第591話:楽園の虚像(8/8)

 彼らの名乗るところの救児院『神の慈悲は其を信じる者へ』は、同じ孤児院の『恩寵の家』とは何もかも違っていた。


 『恩寵の家』は、基本的にただの集団生活の場だ。

 南正面が礼拝堂。その礼拝堂から左右に伸びる廊下が、南に向かって口を開くコの字型の生活棟に接続されている。結果として、菜園となっている中庭を囲むようにロの字型の建物になっている。


 この構造自体は、『神の慈悲は其を信じる者へ』もほぼ同じだった。違うのは、その規模。こちらのほうが広い。屋根裏が寝室になっているのは『恩寵の家』と同じだが、こちらは三階建て。何より、建物の管理が行き届いていて清潔で、窓にはすべてガラスが入っている。


 案内された部屋は、それぞれ作業内容によってだろう、男女に分けられ、子供が作業をしていた。どの部屋でも五、六歳から十二、三歳までの子供が、一緒に作業していた。

 布を織ったり縫い物や編み物をしていたり、革をなめしたり、両手も顔も真っ黒にして、やたら細かいハンコを、メモ書きを見ながら型枠にはめ込む作業──いわゆる「活字拾い」をしている子供たちもいる。


 ゲシュツァー氏は「教育」と言っていたが、いわゆる「学校」のような「一般教養」を教え込むのではなく、職業訓練校のようなものだった。


「子供は放っておけば、手を抜き遊ぶことしか考えません。親のいる子供ならそれでもよいのでしょうが、ここにいる彼らはいずれ、自らの手で食べていかねばならないのです。ならば、少しでも彼らの将来に役立つ技術を教え込むことが、彼らの将来に責任を持つことだと、我々は確信しています」


 実に晴れ晴れとした顔で熱弁を振るうゲシュツァー氏。リファルなど、すっかり胡散臭いものを見るような目だが、ゲシュツァー氏は気づいていないのか、それとも俺にしか興味が無いのか、その熱弁は止まらない。


 それにしても、自慢するだけあって、この施設の充実度は素晴らしい。ヴァシィのことがなければ、俺も絶賛していたかもしれない。

 親との縁を失った子供たちが、いずれは独り立ちして生きていけるように、彼らにスキルを身につけさせる。そうした役割を持つ施設、という意味では、『恩寵の家』よりもこちらのほうがよっぽど充実しているし、優れているだろう。


 ……それは間違いないのだ。

 訓練に向かう子供たちの表情も、真剣そのものだ。

 さっき見た部屋では、自分たちが着る服を自分で作っていた。そして今見学している部屋はレース編みの布を作っているところだ。きめ細やかな意匠のレースが、子供たちの手に寄って、手本通りに少しずつ編み上げられていっている。


「レースは端切れであっても人気が高いですからね。レース編みの技術を身につけるほどの器用さを持つことができれば、どこの仕立屋でもやっていけますよ」


 ゲシュツァー氏が、またも誇らしげに胸を張る。


「先ほどご覧いただいた革なめしと革張りの作業ですが、そちらなどは数カ月に一度の割合で、皮革ギルドの職人を呼んで成果の確認と指導、そして成果物の買取をしてもらっています。ギルドとのつながりができますので、優秀であれば徒弟とていとして採用される例もありますね」


 技術を身につければ、その先に生きていく道が保証される。

 なるほど、ゲシュツァー氏の主張は確かにその通りだし、多額の金を投入して子供たちに未来を身につけさせるこの事業を展開していることは、立派なのだとも思う。


 ──だが、俺たちは知ってるんだよ。

 思わず歯を食いしばったときだった。


「ゲシュツァー様。このような素晴らしい事業を展開していくうえで、かなりの投資をなさったことでしょう。たとえば先ほどの活版ですが、あの膨大な活字をそろえるにはかなりの額を投資したのではないでしょうか。参考までに、教えていただけませんか?」


 口を開いたのは、ナリクァン商会から応援に来てくれたハルトマンさんだ。彼が来てくれたというだけでも大変に心強い。そのハルトマンさんが、そっと俺に目配せしてみせた。俺に、落ち着けとでも言うように。


 ……そうか、落ち着いているつもりだったけど、焦りだか苛立ちだかが、顔にでも出ていたのかもしれない。俺は一度深呼吸をする。


 ゲシュツァー氏はもったいぶった笑みを見せて、投資した額はいくらだったか覚えていない、もし覚えていても教えることはできないと言った。


「そうですか。残念です。それにしても、このきゅう院で生活している子供は、なかなか多いように思いますが、何人預かられているのですか?」

「そうですな。今日はお見せしておりませんが、赤ん坊を含めると百名少々、といったところでしょうか」

「百名! それに、赤ん坊も引き取っておられるのですか?」

「もちろんです。子供たちの未来を救う、それが我がきゅう院『神の慈悲は其を信じる者へ』の存在意義であり、使命ですからな。乳児から四、五歳までは子守女中をつけて、抜かりないようにしておりますとも」


