第590話:楽園の虚像(7/8)

「はっはっは。そうですか、気に入っていただけましたか。いえ、実はあの歌唱隊、自分で言うのもなんですが、我々のちょっとした自慢でして」


 孤児院『神の慈悲は其を信じる者へ』の経営者であるゲシュツァー氏は、上機嫌でうなずいた。


「子供たちの適性を見極めて、それぞれが輝ける舞台を用意する。そうやって育てれば、子供は優良な働き手となる──あの歌唱隊は、そんな子供の一面をよく表してくれています」


 ……確かにそうだろう。歌の技量もそうだが、少なくとも小・中学校がなく、集団でそろって行動する、という概念自体が希薄な世界だ。この世界であれほど整った行動を見せられたら、確かにインパクトは大きいだろう。


「いやいやムラタさん。歌をほめていただけるのはよくあることなのですがね、動きをほめてくださる方というのは、あまり多くありませんので。子供たちの価値をよく分かってらっしゃるようで、なによりです」


 ゲシュツァー氏の言葉に、俺もうなずく。

 そのとき、扉がノックされた。


「入りなさい」


 ゲシュツァー氏の、やや硬質な言葉を受けてドアが開き、少女が入ってくる。静かにティーカートを押してきた少女は、紅茶を配り始めた。

 服装はよく整った上等なものだ。カップを配る一つ一つの所作しょさも美しい。接客の心得をよくしつけられているのだろう。


「……よく訓練されていますね」

「これが、我らが誇るきゅう院の教育の成果ですよ。ムラタさん、子供は教育によっていくらでも成長し、便利で役に立つ存在になるのです」


 ゲシュツァー氏は実に誇らしげだ。

 便利で役に立つ──「教育」によって「子供の価値を上げる」というゲシュツァー氏の考え方が、まさにこの一瞬一瞬に表れているように感じた。


 ……とまあ、俺たちは実に全くあっさりと、ヴァシィが暮らしている孤児院『神の慈悲は其を信じる者へ』の経営者、ゲシュツァー氏と面談をすることになった。


 面談する表向きの理由は、「孤児院の優秀な経営者であるゲシュツァー氏から話を聞きたい」である。だが、俺やリファルのような、孤児院経営と何の関係もない人間が話を聞きに来るという設定自体に無理がある。そのうえ、なぜか──


「ありがとうございます──いいかおりですね。だんなさま、このお嬢さん、とてもよいお茶を、とても上手に淹れていますよ」


 ──なぜか、リトリィ。

 恐ろしいことに、朝の俺の態度からわずかに違和感を覚えた彼女は、亭主が何かをやらかすのだと判断。『幸せの鐘塔』の作業者たちへの給食の準備が一通り終わったところで、あとをマイセルたちに任せ、ナリクァン夫人に相談しに行ったのだという。どうりで、リノがやけにあっさり迎え入れてもらえたわけだ。


 で、夫人から山のようなお菓子をもらったリノは、実にあっさりと──本人は多分そんなつもりはなかったんだろうが──俺を売りやがった。いや、おかげで今の布陣ができたのだから、文句は言うまい。


 だが、リノの目を通して俺の目・・・をまっすぐ見つめてきたナリクァン夫人の、その背筋が凍るような微笑みは、多分一生忘れられないだろう。


 そんなわけで、ゲシュツァー氏にとってはかなり不可解なメンツが、突然孤児院にどやどやとやって来たわけだ。本来ならこんな怪しい一団を中に入れる必要なんてなかったのかもしれないが、彼は笑顔で俺たちを迎え入れた。


 ひょっとすると、合流して一緒に来ることになったファルツヴァイとトリィネ、そしてハフナンの存在が、説得力を高めてくれたのかもしれない。


 ──何はともあれ、俺は腹をくくることができた。

 直接関わったのはヴァシィだけだが、他にも彼女のような辛いめに遭っている少年少女がいるかもしれないのだ。

 今も熱心に「教育の成果」を語るゲシュツァー氏を問いただし、そして──!





「ところで、あの歌なのですが……」


 お茶についてはとんと疎い俺には、紅茶は紅茶でしかない。リトリィによれば高品質らしいのだが、違いの分からない俺にとっては猫に小判、豚に真珠。カップをテーブルに戻しながら、聞いてみた。

 

「一人一人、得意なことも違うでしょうし、どうしてもどこかが劣るような子供もいるでしょう。そういった子供たちも、あのような姿になるのでしょうか」

「もちろんです。我がきゅう院には、目がよく見えない子供、耳の聞こえづらい子供、手足のどこかが不自由な子供もいます。ですが、それぞれにふさわしい力を付けさせ、ふさわしい場を与えてやれば、いくらでも働けるようになります。教育次第で、子供はいくらでも使えるようになるのです」


 熱弁を振るうゲシュツァー氏の言葉に、俺は大きくうなずいて感心してみせた。


「なるほど。実は歌唱隊に、背の曲がった男がいるでしょう? なぜ、彼のような男があのような人前でと思ったのですが、ゲシュツァーさんの、その深いお考えあってのことだったのですね。感服いたしました」

