第598話:愛ゆえに(1)

『ムラタさんよ、あんたはどこまで先を読んでいたんだ?』

「先を読んでなんかいませんよ、いろいろ嫌な状況を予想しただけです」


 マレットさんの報告を聞きながら、俺たちはレース編み工房に走っていた。


『だが、あの地下室には確かにクソ野郎が二匹と、見るのもしのびねぇありさまの嬢ちゃんたちがいた。あんたの言った通りだ』


 少女を盾にしてわめく男たち二人を、マレットさんたちの丸太のような腕がねじ伏せ、ボッコボコにしたんだとか。


 体中が汚れきった少女たちを保護したマレットさんたちは、とりあえず少女たちを別室で休ませるのだという。


『いや、俺はな? 鞭でぶん殴られながら働かされる子供、くらいにしか考えてなかったんだよ。……それがなんだよ、ありゃあ。こんなことを想像できる奴がいるのか⁉』


 そう吐き捨てるマレットさんに、俺の胸が痛む。

 俺の妻リトリィも、幸運にも純潔だけは守れただけで、同じような地獄の中を生き延びて、俺に出逢ってくれたんですよ──そう言いたくなったのを、ぐっと飲み込む。


「ゲシュツァー氏は、子供を『役に立つ労働力』ととらえていました。だったら、彼の基準に満たない子供は、どのように扱われるか……想像できますよね」

『だからって、あんな小さな子供まで……!』


 言いかけて、そして、一瞬口をつぐみ、そして、ため息をつく。


『……あんたはあんたで、このクソ溜めを作った親玉をぶっとばしてくれよ? なにせ、家も、集合住宅も、貴族の屋敷すらも、一撃でぶっ潰してきたあんただからな』


 マレットさんの背後で、おおそうだそうだ、あの蹴りの一発、鉄拳の一撃でなんでもぶっ壊す伝説の壊し屋だぞ、あの方に壊せないものなんて無いんだぞ、などと力強く同意する声、それに呼応する感嘆の声!

 だから俺は壊し屋じゃなくて、二級建築士……!




 レース編み工房に着くと、巡回じゅんかい衛士えいしの制服に身を包んだ男たちが建物のまわりを囲むようにしていた。


 約束が守られていたことに、つい感心してしまう。警吏けいりが議会に属する警察機構なのに対して、巡回衛士は騎士団の一部だ。

 ただ、直接の反乱や戦闘があったわけじゃないから、巡回衛士ができるのはここまでだ、というのも、事前に聞いていたとおり。

 貴族が擁する騎士団のいち機関とはいっても、私有地に問答無用で入る権限は持たないらしい。


 それでも、俺はこちらの方が信頼できると考えている。なにせ警吏けいりにはいい記憶がかけらもない。リトリィや、彼女を愛する俺に対する差別をむき出しにした対応といい、盗難事件を真面目に解決する気がかけらもなかった態度といい、あいつらは官吏かんりの名を借りた街の寄生虫だろう。


 まあ、俺の恨み節は関係ないとしても、この工場を何人もの衛士たちが見張っているのはありがたいことだ。少なくとも、中にいる連中へのプレッシャーになっているだろう。


 飾りつきの兜をかぶった隊長らしきひとに挨拶をする。俺の左胸に付けられた紋章を見たのか、隊長さんは敬礼をしてみせて、衛士たちに道を空けるように言ってくれた。この紋章自体には何の実権もないが、無言で話が通るのはありがたい。


「……ムラタ、本当に真正面から乗り込むのかよ?」

「ゲシュツァー氏がそれを望んでいるんだ、だったらこうしたほうが話が早いに決まっている」


 リファルの言葉に、俺は即座に答える。


「奥さん連れでか⁉」

「公式の場では、夫婦がそろって行動するのが上流階級のたしなみらしいぞ?」

「ただの大工が何言ってんだお前は!」


 即座に突っ込まれたが、もう行くと決めたんだ。リトリィが、しっぽをふわりと寄せてきたのを感じて、心強く思う。彼女も俺と共に行くことを決意してくれている。凛としたその表情は、月の光に輝いて例えようもなく美しい。


