第592話:子供たちはどこへ

「……おかしいですな」


 ゲシュツァー氏の孤児院を出て十分に離れてから、ハルトマンさんは豊かな付け髭を剥がし、以前着けていた眼鏡をかけながらつぶやいた。


「おかしいって、何がだ?」


 リファルの質問に、ハルトマンさんは厳しい表情で答えた。


「ゲシュツァー氏は、子供たちに教育を施し、その技能で身を立てることができるようにしている──そうおっしゃっていましたな?」


 皆がうなずく。


「……正直、オレんところよりよっぽどマシだぜ。オレもあそこに拾われていたら、随分と楽ができたろうな」


 ファルツヴァイが、口を皮肉げに曲げた。


「ファルさん、そういうことはあまり言わない方が……」

「なんだトーリィ、事実だろ? ウチなんて何の取り柄もねえ。だから煙突掃除をするしかなかったオレたちと違ってさ、あそこの連中はきっと将来、いいところで働けんだよ。そしたら、オレみたいなことにはならないんだろうな」


 ファルツヴァイが言うのは、煙突掃除で気管支を痛めて喘息ぜんそくを患ってしまった自分自身のことだろう。


「自分を卑下するな。お前は仲間のために働く、心のまっすぐな素晴らしい気性の持ち主だ。喉については、成長と共にいずれ治る。焦らず体を大事にしろ」

「……おっさん、そんなこと、簡単に言っていいのかよ」

「お前の抱えている病は気管支喘息というんだ。子供の頃に発症したものは、そのあと原因から身を遠ざけていれば、いずれ症状が軽くなる。完全に治るには時間がかかるが、多少のことでは発作が起こりにくくなる。大丈夫だ」


 ……俺の友人がそうだったから、彼にも当てはまる──とは言いきれないが、それでも希望を持たせたかった。


「それよりも、オレはあのスカした野郎が『子供のため』みたいなことを言うたびに、何度『ウソつけ』って言いたくなったか知れねえぞ。ハルトマンさんよ、どうして今日は知らんぷりをしなきゃならなかったんだ?」


 リファルも俺と同じく、サファイアブルーの髪の少女──ヴァシィが野郎二人に辱められているのを見ているのだ。そう言いたくなる気持ちは、よく分かる。


「……先ほども申し上げました通り、確かに例の二人について追及すれば、例の二人は懲罰を受けるなり、解雇されるなりして、くだんの少女の負担が軽くなったかもしれません」

「だろ? 女の子だぜ? あんなことを、まだ我慢させておかなきゃならねえなんて……」


 リファルの言葉に、ハルトマンさんは首を振りながら答えた。


「……お気持ちは分かります。私も、できることなら今すぐにでも助けたい。ですがそれをやってしまうと、以降は孤児院の汚点となることを巧妙に隠すようになるでしょう。すると、かの孤児院が抱える本質的な問題をそれ以上追及できなくなってしまう恐れがあったのです」

「それは、さっき言っていた『おかしい』と、何か関係があるんですか?」

「ええ。みなさん」


 ハルトマンさんの目は、さっきからずっと険しい。


「お気づきになりましたか? あの孤児院にいた子供たちは、大体どれくらいの年頃の子供たちでしたか?」

「子供たちの歳、ですか? そうですね、五、六歳あたりから、十二、三歳まで……といったところでしょうか?」


 ハルトマンさんの言葉に、ウカートが眼鏡を押し上げながら答える。俺も、そのあたりだと踏んでいた。


 ハルトマンさんは、俺やウカートの言葉に、ハルトマンさんはうなずいた。


「そうですね。おそらく、ムラタさんたちの見立て通りでしょう」

「それがどうかしたのか? 年の離れた子供たちが同じ作業を一緒に活動すること自体は、別に悪いことじゃないと思うが」

「そのこと自体は問題にしてはいません。ですが、不可解だと思いませんか?」


 ハルトマンさんは、まっすぐに俺を見た。


「私はあの時に、彼に聞きました。年に七~八人は成人し、独立していくだろうと」


 ああ、そういえばそんなようなこと聞いていた気がする。

 確かに百人いれば、おおよそ一つの世代はそんなものだろう。


「では、作業中の子供たちの中に、十五~六歳の子供はいましたか?」

「それは……」


 言われて気が付く。つまり、中学三年生~高校生あたりの子供が、あのいくつもの作業部屋にいただろうか、ということだ。いや、もしかしたら背が低かっただけなのかもしれないが。


