第589話:楽園の虚像(6/8)

「……で、ムラタ。こいつら、本当にどうするんだ?」

「そうだなあ……」

「だから、リヒテルと同じ目に遭わせてやりましょうよ!」


 質問が振り出しに戻った気がする。相変わらず過激なことを言うハフナン。


「まあ、確かに気持ちは分かるぞ? あの、血と膿にまみれて苦しみ抜いたあの姿を間近で見続けたお前だ、同じ目に遭わせたいってのは、その通りだろう。目には目を、歯には歯をって奴だ」


 マッチョ野郎はえびぞりになって助命を懇願し続け、背曲がり男に至っては失禁すらしているありさまだ。


「……そうだな。ええと……ヴァシィ、といったか?」


 壁のすみでへたり込んでいた少女が、びくりと体を震わせた。体をのけぞらせ、後ずさろうとして、壁にぶつかる。

 ……ああ、さっき広場で酷いこと言ったからな。同類だと思われているんだろう。


「さっきは、君を辱めるようなことを言ってすまなかった。こいつらをあぶり出したくてさ」


 そう言って理解してもらおうと思ったが、まあ、当然のように無理だった。乱れた服をかき集めるようにして、俺から必死に距離をとろうとしている。


 どうしたものかと首をふると、部屋の隅に、几帳面にたたまれて置かれているスカートが目に入った。

 シンプルだが可愛らしい下着も、丁寧に折り畳まれている。


 ……そうか、汚されたりシワになったりしないように、自分から脱ぎ、たたんだのだろう。

 いったいどういう思いで、野獣たちの前で、自らスカートを脱いだのか。その心中しんちゅうを察し、胸が痛むとともに、こんなにも少女を傷つけたケダモノどもに殺意すら湧いてくる。


「……バカかてめぇは。抜身のナイフを持ったまま、ナニを余裕かましてんだ。さっさとナイフをしまえ、おびえてンだろ」


 ……あ、しまった。




 ナイフをしまって、自分たちは味方だと伝えようとしたが、どうにも分かってもらえなかった。ああ、こんなときにリトリィやマイセルがいれば!


 だが、無い手を悔やんでいても仕方がない。一瞬、リノならどうかとも思ったが、こんなありさまの女の子の世話を、それよりも年下の女の子にさせるなんて、お互いにショックだろう。


「……どうする? このまま孤児院に戻すなんて酷だろう。ナリクァン商会でひとまず預かってもらうなんてどうかな」

「お前の伝手は、ホントに便利だよな」


 俺の提案に対してリファルが苦笑いする。


「いいんじゃねぇか? ホントに頼れるなら──」


 ところが少女は俺たちの話を聞くと、孤児院に戻ると訴えた。こんなクソ野郎どもがいる孤児院に戻るなんて。わけが分からず理由を聞いてみたが、彼女は理由についても教えてくれなかった。


 しかし、こんなクソ野郎どものいる孤児院に帰すわけにはいかないだろう。今だって当たり前のように避妊具なしだったし、そこのクソマッチョは「自分たちに与えられた共用・・便所・・」とまで言い切りやがった。

 共用・・便所・・! 女性の体を何だと思っているんだ! しかも、少女本人を目の前にして!


 そのまま帰してしまえば、また同じことが繰り返されるに決まっている。彼女が遅かれ早かれ妊娠させられてしまうのは、火を見るより明らかだ。


 それなのに、少女は俺たちの提案に首を振り続けた。


「構わないでください。あたしは帰ります」


 そう言って理由を明かさず、かたくなに拒否し続けるだけなのだ。孤児院で待っている誰かがいるのか、それとも自分が犠牲になることで他の少女たちを守ろうとでも言うのか。


 強引に連れて行くことも考えたが、本人が頑なに拒んでいるのに無理矢理連れて行くなんてことをしたら、それはそれで問題な気もする。だが、だからといって帰らせて、彼女が幸せになるとも思えない。

 いったん孤児院に帰らせるにしても、こいつらと一緒にしたら、子羊に狼を付けて野に放すようなもの。論外だ。


 考えなしに走った結果がこれだ、その場でひとまず答えを出さなければいけないこの苦しさ。

 だが、、目の前で行われていた少女への性暴力を、「今日は情報収集だから」で済ませることができるほど、俺は冷静にいられただろうか。たまたまハフナンが先に突撃してしまったが、俺も同じことをしてしまっていたんじゃないだろうか。


 ……待てよ?


