第593話:親が示す愛とは

「やれやれ。ほんとうにあちこちに首を突っ込む人ですこと」


 ナリクァン夫人の邸宅に行った俺たちは、夫人の苦笑に出迎えられた。

 そばでは、可愛らしいドレスに身を包み、山のようなお菓子を食べながら、満面の笑みを浮かべているリノがいる。


「リノちゃんは、あなたから伝わってくる言葉をしっかりとわたくしに伝えてくれましたからね。これはそのご褒美ですよ」

「えへへ、おばあちゃん、だーいすき!」


 口の周りをクリームでベタベタにしながら、満面の笑顔のリノ。

 ぐぅっ!

 あんなにあっさり懐柔されやがって。

 やっぱり子供には甘味なのか!


「さて……。こんなにも可愛いらしいリノちゃんを、あなたの薄っぺらな正義感で薄暗い世界に引っ張り込んだその覚悟、できていますわよね?」


 相変わらず俺には厳しいひとだ。

 だが、確かに夫人の言う通り。

 またしても夫人の世話になった上に、大人の後ろ暗い世界をリノに垣間見させてしまった。


「で、ですが、だんなさまがいらっしゃらなければ、今度のことは──」

「リトリィさん。わきまえなさい。あなたが発言していい場ではありません」


 ぴしゃりと抑えられて、うつむくリトリィ。

 ……ごめん、俺が不甲斐なくて。


 リノが不安げに夫人を見上げると、夫人は微笑んで、子守女中を呼んだ。だが、リノは首を振ると女中の手から逃れて俺のところに来て、俺にしっかりとしがみつく。


「……ムラタさん?」


 夫人の恐ろしく威圧感のある微笑みに、俺は子守女中のほうにリノを押し出そうとして、やめた。

 リノが「ボクもいる。ボクだって、だんなさまのおそばにいるもん」と強くしがみついて離れようとしなかったからである。


 そのいじらしさに苦笑すると、俺は彼女の頭をなでながら「だそうです」とだけ言って、彼女を右隣に座らせた。


 夫人はため息をつくと、「本当に、くだらない度胸だけはあるひとですこと」と苦笑いを浮かべた。


「……さて、ハルトマンさん。今回の件、どう見ますか」

「確証のもてぬ憶測となりますので、今はまだ──」

「構いません。あなたの私見で結構です」


 ハルトマンさんは少し背筋を伸ばすようにして、夫人の問いに答えた。


 現在のところ分かっている情報だけをまとめると、ゲシュツァー氏が運営している孤児院は、俺の見立てた通り職業訓練の場として機能しており、それについては疑いがない。


 一朝一夕にできるものではないことは、年長者の技量を見れば一目瞭然であった。おそらく、何年かかけていくつかの職業訓練を行い、成績の良かったものをあらためて専門的に教え込んでいるのではないか、ということだった。


「ここまでは、かの孤児院が宣伝している通りですわね。続けて?」


 ただし、俺の話と、現在商会の方で身柄を確保した例の二人からの情報によると、子供への虐待、もしくはそれに近いことが日常的に行われているのは、ほぼ確実だった。

 ただ、俺は虐待だと思ったのだが、意外だったのは夫人やハルトマンさんの反応だった。


むちで叩く、食事を与えない、椅子に縛り付ける──どれも普通・・ですわね。本当にそれだけかしら。例の件は除くとしても」

「はい。観察しておりましたところ、子供たちは目に見えるアザもなければ、痛みに不自由するような仕草も見られませんでした。我々大人に対して無関心を装いつつ、しかしながら近寄るとわずかに身を離そうとする程度です。折檻せっかんは厳しくありましょうが、まあ妥当な範囲なのではないかと」


 ちょっと待ってくれ。

 むちで叩くのが妥当な範囲だって⁉ そんなの、虐待だろう⁉


 俺はそう思って聞き返してみたのだが、その場にいるすべてのひとが、きょとんとしていた。リトリィですら、だ。


むちで子供をぶっているんでしょう? そんなの虐待じゃないですか!」

「虐待……? なにが・・・ですか?」


 ナリクァン夫人は、本気で首をかしげているようだった。


「いえ、ですからむちで叩くなんて、野蛮で──」

「野蛮? 普通のことでしょう? 子供を一人前の大人に躾けるためのむちを恐れてどうするのです。分別ふんべつのない大人に成長してしまうことのほうが、よほど恐ろしいことではありませんか」


 衝撃だった。

 むちで子供を叩くのが、当たり前の価値観!