「私が申し上げたいのは、そこなのです」


 ハルトマンさんは、俺たちを見回した。


「皆さん、もし自分の経営する孤児院の子供たちを自慢したいと考えるなら、最も良い姿として仕上がっているはずの最上級生を紹介したいと思いませんか?」

「それは、まあ……当然だよな?」


 リファルがうなずく。皆も一様にうなずいた。


「……ですが、普段通りの自然な様子を見せたかったのかもしれませんよ? どうも彼は、私が育てている子供に興味があったようですので……」


 俺が疑問を口にすると、ハルトマンさんはそれにうなずいてみせてから、再び問いを発した。


「それもあったかもしれませんが、だとしても、成人間近の少年少女が一人も見当たらなかったのは、奇妙ではありませんか?」


 ……確かに、あれだけ異なる年齢の子供たちがいる中で、成人間近の子供たちだけがいないのはおかしいかもしれない。


「赤ん坊とか、あそこにいなかったチビたちの面倒をみてるのかもしれねえぜ?」


 ファルツヴァイが「オレんところみたいにさ」と、つまらなそうに言う。ハルトマンさんはそれにもうなずいてみせてから、しかしやはり疑問を投げ返してきた。


「それもあるかもしれませんが、あれほど子供たちの教育にこだわる彼が、子守女中ではなく、子供に子供の世話をさせるでしょうか。彼は乳児から四、五歳まで、子守女中を付けていると言っていましたよ?」

「……その『子守女中』の実態が、姿の見えなかった十四、五歳の子供たち、ということはありませんか?」


 俺の言葉に、皆が一斉に俺を見る。


「男の子も、ですかな?」

「ハルトマンさん、子育てに男も女もないですよ。……リファルには、以前にも言いましたけど」


 まあな、とリファルは頭をかく。実際、孤児院『恩寵の家』では、以前、リノに手を出そうとした少年たちの一部が、償いと技術獲得のために、赤ん坊の世話を担当している。

 最初こそ嫌そうにしていたものの、孤児院に派遣された子守女中のヴェスさんの対応が素晴らしかったせいだろう。今では進んで働いている。泣いている赤ん坊をあやすのもお手の物だ。


 というか、『男は子育てなんてするものじゃない』と堂々と言い放っていたくせに、そこで働いているコイシュナさんの気を引きたくて、ちょくちょく顔を出してはおむつ替えなどをするようになったリファルなんて実例もある。

 子育てに男も女も関係ない好例だ。


「ふむ……確かに、それも考えられますな」

「ということは、別の理由もあるかもしれないってことですか?」


 ハフナンの目つきが険しくなる。俺たちが止める間もなく、ヴァシィの凌辱現場に真っ先に踏み込んだ彼だ。俺の想像よりも、もっと悪いことを想像したのだろうか。


「私は、別のことを考えておりました。なにせわがナリクァン商会では、かの孤児院出身者というものを見たことがございませんでしたから」

「見たことが、ない?」

「さよう。我がナリクァン商会は、四番街のなかでも三番街にほど近い場所にございます。つまり、過去に縁があってもおかしくなかった──それなのに、当商会の者で、かの孤児院の出身者は一人もおりません」

「……一人も?」

「はい。一人も」


 ナリクァングループにどれだけの人間がいるのか知らないが、それ全てを指して言い切ったのならすさまじい。

 多分、支店は含めず本店のみを指して言っているんだろうが、それにしたってすごい。ナリクァン夫人の邸宅でも馬鹿でかくて人がたくさんいるというのに。

 本店だけとしても、そこに勤務する全員のことを記憶しているのか? ハルトマンさんってひょっとして、ものすごく偉い人なんじゃないだろうか。


「……つまり、それって……」


 リファルが、顔をしかめた。

 ウカートは、「まさか……」と眼鏡を押し上げる。

 リトリィが、不安げに俺を見上げた。


「十五になる前に、何らかの形で、孤児院からいなくなる……?」

「なんだよムラタ! それって殺されるってことか⁉」


 リファルの素っ頓狂な声に、俺が慌てて口を抑える。


「殺されるとまでは考えたくありませんな。殺してしまっては、投資してきた資金が無駄になってしまいます」

「……じゃあ、もしかしたら、つまり……」


 あとは、だれも、先を言わなかった。

 でも、きっと誰もが、同じことを考えたに違いない。


 ──どこかに、売られているのではないか、と。

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