第596話:突入、そして

『孤児院は押さえたぜ。あんたの話では、もっと用心棒がいるかと思ったんだがな』


 マレットさんからの、やや困惑気味な通信が入る。


「そんなに手薄でしたか? 用心棒が一人失踪したんですから、増員するかと思っていたんですが」

『俺たちがなだれ込んだら、用心棒らしい連中はむしろ逃げて行っちまいやがったぞ? 本当に用心棒だったのか?』


 逃げた?

 用心棒が、子供たちを守らずに?


『ああ。女の子を盾にして逃げようとしたヤツもいたからよ、その腐れデブはみんなで囲んで袋叩きにしてやったぜ』

「ありがとうございます。構造上、隠し部屋になりそうな気になる空白、地下通路などはありませんでしたか?」

『おう、今ぐるっと回っているトコよ。いくつか怪しいところは見繕った。ただの物置ならいいんだがな』


 さすが大工。ここらへんはツーカーで話が通るのが素晴らしい。

 それにしても、用心棒が子供たちを守らずに逃げてしまったというのは酷い話だ。何のための用心棒なんだ?


「ではマレットさん、引き続きよろしくお願いします!」

『任せとけ! ただ、逃げたヤツは本当に追わなくていいんだな?』

「ええ、放っておいてください。何人かはゲシュツァー氏の邸宅に向かうでしょう。それもまた狙いです」

『よく分からねえがあんたのことだ、何か考えがあるんだな? だったらいいんだ』


 マレットさんは特に深くは聞いてこなかった。

 俺だから何かを考えているはずだ、という、マレットさんからの信頼。知らず知らず、胸が熱くなる。


「ゲシュツァー氏の邸宅に駆け込んだ連中は、もちろん孤児院が制圧されたことを報告するでしょう。するとそちらに用心棒たちが向かうはずです。馬鹿正直に相手をする必要はありません。とにかく時間を稼いでください。ところで彼はどうですか?」

『ああ、アイツか? まだケガが治りきってねえみたいだが、気合は十分だぜ?』

「すみません、世話をかけますが、よろしくお願いします」

『任せとけ!』


 マレットさんからの通信が切れると、間髪入れずに通信が入る。陶器工場のほうに向かった冒険者からだった。


『ムラタさんよ、陶工の工場こうばに着いたが、どうも静かすぎるような気がする。どうする?』

「静か……?」


 気になる報告だけど、いまさら中止するわけにもいかないだろう。陶器工場のほうは危険物が多そうだということで、冒険者の比率が多い。彼らを信じてやってもらうしかないだろう。


「今夜の作戦が漏れているとは考えたくないけれど、万が一ということもあります。慎重に進んでください」

『行けばいいんだな。よし分かった』

「くれぐれも慎重に! 目標はあくまでも『子供の解放』、無理に戦わなくていいですから。大工の親方がそっちにいるはずなので、構造上、不自然な空間などの不審な点がないか、確認しながら進んでください」

『要は人質を傷つけず、かつ取りこぼすなってことだろう? 分かっている』

「冒険者の皆さんもですよ! 成功を祈ります!」


 その通信が切れるか切れないかの時だった。

 目の前に浮かんでいる映像が、急に大きく動いた。考える間でもない、リノが動き出したのだ。


「リノ、どうした? みんなが行くまで待っていろ」

『だって、あのおじさん、見えなくなっちゃうもん! ボク、行ってくる!』

「ま、待て! すぐにみんなも入り口に着く、それまで──」

『大丈夫! ボク、今度こそだんなさまのお役に立つから!』

「リノ、待つんだ」

「大丈夫だってば! ボク、見つからないようにするもん」


 目の前にいない以上、いくら引き留めても、どうしようもなかった。隠密行動中なのに怒鳴るわけにもいかない。


「どうしたんです?」


 ウカートの言葉に、俺は歯噛みする。


「リノが、館に先に侵入してしまった。お役に立つから、なんて言って。あれほど指示を待てって言ったのに」

「『お役に立つから』ですか……可愛いじゃないですか。『子供遣い』の威厳も、主人を想う子供の前にはかた無しですね」

「あの子はそれで、前に大怪我を負ってるんだ。知ってるだろう?」

「それでも動くんです。君のために頑張りたいんですよ。少しは信じてあげたらどうです?」


 ウカートの言葉に、俺は不安を覚えつつも無理やり自分を納得させる。リノは今のところ壁に張り付くようにして、窓から中の様子をうかがっているようだ。

 俺がたどり着くまでに、どうか、どうか見つかりませんように……!


「そういえばムラタ、お前、子供たちのためにって言ってたよな?」


 リファルの言葉にうなずいてみせると、彼は顔をしかめた。


「いや、例の女の子……ええと、ヴァシィといったか。あの子にひどいことをしてたクソ野郎どもをぶちのめすだけじゃ、解決にならねえってのは分かるんだよ。でもよ、こんな大掛かりなことをする必要があったのか?」

