、どうせアンタは動かなかったんだろォ?」
「僕は『矢払い』ですよ? 愛しの
「だからァ?」
「愛ゆえに動くのですよ、僕は」
そう言って笑ったヴェフタールは、ゲシュツァー氏の胸倉をつかみ上げる。
「というわけで、僕の愛しの子猫ちゃんを傷つけようとしたクソ野郎のあなたを、決して見逃したりはしません。安心してくださいね?」
「だんなさまっ!」
アムティが扉の鍵を叩き壊したところでドアを蹴破り部屋に突入すると、リノが飛びついてきた。
「だ、だんなさま……。ぼ、ボク、怖かった……! 怖かったよ……!」
俺にしがみついて泣きじゃくるリノだが、床には股間を押さえるようにして泡をふいて転がっている男が二人。リノに蹴り飛ばされたのだろう。そのたくましさに、苦笑いするしかない。
リノも、以前のように無暗に暴力に訴えるようなことはなくなっているはず。ということは、つまりこいつらは、俺がリノと連絡をとれなくなってからも、性懲りもなく
リノが殴られた瞬間を共有していたことを思い出し、急に腹が立ってきて、俺も二人の股間を蹴り飛ばす。
「やれやれ。まったく、お嬢ちゃんも災難だったな」
瀧井さんが微笑むと、リノは「だってボク、だんなさまのお役に立ちたかったんだもん!」と、俺の腹に顔を押し付けるようにしてしがみつく。
「リノ、この人たちはな? お前がとっ捕まったって聞いて、俺と一緒に助け出そうって覚悟を決めてくれた人たちなんだ。ちゃんとお礼を言いなさい」
俺の言葉にリノはしばらく俺の顔と皆の顔を何度も見比べていたが、そっと体を離すと、ぴょこんと頭を下げて礼を言った。
「偉いぞ。ちゃんとお礼が言える子は、みんなからもっともっと愛される子になれるからな?」
「……だんなさまも、リノのこと、もっともっと愛してくれるの?」
「もちろんだ」
そう言って頭をなでてやると、リノは俺から離れて「だんなさま、来てくれてありがとうございます!」と、やっぱりぴょこんと頭を下げた。
……ああ、なんて可愛らしいんだ!
改めて抱きしめ頬ずりしていると、リノが微笑みながら言った。
「えへへ……だんなさま、うれしいけど、おひげ、チクチクするの……」
多少のチクチクくらい我慢しろ、お前が捕まってから、どんなに心配したと思っているんだ。あえて頬ずりを続けていたら、視界の端に、やたらと悲しそうな顔をしているリトリィがいた。
……しまった! 「わたしもしてほしい」のすさまじいオーラを感じるよ!
リノを救出したことで、間違いなく誘拐の事実が成立したゲシュツァー氏は、その場で巡回衛士に無事引き渡された。
リノが「遠耳の耳飾り」を装着し直したことで通信が復活し、孤児院や他の工場の地下に押し込められていた人々も発見されたことが分かった。
孤児院の地下に押し込められていた少女たちは、主に水汲み、薪割り、洗濯など、それほど特殊な技能を必要としない、「最底辺」とされる仕事を割り当てられた少女たちだった。
その中でも比較的容姿の整っている少女には、用心棒などの男性職員に「奉仕」するという「仕事」も、当然のように割り当てられていた。そして、ヴァシィもこの中にいた。
本来は歌唱隊に割り当てられていたヴァシィだったが、俺たちが関わってしまったために、「危険人物と接触した準危険人物」扱いとなり、地下に放り込まれたのだという。もともと歌唱隊のなかでも実力は高くなかったらしく、歌唱隊所属であっても、男性職員への「奉仕活動」を割り当てられていた、悲惨な境遇だったらしい。
そして、ヴァシィが俺たちの勧めを断って孤児院に戻ることに執着していた原因。それが、彼女の胸に抱かれた赤ん坊だった。
彼女の子だった。
父親は、分からない。
虚ろな目で赤ん坊に乳を含ませながら、やつれた姿で救出された彼女を見たリヒテルのしおれ具合といったら、それはそれは哀れなものだったようだ。
そして、そうした少女が、何人もいた。
役に立たないと判断されたなかで、比較的容姿に恵まれた少女たちが慰み者にされていたのは、子供が生まれてもその子供を売ることができる──資産として活用する可能性が高くなるから、だったらしい。
子供を売る!