「そうか。分かった、もう俺たちは止めない。君にも理由があるんだろう。このまま孤児院に帰るといい」


 少女が、あからさまにホッとした顔をする。

 だが、ここでは話せない。俺はペンを取り出すと、リファルに手のひらを見せながら言った。


「リファル。今から書くことを解読・・してくれ。俺、字は書けても正確につづれないんだ」

「……は? おい、お前それでどうやって図面描いてんだよ?」

「嫁さんたちに教えてもらいながら」


 絶句するリファルに苦笑いしながら、俺は手のひらに書きつけていく。

 リファルは酷く顔をしかめながら、それでも何度かうなずき、そして内容を耳打ちしてくれた。


 ……ほぼ、意図したとおりのことを解読してくれたようだ。皆で一緒に部屋を出る。


「お、おい! このまま放置する気か!」


 クソマッチョがわめくが、とりあえず放置だ。連中から五メートル以上離れないと、俺が話すことが連中に筒抜けになってしまう。


 ふたの外された排水路のところまで戻って来た俺たちは、改めて少女に聞いた。彼女の所属する孤児院、その経営者のこと。


「ゲシュツァー様ですか? ええと、……普段はご自身のお館にいらっしゃると思います。ただ広場で歌った日は、院に来てくださって、あたしたちと一緒に夕食をお召し上がりになります」

「本当か? だったら、今日も?」

「いつもそうですから、今日もきっと……」


 彼女の言葉に、俺は目の前に光が降りてくるような思いだった。


「リノ、聞こえるか?」

『うん、よく聞こえるよ?』

「今から、ナリクァン商会にお使いを頼めるか?」

『あのおばあちゃんのところ? いいけど……ボク、やっぱり、だんなさまのお役に立てなかったってこと……?』

「違う! これはリノでなきゃ頼めない、とても大切な用事なんだ。リノにしかできないことなんだ」


 リノの沈んだ声を吹き飛ばすように力強く言ってみせると、嬉しそうな声が返ってきた。


『……ほんと? ボク、お役に立てる?』

「ああ。だからよく聞いて、今から言う通りにナリクァンおばあちゃんに言うんだ。リノの働きに、俺たちの全てが掛かっている。頼むぞ?」




 ヴァシィは孤児院に戻ることを選んだ。それを止めることはできなかったが、俺は何度も伝えた。

 もしものことがあったとき、ナリクァン商会がきっと力になってくれると。


「俺の名を出せば、きっと悪いようにはしないはずだ」


 そう言って、の短冊に俺の名をサインして渡す。

 この世界で俺と俺の妻たちだけが使う、漢字カナ混じりのサイン──『日ノ本』のうじを伴ったサイン。さらに、俺を含めた庶民が使うそう紙と違って、「紙」は高級品だ。紙のサインというだけで、それなりの説得力を持たせることができるはずだ。


「……ありがとう、ございます」


 少女は、何度も頭を下げた。

 さっきまでの不審の塊だった目が、どこか畏敬の念を含めた眼差しに変わっている──というのは、うぬぼれ過ぎか。ただ、俺が異国の文字でうじを名乗ったことが、彼女にかなりのインパクトをもたらしたらしい。


「あの……ムラタ様は、ナリクァン商会の方なんですか?」

「いや、妻が少しだけナリクァン夫人本人と関わりがある、というだけだ。あとは、ちょっとした商品開発に関わっているくらいだな」

「お、奥様が、大商会のお偉いさまと……?」

「ああ、だから俺本人は、夫人とはただの仕事仲間程度の間柄かな」


 ナリクァン夫人は元男爵家令嬢でリトリィ贔屓びいきのおばあちゃん。おそらく夫人の認識は、俺はカラビナと消毒用アルコールのアイデアを売り込みに来た単なる一般市民で、リトリィをたまに泣かせる要注意人物……という感じだろう。

 そんなわけで、俺自身は大したことない。


 ……というつもりだったのに、なぜかヴァシィが絶句する。

 リファルが、深いため息をついたあとで俺の肩を小突いた。


「……バカ。あのナリクァン夫人と仕事仲間って、お前、自分がどういう立場だって明かしたか、その自覚、ないだろ」

「自覚? いや、つまり商売程度の関係しかないんだから、俺自身は大したことないって意味で――」

「表向き引退したとはいえ、大商会の超有力者と直接・・取引する人間が、大したことないわけがねえだろうが!」


 リファルに頭をはたかれてしまった。いや、だって実際に、会うたびにあきれられるほど「どうしようもない奴」扱いされてるんだから、本当に──


「会うたびってお前、そもそも街の実力者に簡単に会えるお前がおかしいんだって、なんでそこに気づかねえんだよ!」

「簡単に会えるって、いや、そりゃリトリィの縁があるからで」

「あーっ! もうコイツは! そういう人ほど、普通は公私の区別をきちんとつけるモンだって、なんで分かんねえかな!」


 そして再び大きなため息をついたリファルは、苦笑いしながらヴァシィに向き直った。


「……こういう、底抜けにお人好しのバカだけどさ。悪いヤツじゃねえんだ、感覚がちーっとばかり……どころじゃなく盛大に斜めにズレてるだけで」


 なんか、悪口を言われている気がする。


「ああ悪口だよドチクショウ。てめぇみたいな破れ天井級のお人好しが、そう何人もいてたまるか」


 やっぱり悪口じゃねえか!