「……いまさら何を言ってるんだ、さっき説明しただろ」

「明日の仕事の段取り考えてたら、お前の話が終わってた」

「リファルさん、もう帰っていいですよ。というか、帰ってください」


 エプロンに三角巾、手にはお玉といういでたちのマイセルが、すっかりあきれた様子で言う。


「私たちだって、皆さんために炊き出しとか携帯食の堅焼きパンとかがんばって準備したっていうのに。自分のことしか考えられない人は、いなくていいです」

「ちょ、ちょっと待ってくれマイセル! オレだってだな、こうしてムラタを支援するために……」

「ムラタさんのお話を聞いてもいないのに?」


 ……俺も正直ムッとしたけど、マイセル、容赦がなさすぎる。もう少しこう、なんというか、手心というか。


「ええと……だな、リファル。以前、例の孤児院に潜入したときに、おかしいっていう話があっただろ?」

「……ああ、成人前の子供が一人もいないっていう……」


 リファルが言いかけたときだった。


『ムラタさんよ! もぬけの殻だ! 陶工の工場こうばには誰もいない!』

「誰もいないですって? そんな馬鹿な、ナリクァン夫人の手による情報だと……」

『本当だ。人っ子一人いない。どうする?』


 すると、印刷工房を押さえる隊のほうからも通信が入った。


『おう、ムラタ。聞こえるか?』


 こちらは第四四二戦闘隊を率いる熊属人ベイアリングの隊長の声だった。


『わしんところもだ。誰もいねえ。こっちはずいぶんと慌てたみたいでな、細けぇ活字が床に散らばってたりするぜ』


 俺は言葉を失った。

 こちらの情報が漏れて罠にはめられたのか、それともとりあえず証拠となる子供たちを隠蔽するためにどこかに移動させたのか。


 しばし悩んだが、後者だと判断する。ゲシュツァー氏は事業者だ。工場は資産。そこを傷つけられるようなことはしたくないだろう。そして、とにかくやり過ごすことができたら向こうの勝ちなのだ。


 けれど、それまでいなかった「はず」の人間が工場からぞろぞろとわいて出てきたら、間違いなく目立つ。それは、俺たちのほうに有益な情報をもたらすことになってしまうと考えるだろう。

 ──ならば!


「怪しい空間になるような場所とか、地下室への入り口とか、そういったものはないですか? ここ数日で急にたくさんの人が移動した、という情報が入ってきていない以上、敷地内に隠されている可能性があります!」

『分かった。当たってみよう』

「ただし、何らかの罠ということも考えられます。どちらも、くれぐれも慎重にお願いします」

『それは真っ先に考えたことだ。だがありがとう、気をつける』

『わかった。まあ、何かあってもあの門外街防衛戦を思えば大したことはねえよ』


 通信が切れたあと、俺は後方待機のメンバーに状況を説明した。皆の顔に緊張が走る。相手のほうが上手だったとしたら、戦力を分散し同時に制圧することで早期決着を目指す、という案が崩れることになる。


 リノはまだ、ゲシュツァー氏と接触していない。彼女なりに、慎重に前進しているようだ。こういうとき、猫属人カーツェリングのしなやかな体は便利だと思う──いや! 便利ってレベルの話じゃないんだ。


 彼女は何か訓練を積んだ特殊工作員なんかじゃない。将来の夢は俺の跡を継ぐ建築士になること、そしてお嫁さんになることっていう、本当にただの、普通の少女なんだ。とにかく本隊と合流できるまで、無事でいてくれることを祈るしかない。


 こうなったら、後方隊を分けてそれぞれに増派したほうがいいだろうか、それとも今はまだ待つべきなのか。

 個人的にはリノのいるレース編み工房のほうに駆け付けたい。それも、今すぐに。彼女が無茶をして、取り返しのつかないことになる前に。


「リノちゃんはいま、どうしていますか? だいじょうぶですよね?」


 リトリィも不安そうな顔をする。


「本人は大丈夫だと言っているけどな。……イズニアさん、リノの視界を、レース編み工房に侵入しているほうに回せるか?」

『できます……けど、ごめんなさい。多分、ムラタさんが見ているような鮮明さの半分もないような荒い視界を送るのが精いっぱいだと思います……』

「いい。リノが今見ている光景を送って、いま侵入を開始しているアムティの助けになればって思って──」


 入口の用心棒を、どうやら一瞬で叩きのめしたらしいアムティ。さすがは冒険者、その辺りは手馴れている。

 これなら、すぐにリノに追いつくんじゃないだろうか──そう思ったときだった。


『おや、ずいぶんと可愛らしい子ネズミだね。……見覚えがあるよ、その折れた右耳は』


 廊下を折れ曲がったその先で待ち構えていたその男は──ゲシュツァー!


 リノの視界を通してだからか、やけに大きい。顔を下に向けず、目だけでこちらリノを見下ろすさまは、あの、双子の少女を連れて公園を散歩して柔和な笑みを浮かべていた彼とは全く結びつかない冷徹さを感じさせる。


 背筋にぞわりとしたものが走った。

 リノの短い悲鳴が、耳を打つ。

 大きく視界が揺れ動いた。

 尻に、腰に、大きな衝撃。

 驚きのあまり、リノがしりもちをついたらしい。


『我が孤児院にようこそ──と言いたいところが、君はヒトではない、ケダモノだ。我が孤児院にふさわしくはない。我々のチーズを食い荒らそうとするネズミは、排除しなければならない。……一匹残らず、ね?』

「……リノ! 逃げろ‼」


 言われるまでもなく振り返って逃げようとしたリノは、しかしすぐに何かにぶつかって再び転倒する。

 だが、それだけで済まなかった。

 突然、頭じゅうの髪を引っ張られる感触!

 信じられないことに、目の前の男は、リノの髪をつかんで、己の目の高さまで持ち上げたのだ!


『壊すなよ? そのケダモノの背後には危険な男がいる。彼にぜひ、こちらにお越し願わなくてはね?』


 背後からのゲシュツァーの声が終わるのと同時に、髪をつかみ上げる男からの、あごの下への強烈な一撃!


 ああ、これ、狼獣人のガロウに食らった奴だ──そう思ったのを最後に、俺の視界は真っ暗になる。


 体が揺れた──そんな感覚のあと、俺は何も分からなくなった。

 リトリィの悲鳴を、どこか遠くに聞いたような気がしながら。

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