「何を驚いているのですか? 子供は未熟なのですから、体で覚えこませるのが一番です。あなたは、一体どのようにあの三人の子供たちを躾けているというのですか?」


 あきれた様子で問うてきたナリクァン夫人に、俺は胸を張って答えた。


「うちの子供たちはみないい子ですから、ひとが本当に困るような悪さはしません。けれど、悪いことをしたらもちろん叱りますよ。ただ、私はむやみに叩くなんてことは絶対にしません」


 リノがかんしゃくを起こし、罵声をまき散らしていたあの時のことを、ニューが盗癖を抑えられず、現場の大工たちから財布をスリ取ったあの時のことを思い出す。


「……そのときの行動の何が悪かったか、なぜそれをしてはいけないか。子供と向き合って、きちんと話します。そしてこれからどうすればいいか、本人にちゃんと考えさせて言わせます」


 少なくとも俺は、両親からそのように育てられてきたし、学校でも体罰なんて食らったことがなかった。

 だからニューにもリノにも、問題があったら、叩くよりもむしろ抱きしめて気持ちを聞こうと努めた。子供の思いを知り、俺の思いを理解して欲しいと願い、そして、反省したらそれを認め、励まそうとしてきた。


 むちで殴って躾けるだって?

 そんなことが許されていいものか!

 子供だから、他者の気持ちをおもんぱかることができず、自分の気持ちばかり優先させてしまうことだってあるだろう。


 でも、根気強く向き合えば、きっと分かってくれるはずだ。

 幼いときにこそ、それが大切だと思うのだ。

 ヒッグスとニューとリノ、この三人は、まだ間に合った。


 ところが、夫人はため息をついて、首を横に振った。


「あなたは一体、どういう親に育てられたのですか? 親がむちを振るうことを恐れて、良いこと、悪いことを教えずにいれば、いったい誰が子供に善悪を教えるというのです」

「善悪は当然教えます。ただ、そのために暴力を使う必要はない、そう信じているというだけです」

「子供に嫌われることを恐れてむちを振るわぬ親は、いずれわがまま放題に育った我が子から拳を振るわれることでしょう。子供の躾をおこたる親には、相応の報いがあるのですよ?」


 にわかには信じられないことだが、ナリクァン夫人は子供を、むちで叩いて躾けるのが当たり前だと思っているようだった。


「確かに、むちを振るえば子供は泣き、あなたを恐れるでしょう。ですが、子供を愛すればこそ、むちは必要なのです。子供に嫌われることを恐れるようでは、親の資格などありませんよ。親の愛とは、甘やかすことではないのです」

「ですが、現に我が家の子供たちは、むちなどなくても──」

「それは、相応に育った子供をたまたまあなたが拾っただけでしょう。赤ん坊から己の手で育てたわけでもないのに、なにを愚かな!」


 ……たしかに、言われる通りだ。赤ん坊から──いちから育てたわけではない。

 リトリィも、心配そうに俺を見上げているが、否定するそぶりは一切ない。つまり、俺の常識はこの世界の非常識であることを改めて思い知らされたのだ。


 考えてみれば日本だって、俺の父親の世代くらいまでは、父親のげんこつとか、先輩の理不尽なシゴキとか、そういったものが当たり前だったような気がする。確か、古い野球のアニメなど、父親が食卓をひっくり返したりげんこつを振り回したりだのを美徳とするような描写があったような気がする。


 日本で子供に対する虐待を問題視するようになったのは、もしかしたら本当にここ最近の話なのかもしれない。


 言いたいことはたくさんあったけれど、これ以上この問題について話をしても、おそらくなんの進展も得られないだろう。俺は頭を下げて、この話から降りることにした。


 ──でも、それでも俺は、我が子に拳など振り上げるものか。

 たとえ周りがどうあろうと、俺は、俺の信じるやり方を貫いてみせる。

 むちではなく抱擁ほうよう、それが、親の愛って奴だろう!

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