 ゲシュツァー氏の言葉に、ハルトマンさんは感嘆のため息を漏らしてみせる。


「なんと素晴らしい……! しかし、百人ということは、毎年七~八人は成人を迎えて独立していくのですね。ここで働くすべを身に着けて巣立っていった子供たちが、三番街を支えているのですな! この事業を始めて、もう何年になるのですかな?」

「孤児院の経営自体は先代から続いていますが、教育事業に力を入れ始めたのは私が代を継いでからですので、……そうですな、かれこれ三十年になります」

「三十年……! 軌道に乗せるまでは大変だったのではないですか?」

「いえいえ。確かに苦労はございましたが、先ほども申しました通り、我々は子供に教育を施すことで、街に役立てているのです。これは慈善事業であると同時に、街への投資でもあるのです」


 ゲシュツァー氏の言葉に、ハルトマンさんはうなずきながら質問を重ねた。


「その発想はありませんでした。なるほど、子供たちへの投資は街への投資……」

「ええ。街が豊かになれば、我が事業もさらに軌道に乗るというもの。子供への投資は、自身への投資にもなるのです。どうですかな、我が事業に投資してみませんか」

「……投資、ですか?」

「ええ。ぜひご検討いただきたい。そちらの事業にも、きっと貢献できますよ」


 実に得意げなゲシュツァー氏。ハルトマンさんは、豊かな白いあご髭をなでながら口元を緩めた。


「そうですな、ぜひひと口、噛ませていただきたいものです。ところで、このきゅう院では、何歳まで養育するのですか? やはり一般的な、十六になるまででしょうか」

「十六?」


 ゲシュツァー氏は一瞬、探るような目をした。だが、すぐに笑顔に戻る。


「ああ、そう……そうですな。そこは同じです。ですが当院では独立の前日まで、本人の技術の向上のための面倒を見ますよ」

「それは頼もしい。ここを出た子供たちは、どんなところで働いているのですかな?」

「様々ですよ。子に恵まれない夫婦、あるいは働き手の欲しい老夫婦の元に養子に行く者もいますし、ギルドや商家に住み込みで働く者もいます。中にはこの街を出て、他の街で働く者もいます。みんな、身に着けた技術を生かして頑張っておりますよ」

「ほう……。この院にいるだけでも百名を超えるというのに。三十年も続けていれば、じつはこのきゅう院出身という者も、ずいぶんと多くなったことでしょう。街への投資というお言葉、実に納得がいきます」


 ハルトマンさんは、ゲシュツァー氏と笑い合う。

 だが、さっきからずっとリトリィのしっぽが膨らみっぱなしだ。顔は無表情を貫いていて、いつも微笑みを絶やさない彼女ばかり見ている俺には、異様にすら見える。


 ……ああ、分かるよ。分かるから、リトリィ。落ち着いて。


 そっと彼女の腰に手を回す。

 彼女はハッとした様子で俺を見上げ、そして頬を染めてうつむいた。けれどそれで落ち着いたらしく、しっぽがいつものふんわり具合に戻っていく。


 彼女がしっぽを膨らませるのは、羞恥にもだえるときか、あるいは警戒心や怒りを抱えているときだ。つまり彼女は、ゲシュツァー氏に相当な危険を感じているということだ。

 彼女も感じているんだ、どうしようもない違和感を。

 その「立派な経営」の裏で、何が行われているかを。


「それにしても、今日は本当に有意義なものを見せていただきました」


 リトリィの不信感は、そのまま俺自身の不信感でもある。なにせ、ヴァシィが凌辱されているその現場に踏み込んだ俺だ。ゲシュツァー氏の言葉を全面的に信じることなど、とてもできない。

 歯ぎしりしそうなのを噛みこらえて、あえて笑顔を振り向けた。


「うちの子供たちを、通わせてみたくなりましたよ。うちの子の適性を見極めて、どんな技術を身に付けさせたら良いか、考えていただけるんでしたよね?」


 俺の言葉に、ゲシュツァー氏は目を見開き、そして笑顔になる。


「もちろんですよ。あの赤毛の男の子と、青毛の女の子。あの二人はとても賢そうです。ぜひあの二人を我々にお任せください。きっと素晴らしく役に立つ子供になりますよ」


 ヒッグスとニューの二人だけを挙げるゲシュツァー氏。リノは──獣人族ベスティリングは不要だと言いたげだ。役に立つ子供になる、という言い方にもひっかかる。沸き上がる感情を噛み殺し、あえて表情を笑顔に保つ。


「そうですか? そう言っていただけると嬉しいですね。本人たちの意向もありますから、また相談して決めたいと思いますが」

「ムラタさん、子供は放っておけば手を抜いて遊びほうけてしまいます。父親役であるあなたが子供の将来を思うなら、ぜひあの二人を我々に預けていただきたい。子供は、未来への投資ですよ」


 あくまでも獣人リノは不要というわけだ。

 唾を吐きかけてやりたい思いをこらえながら、俺はうなずいてみせた。

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