第599話:愛ゆえに(2)

「それにしても、ここまで見立て通りだと逆に笑えてくるものです」


 ゲシュツァー氏の言葉の意味が分からず首をかしげると、彼は薄い笑みを浮かべた。


「やはりあなたは特級の危険人物でした。このようなざまになるとは、あなたと遭ったあの日の朝には、夢にも思いませんでしたよ」

「……俺が危険人物? 俺に言わせれば、あんたこそ特級の危険人物だ」

「はて、私が危険人物? 私が長年投資し続け、築いてきたものを、こうして一晩でぶち壊しに来たあなたと比べて、私が?」


 両手を広げて軽く首を振ってみせたゲシュツァー氏に、俺の後ろからリファルが叫ぶ。


「残念だったな! ムラタはなあ、蹴りの一発で家一軒をぶっ壊し、掌底の一発で集合住宅をぶっ壊し、指先ひとつで貴族の館をぶっ潰した、ギルド随一の奇跡のぶっ壊し屋なんだよ! てめぇのたくらみも派手にぶっ壊しに来たってわけだ!」


 いやリファル、お願いだからフレンドリーファイアは勘弁してくれ。

 ──だが、たくらみをぶっ潰しに来たという点だけは、その通りだ!


「なにせ明日は聖なる夜だ! こちとら気がかりを全部吹っ飛ばして、俺たちの未来につながる証を気持ちよく作りたいんでな! 今夜で片をつける!」


 俺の言葉に、ゲシュツァー氏は「明日が、聖なる夜……?」と首をかしげ、そしてふっと鼻で笑った。


「おやおや。ここへきてそんな軽口を叩く余裕がおありとは。恐れ入りましたな」


 ゲシュツァー氏はリファルを指差すと、喉の奥で押し殺すように笑う。


「君こそ、彼のことをまるで分かっていない。彼がどういう人間なのか、知りもせずについてきているというのが滑稽だよ。……いや、その正体を知る余地も与えてこなかった、彼の狡猾さに敬意を表するべきですかな?」

「正体……?」


 皆が一斉に俺の方を見る。


「……このヒョロガリが、なんだって?」──アムティが、ヴェフタールが、前を警戒しつつ目だけで。


「ムラタが、なんだってんだ?」──リファルが、いぶかしげに。

 

「正体、だと……?」──瀧井さんが、銃の引き金に指をかけたまま。


「……あなた?」──振り返ったリトリィが、瞳を揺らして。


 ……俺が異世界ニホンからこの世界にやってきた異世界人であるということは、リトリィや瀧井さんといった、ごく一部の人間しか知らない。

 それを嗅ぎ当てたということか?


「……だったら、なんだっていうんだ?」


 ゲシュツァー氏は、俺の言葉に口の端を吊り上げた。


「ほう……もはやごまかす気もなくなったということですか?」

「ごまかすも何も、俺は俺だ。あんたにどうこう言われる筋合いはない。俺は俺の大切な家族を取り戻し、ついでにあんたのやって来たことをやめさせるだけだ」


 用心棒たちが一斉にクロスボウを構える。

 アムティたちが即座に盾を構え、瀧井さんが射撃体勢に入った。


「お待ちなさい、皆さん」


 ゲシュツァー氏は片手で背後の男たちを制すると、手を差し出した。


「私はね、実業家なのですよ。あなたほどではないかもしれないが、損得勘定で動く人間だ」

「俺は、損得勘定で──」

「ええ、分かっています。あなたの目的くらい、ね」


 目的?

 彼が何を言っているのか分からず、困惑する。


「俺の目的なんて、リノを奪い返すこと、そしてお前の孤児院を中心にした『事業』ってやつをやめさせることだけだ! リノはどこにいる!」


 さっき、彼女が殴られてからの感覚が送られてこない。殴られたあと、何かの拍子で「遠耳の耳飾り」が外れてしまったのだろうか。焦りが募る俺に対して、ゲシュツァー氏はなにかを確信しているのだろう。冷静に続けた。


「リノ……ああ、あの小さなメス猫ですね? そこの金色のケダモノといい、欠け耳の尾無しといい、下等なのほうが手なずけやすいのでしょうが、それを連れているあなたの品格が疑われます。控えた方がよろしいでしょうな」


 ぎしり、と奥歯がきしむ。

 俺の大切な家族──リノ、リトリィ、そしてフェルミを侮辱したな!