名目上は「養子を求めるひと」に、それまでにかかったミルク代や衣服などの「経費をいただく」という形だったが、どう考えてもそれは「子供が欲しいというひと」に赤ん坊を「売却」する行為としか、俺には思えなかった。
これは、労働力として子供を求める人間に対しても全く同じで、できること、能力の高さをアピールしたうえで、その技能を仕込むためにかけた「教育費」の名目で、相手から金を受け取っていた。
「どう考えても、養子縁組という名の完全な人身売買だったな」
俺はリファルと夕方の暗くなってきた道を歩きながら、ため息をついた。
「孤児院ってのは、親のない子供が大人になるまで保護する施設だろ? それが、あんな愛のない、奴隷市場みたいになっていたなんてさ……」
「でもよムラタ、前にも言ったけどな、住み込みの労働力が欲しいヤツと、温かい食事と温かな寝床が欲しい子供の思惑が組み合わさるなら、それは悪いことなのか?」
リファルが、小石を蹴り飛ばす。石は街路の石畳を転げていって、そして、曲がり角の向こうの暗がりに消えた。
「あのクソ野郎のやったこと、それが全部正しいとは言わねえぜ? でもよ、ある意味、仕事の斡旋と同じなんじゃねえのか? 仕事の仕方を教えて、そんでもって就職の世話をしてやるって意味ではさ」
「いや、自分のやりたいことじゃなくて、うまくできそうなことを割り当ててやらせて、それがうまくできないならあんな地下室に押し込めて、なんて……」
「考えてもみろよ」
リファルは、そう言ってまた、小石を蹴る。
「孤児院のガキどもはさ、一度、親から見捨てられた連中だ。お前、『恩寵の家』のクソガキどもを忘れたか? あそこのガキどもは、たしかに仕事を押し付けられちゃいなかった」
小石は、幾度か跳ねるうちに大きく曲がり、そして馬車の向こうに転げてゆく。
「でも、それだけだ。どいつもこいつも、聖句だけはいっちょ前に言えるみたいだったけどよ、自分の仲間が病気で死んでも、大したことねえような顔してさ。仕事だってまともにできなくて、だから要領のいいヤツが要領の悪いヤツの上前をはねるようなことをしていたんだぜ? お前のチビだって、もう少しで連中に寝取られるところだったんだぞ?」
「それは……」
答えようがなくて、奥歯をかみしめる。
「そんなヤツらが十六になる直前に孤児院から独立という名で放り出されて、まともに生きて行けたのか? それなら、手に業をつけさせて、少しでもマシなところに売り出してくれるゲス野郎のほうが、まだマシだったんじゃねえのか?」
「そ、それはいくらなんでも……!」
「ムラタ、気持ちは分かるぜ? でもよ、お前も三人のチビを拾ったけどさ、そいつらの将来のためにお前、メシをダシにして仕事をさせてるんだろ? それとなにが違うんだ?」
リファルに言われて、違うと言いたいのに、しかし反論ができない。
子供にとって、どちらが幸せになれるのだろう。
「……いや、やっぱりだめだ。リファル、お前も見ただろう、あの工場の人たちを」
工場の地下に押し込められていた人たち。
彼らは、大半がゲシュツァー氏の孤児院出身者だった。
なんのことはない、「養子」として売れることなく成人まで残った子供たちは、そのまま工場で働かされていたのだ。
『そんな……。わたし、ぜんぜん、しらなかった……』
リトリィもショックを受けていた。
自分たちは、少しでも夫の気を引けたらと、レース生地の安い端切れでおしゃれを楽しんでいた。
だがその裏で、孤児院出身者たちは、食事と寝床だけを確保されているだけでろくな賃金も与えられず、工場から外に出ることもできずに働かされていたのだ。
値段には意味がある──今さらそれを、思い知らされた気分だった。
安価だが精緻な美しいレース生地は、そうしたひとたちがノルマに追い立てられながら、ひと編みひと編み、編み上げたものだった。本来の労働契約ならば得られたはずの報酬を、己の尊厳を、踏みにじられながら。
「……リファル、お前の言いたいことも分かるけど、やっぱりゲシュツァー氏は間違っていた。出荷する『商品』への愛はあったかもしれないが、教え導く『子供』への愛があったかというと、そうは思えない。ひとを食い物にするような仕事のさせ方なんて、やっぱり正しいとは思えない」
「全部が正しいとは言ってねえだろ。だけどなムラタ、全部の子供に、なにかしらの
自分が勤めていた木村設計事務所を思い出す。
最後の──あの世界での『最期』の仕事となった
あれを仕上げたのは、確か深夜二時を過ぎていた。
我ながらブラックな仕事ぶりだったが、それでも充実はしていた。
自分の仕事が、ひとの人生に寄り添い、幸せを生み出すのだと信じていた。
もっと効率よくやれと所長にはよく言われていたけれど、自分なりの、顧客への愛、仕事への愛をもって頑張っていたつもりだ。
そうだ、俺は建築の仕事が好きだから、あんな働き方をして、どれだけ大変でも、やめたいとは思わなかったんだ。
「……やっぱりゲシュツァー氏のやり方は間違っている。少なくとも、働いてきた人たちが幸せそうじゃない現状に関しては……!」
そうだ。
孤児たちは、親の縁を失った悲しみを背負う子供たちだ。
リトリィ、ヒッグス、ニューとリノ、フェルミ……俺の身の回りのほとんどが、同じ境遇を生きてきた。
辛い目に遭ったぶん、幸せになれなきゃ、帳尻が合わないじゃないか!
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