「彼女は俺より強いんだ。お前も、彼女が怒ったらどうなるか、身をもって知ってるだろう?」

「いや、そりゃ分かるよ? 分かるけどな、戦場に女を連れて行く馬鹿野郎なんて聞いたことがないぞ」

「その馬鹿野郎第一号が俺というわけか。いいじゃないか、ヘタレな俺にさらに『戦場で女に守ってもらったヘタレ』の称号が追加されるんだ。どうせ『子供遣い』なんて卑怯千万なあだ名を付けられている俺だ、なにを今さら」


 リファルは、顔を歪めた。


「……なあ、本当に行くのか? ほら、オレたちは大工だぜ? 荒事は冒険者に任せた方が──」


 よく見ると、リファルの膝が震えている。

 ……まあ、そうだろうな。俺だって震えてるよ。


 でも、リノが捕らわれているんだ。

 彼女は俺の、大切な家族なんだよ。


 そしてゲシュツァー氏は、彼女を囮に俺を釣ろうとしているんだ。

 ならば、彼女を取り返すために俺のほうから乗り込むってだけだ。


「……お前、そんな性質じゃねえだろ。いつのまに、そんな強く……」

「俺が強いんじゃない、リトリィが柱になって支えてくれてるから、やせ我慢できているだけだ。全部が全部、リトリィのおかげだ」


 そう言ってリトリィに目を向けると、凛とした表情を少しだけほころばせる彼女。

 ああ、君のその微笑みがあれば、俺はなんだってできる!


「リトリィさんも、旦那の扱い方が実にうまくなったものだ」


 瀧井さんが、銃を担ぎ直しながら笑う。


「獣人の女は情が深い。ペリシャのやつも、若い頃はわしのいるところにならどんなところにだってついてきてくれたものだった。この件が終わったら、十分に可愛がってやりなされよ?」


 リトリィのしっぽが急に大きく振られて、俺を期待に満ちた目で見上げる。

 ……瀧井さん、ただでさえ毎日搾り取られてるんです。火をつけるようなことをさらっと言わないでください。腎虚が近くなります。



  ▼ ▽ ▼ ▽ ▼



 激しい衝撃を頬に食らって、俺は倒れそうになる。

 実際に受けた衝撃じゃない。「遠耳の耳飾り」によるものだ。

 俺は歯を食いしばる。この光景は、俺とリノとの間でやり取りされている情報を傍受し、記録し、そして「遠耳の耳飾り」の映像のみを共有している仲間たち全員が目にしているのだ。

 そもそも、この恐怖はリノが一番に感じているものだ。その彼女と一番深くつながっているというだけの俺が、びびっているわけにはいかない。


『まったく、ちょっといい目を見せてやろうとしただけなのに、噛みつきやがって』


 手に息を吹きかけながら、今リノを殴った男が毒づいた。

 隣で、別の男がゲラゲラ笑っている。


『目を開けた途端に、テメェの汚ねェブツをくわえさせようとするからだろ』

『バッカ野郎、この手のメス猫フライツェンはよ、舌がざらざらしてて具合がいいって話じゃねえか。ウチの旦那は獣人嫌いだからガキのなかには獣人が一匹もいねえけどよ、せっかく目の前に転がってんなら、試してみたいってのが人間ってモンだろうがよ』


 ……ああ、おかげでこちらは奥歯が欠けそうだよ。


「しばらくぶりですね、ムラタさん。あの公園では、わが娘たちが大変世話になりました。まさか、このような形で再会するとは思いませんでしたが」

「……ええ、まさか、私もこのような再会をするとは思いませんでしたよ」


 リトリィが毛を逆立てて俺のやや前に立ち、後ろでは九九式短小銃を構える瀧井さん。そして、短剣を構えるアムティやヴェフタールたちといった冒険者。


 小さめのクロスボウを手にした用心棒たちを背後に何人も控えさせたゲシュツァー氏は、場違いと思えるほど落ち着いた様子で、俺たちを出迎えた。


 しかし、ここにリノはいない。たった今、目を覚ました様子ではあるのだけれど。

 「遠耳の耳飾り」を通して受けた左頬への衝撃は、直接殴られたかのような痛みを今も継続中だ。

 だがこれは、リノとのつながりの深さを物語るものだ。負けていられない。


 ……リノ、待っていろ。すぐにこの極悪非道な輩をぶちのめし、君を助けに行く。

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