「ああ、ブークリンゲンですね。彼は忠実に働く男ですよ」

「そうですか。彼は、あなたの言うことをよく聞く働き者なのですね。ああ、子供たちの集合などでも声をかけていましたね」


 ゲシュツァー氏は微笑み、うなずいた。


「ええ、彼は子供たちの管理もよくしてくれています」

「なるほど、人は使い方次第だということですね。そういえば歌唱隊のまわりに体格のいい男性が数人いましたが、彼らは? 荷物運びには見えませんでしたが……」

「ああ、彼らは子供たちを守るためですよ」

「子供たちを守る? 何から守るのですか? 三番街は、あのような屈強な男たちで子供たちを守らねばならないほど、治安に不安があるのですか?」


 俺が大袈裟に驚いてみせると、ゲシュツァー氏は苦笑いを浮かべた。


「いえ、そんなことはありません。ですが、万が一に備えてですよ」

「ああ、そうなのですか。いえ、あの男性諸氏は、子供たちに対してどうも威圧的に見えたものでして」

「……護衛ですからね。彼らが職務に誠実であろうとすれば、やはり表情も厳しくなるでしょう」


 俺の言葉に、ゲシュツァー氏は笑みを貼り付けたまま答えた。


「なるほど。いえ、私の知る孤児院はお金がなくて苦労していますので、あなたのところを参考にしたかったのですが、確かに万が一を考えれば頼れる護衛も必要でしょう。とすると寄付金を得るためにまず誠実な、信用できる護衛を雇うお金が必要になり……うまく回らないものですね。そちらが本当にうらやましい限りです」


 苦笑いを作ってため息をついてみせると、彼は誇らしげな笑みを浮かべた。


「そうでしたか。いやはや、心中しんちゅうお察し申し上げます。私どもは実績を積み上げてきましたからな。急に真似をしようとしても、難しいでしょう」


 彼は何度も大きくうなずいてみせる。よほど自信があるらしい。

 しかし、彼の自慢話でいつまでも時間を浪費するわけにはいかない。俺は一瞬、歯を食いしばってから、口を開いた。


「ところで、あの噴水前での歌の披露ですが、あれはやはり寄付を募るためのものですか?」


 俺の言葉に、ゲシュツァー氏の眉がピクリと動いた。


「それは、どういうことですかな?」

「いえ、先ほども申し上げました通り、私が知っている他の孤児院が、なかなか経営難で苦しんでいるようなので、寄付を募る活動の一環として、こちらの歌唱隊の活動が参考になればと思いまして」

「そういうことでしたか」


 彼は笑みを浮かべると、自信ありげに首を横に振った。


「確かに、そういう側面はございます。ですが、あれは寄付を募るためというよりも、わがきゅう院『神の慈悲は其を信じる者へ』の子供たちの優秀さを披露し、広めるためのもの。当院の教育の成果あってのものです。真似していただくのは大いに結構ですが、果たして一朝一夕にできるものですかな?」

「すると、寄付の額に目標を設定し、その額に満たなければ何らかの懲罰があるようなことは──」

「とんでもない、そのようなことは一切ありません。先ほども申しました通り、広場での歌は、我がきゅう院の子供の質の高さを世に広めるための活動です。寄付を募るのも、子供たちに物おじせず人に接するための訓練の一環。寄付の額の多寡で褒美だの罰だのということを、私は一切おこなっておりません」

「なるほど……それは大変失礼しました」


 目つきが若干険しくなったゲシュツァー氏に、俺は素直に頭を下げた。


「いえ、厳しい目標を与えて、できなければ罰するというのを、私の故郷でも耳にしたことがありまして。あれほどまでに高度なことができる子供たちですので、どこかに無理が来てはいないかと心配してしまっていたのです。余計な勘繰りでした、誠に申し訳ありません」

「……いえ、分かっていただければよろしいのです」


 まだ少しばかり厳しい目をしているゲシュツァー氏だったが、これだけ不快感をあらわにするとは。


 痛くない腹を探られた不快感か、それとも──


「ああ、そうだ。興味深い話ばかりで、すっかり本来の目的を忘れていました」


 俺は、リノを通してナリクァン夫人から言われたことを思い出しながら、努めて明るく、笑顔で言った。


「先日も申しました通り、私も三人の子供を引き取っていますが、なかなか大変なこともありまして。ゲシュツァーさん、あなたのご自慢の『教育』の様子、拝見させていただくわけには参りませんでしょうか。たしか、一部、教育だけでも、とおっしゃっておられましたよね?」


 彼の目が、一瞬だけ、見開かれた。


「……それはもちろん、承っておりますとも。我々の価値を、認めてくださったのですかな? 」

「子供たちのあの歌、一糸乱れぬ姿を繰り返し見てしまえば、その払ってこられた努力の価値は分かるつもりですとも」


 ようやく、ゲシュツァー氏の顔に笑顔が戻る。

 おもわずため息をつきそうになる。機嫌を損ねたまま提案も蹴られたらどうしようかと、ヒヤヒヤしていたのだ。


「そうですな……今は午後の課程の最中です。それほど時間はありませんが、ご覧になりますかな?」

「ぜひ」


 俺は可能な限りの笑顔を作ってみせた。

 表向きの姿しか見られないだろうが、それでも塀の内側から観察できるのは大きい。


 事情があって、まだヴァシィを救い出すわけにはいかない。

 だが、ヴァシィは俺たちの意図を理解し、現状にもう少しだけ、堪えてくれることを約束してくれた。

 もちろん、俺たちも、必ずヴァシィを悪いようにはしないと約束した。


 でも、ヴァシィの約束、彼女には言っていないが、一つだけ、どうしても守りたくないものがある。


『一度だけでいいんです。リヒテルくんのケガが治ったら、彼に会わせてください』

『彼に、謝りたいから──だから、一度だけでいいんです。どうか、どうか……』


 こんな約束、守ってたまるか。

 即、破り捨ててやる。

 一度だけ・・・・だなんて、そんな約束。

 互いが望むなら、何度だって会うべきなのだから。


「──では、さっそく参りましょうか。どうぞじっくり見て行ってください、我らがきゅう院のすばらしさを」

「ええ、お願いします。実に楽しみだ」


 ……ああ、楽しみだとも。

 ヴァシィの涙の上に建つ孤児院の、その『教育』とやらを見ることを。

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