 しかし、俺の反応を気にした様子もなく、奴は続けた。


「ただ、その奇人ぶりがかえって必要以外の人間を近づけずに仕事をしやすい環境を作ったのでしょうか。たやすくナリクァン商会の元会長に取り入り、大工ギルドに入り込み、温和な顔の裏で、あなたは街の人間を扇動してきましたね。いえ、調べて驚きましたよ。これほどまで人の心のすき間を巧みに突き、するりと懐に入り込む人たらしぶりにはね」

「──おい、なんの嫌味だ」


 思わず突っ込んでしまう。


 この世界にやって来て第一に食らったのは、「仕事の一から十まで携わらない人間は職人じゃない」という、二級建築士としての俺の生き方を全否定した握り拳だった。


 リトリィとは何度もすれ違ってきたし、ナリクァン夫人などは、リトリィをさらわれたのは俺の責任だとして、俺の体を「小さく切り刻む」宣言までしたくらいだ。


 何度も殺されかけたし、「幸せの鐘塔」の設計に関しては設計図を奪われ騙され陥れられた。


 獣姦趣味者、ケダモノ狂いと、リトリィともども馬鹿にされてきてもいる。そのくせ、その愛する人を二度も奪われたうえ、今だってリノを奪われている最中だ。


 その俺を、「街の人間を扇動してきた人たらし」だと?

 いったい、何をどう見たらそんな結論にたどり着く?


「嫌味……なるほど、つまり今のあなたは本来の自分ではない──不本意な立場にいるということですかな? それは、大工の真似事をすることが、ですかな? それとも、立場上の必要性からとはいえ、かりそめにもケダモノを抱かねばならぬ関係に身を堕としたことが、ですかな?」


 自信たっぷりといった様子で笑うゲシュツァー氏に、リトリィが毛を逆立てた。


「このひとのことをなにも知らないで、勝手なことを言わないでください!」

「おやおや、おやおやおや。これは異なことを。あなたが彼の一番の被害者なのではないですか?」


 牙を剥き唸り声を上げるリトリィを恐れることなく、彼は落ち着き払って続けた。


「知っていますよ? 可哀想に、不実な彼に耐えられず家を飛び出したところを奴隷商人に捕まって、男どもに明け方まで嬲り者にされたうえ、ナリクァン商会によって『助け出された商品』として、街で晒し者にされたのですよね?」


 ──こいつ‼

 確かに事実の一面ではあるが、悪意をもって切り取った断面で言いやがって!


「知ったふうな口を! わたしは……!」

「私はこの街だけでなく、広く商売をしておりますのでね。その伝手で綿密な調査をして、つかんだ事実を述べているまでですよ? 哀れな道化を演じさせられているお嬢さん」


 そう言って、奴は笑みを貼り付けたまま首を振ってみせた。


「ふざけるな! 俺はリトリィを愛している、それはリトリィもだ! 俺たちの愛は、何があっても揺るがない! ただの調査結果の推論──いや、妄想を振りかざしてもだ!」

「愛、ですか。それはそれは実に尊いことですね。あなたの愛は、婚約者がいながら新たに実務的な伴侶を求めることができ、さらには妊娠中の妻がいながら新たに愛人を作ることができるほど、広く深いのですね。いや素晴らしい、実に素晴らしい……!」


 奴は、かけらもそう思っていないだろうに、俺を称賛してみせた


「亡き妻にみさおを捧げ、我が娘たちの成長だけが楽しみの私と違って、実に愛にあふれたお方だ! この上さらに、成長の早いケダモノとはいえ幼い少女に子供を産ませようというのですからね。全く、度し難い感覚と愛を持つお人ですな!」


 奴は口の端を歪めて笑みを浮かべる。


「……そこまで調べたなら、俺が、何の変哲もないただの一般人だと分かりそうなものだけどな!」

「そうですね。この街に来てからのあなたは、不自然なほどに痕跡を残している。黒髪に黒目という、特に珍しい、目立つ外見でもありますし、時に不器用に見えるほどです。ですが……」


 一度言葉を切ってみせたゲシュツァーは、両手を広げ、肩をすくめてみせた。

 

「それでも分からなかったのですよ。あなたがこの街に来るまでに、何をしていたのか。そう、この街にの情報が何一つない。それが何を意味するか……答えは一つです」


 アムティが、ヴェフタールが、リファルが、リトリィが、俺を見る。

 銃を構えたまま微動だにしない瀧井さんだけだけだ、動揺を見せないのは。


「あなたには、そこのケダモノよりもさらに深く愛を捧げている相手がいますね? 捧げる相手は郷土か、領主か、それとも名誉やお金か──その愛ゆえに、あなたはこの街にやって来た」


 奴が言いたいことの意味を計りかねて、続く言葉を待つ。無言を肯定と受け止めたのか、奴はさらに口を歪めてみせた。


「あなたは、衝突を呼び起こしてこの街の弱体化を狙う、間者でしょう。推測に憶測を重ねるならば、おそらくはハイタティ森林伯──キドカーラ・ポンパ卿あたりの差金さしがねでしょうか」

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