 抗議する俺に、ヴァシィがすこしだけ、くすっと笑った。


「……ごめんなさい。あたし、おふたりのこと、誤解していたみたいで……」

「いいや、ムラタこのアホに関しては誤解どころじゃなく真正のアホだから」


 ひどい言い草だ!

 でも、さっきあんな辛い目に遭った女の子が、少しでも笑ってくれた。

 それを確かめることができただけでも、嬉しい。


「……リヒテルも、君のことを心配していた。俺たちもリヒテルが守ろうとした君のことが気になるんだ。だから、せめて一緒に──」


 せめて一緒に、彼女の所属する孤児院まで俺たちもついて行こう、そう言おうとしたら、ヴァシィはハッとしたように顔を上げた。


「リヒテル君、ですか? 彼は、なんと言って──」


 けれど、言いかけて、また何かに気づいたのか、暗い顔をして目を伏せた。


「……でも、あの人は、もう……」


 ひどく辛そうな顔でうつむいてしまう。ひょっとして、なにか誤解している?


「ああ、リヒテルならもう大丈夫だ。あとは手当ての傷が治るのを待つばかりだな」

「……えっ⁉」


 体ごと大きく振り向くヴァシィ。ああ、やっぱりそうか。前回のコンサートのときに、彼女はリヒテルが目の前で叩きのめされて大怪我させられたのを見ているんだ、気にしていたんだろう。


「たしかにひどい大怪我だったし、不潔なところに放り込まれたせいで化膿して大変だったし、おかげで血と膿にまみれる大変な手術をする羽目になったけど、今はもう傷が癒えるのを待つだけだ」


 信じられないと言った様子で、両手で口を覆いながら目を見開くヴァシィ。彼女の目から見ても、相当に酷い怪我を負わされたっていうことなんだろう。


「俺の嫁さんが、膿んだ傷口を切り開いて手当てしたおかげで、今はもう元気だ。命に別状はない」

「で、でもあんなに大怪我をさせられて……」

「ムラタさんの言うとおりです。手当ての時に切ったところがまだ痛いみたいですけど、無事です」


 ハフナンが笑顔で答えた。


「それにリヒテルのやつ、熱でうなされてるときも、あなたの名前を呼んでたんですよ。自分自身やあなたに何があったのかは一言も教えてくれなかったけど、でもずっと心配してたみたいです」

「……そう、なん、ですか? ……よ、よかっ、た……!」


 ぽろぽろと、ヴァシィの目から雫がこぼれ始める。


「あたしの、こと……助けようと、してくれて。あんな大怪我、して、うご、動かなく、なって……! あたし、あんなところ、見られたのに……それなのに、助けるって……あたしのこと、助けるって、なんど、も……!」

「リヒテルはどこで何があったのか、全く教えてくれなかった。君の身に起こったことを俺たちに知られると、君の名誉にかかわると思ったんだろう」


 彼女は、何度も小さくうなずきながら、涙をこぼし続けた。

 自分を助けに来て返り討ちに遭い、そのまま亡くなったと、彼女は思い込んでいたということか。逆に言えば、リヒテルの奴はそこまでの根性を見せたってことだ。あの気弱な姿を見せてきた少年が。


『だ、だんなさま! ボク、中、入っちゃっていいのかな……!』


 そのとき、リノの目を通して、彼女がナリクァン夫人の館に着いたこと、そして実にあっさりと迎え入れられてしまったことが分かった。


『え、えっと! だんなさま! ハルトマンさんか、同じくらい「お話し合い」が得意な人をお願いするんだよね?』

「ああ。リノの耳飾りを見れば、ナリクァン夫人も、リノが誰の使いで、リノに話しかけたら誰につながるのか、分かるだろうからな」


 未来を失いかけた子供たちの楽園となるべき孤児院、だがその孤児院は、少女の尊厳を踏みにじり、その涙の上に依って建つおぞましさをもっていた。

 ならば……その孤児院の虚像をぶっ壊すまでだ。


 だが、そのためには、相応の力が必要だ。

 ハルトマン氏──孤児院『恩寵の家』で、リノを襲った少年ケダモノたちを圧倒的な罵倒と腕力で叩きのめした交渉人ネゴシエーター。どうか、どうか彼に比肩する人を、寄こしてくれますように……!

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